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少年時代、クールに憧れた僕は、20歳になってクールに悩まされていた。

今回これが初めてのnoteになります。このnoteを執筆するに至った経緯としては、唐突に「自分の直したい部分ってどこだろう?」と自問自答したときに、好きなことを好きと言う、やりたいことをとことんやる、そういう人間のがむしゃらな部分が欠けているなと感じました。そこで、そんな自分ってどんなふうに形成されたのかなと考えますと、なんと感情を顕にしない自分像ってのは少年時代の自分の憧れだったんですよ言い方を変えれば、僕はかつての自分が憧れた自分になれたんですよ!でもあら不思議!今はそんな自分が嫌になっちゃったんです。

これを自分で気づいた時に、とても自己矛盾的で(過去の自分と今の自分は違うので厳密には矛盾してませんが)、皮肉的で悲しいことだなと感じるとともに、人間が時々に理想とする自分像が変わっていて面白いなと感じました。いい機会なので、このnoteで昔の自分と今の自分を比べながら、自分について考えられれば良いなと思います。

クールになりたかった少年時代

「12歳の僕はNARUTOのサスケがすきだった。」

サスケがどんなキャラなのかといえば、いつも冷静で感情を表に出さず、なにを考えているかわからない。でもそれが最高にカッコよくて、ヒロインのサクラちゃんにも好かれているキャラです。小学生とか中学生の時って、当然のことですが、みんな子供なので感情むき出しです。喜怒哀楽表現しまくりですよ。NARUTOで言えばみんなナルトです。でも、そんな少年たちを見て女子はこう言うんです。「子供っぽい」子供なんだから子供っぽくていいじゃないですか!今ならそう言えます。でも当時の僕が考えたことは違かったんですね。

「周りの皆が子供っぽいなら、大人っぽい方がかっこいいんじゃないか?」

実際、当時の女子は感情むき出しのナルト君よりも、いつも冷静で物事を淡々とこなすサスケくんみたいな人が好きだったと思います(異論は認める)。別に当時の自分のこの考えが間違っていたとは思いません。でも、今考えると、とても良くなかったのは、たかだか12歳のくせに自分の感情を抑えることを覚え、それが習慣になってしまったことです。なにも、自分の感情を抑えるという行為すべてを否定しているのではありません。怒るべきで無いときに落ち着いたりすることは12歳の少年にも必要だとは思います。でも、楽しい時に最高の笑顔で笑ったり、やりたいことに飛びついて行ったりしたい感情すらも抑えて、

「フッ、くだらないことにやけになって。子供じゃないんだし。」

って言う12歳どうですか?斜に構えまくってますよね?苛立ちすら覚えますよね?

こうして若干12歳にして、スーパー斜に構えモン(以後、斜に構えモン)が誕生します。

斜に構えモン爆誕

サスケくんが生んだのはサクラの子でも、イノの子でもなく、スーパー斜に構えモンの僕だったわけです。こんなこと作者の岸本先生でも予想できなかったでしょう。斜に構えモンは凄いです。食べたい物を素直に食べたいとは言いません。やりたいことをやりたいとは言いません。楽しいことを楽しいとは言いません。面白そうなものを面白そうとは言いません。そうやって周りが必死になったり、本能的になるような場面で彼はいつも斜に構えて、

「フッ、くだらないことにやけになって。子供じゃないんだし。」

と言うんですね。そんな生活を続けてると次第に、自分の好きなこと、自分が楽しいと感じる瞬間、自分が悲しいと感じる瞬間が分からなくなってきます。それもそのはず、もう斜に構えモンはどんな時に自分の感情を抑えているのかすら分からなくなってしまったんです。意識的に行っていたことが無意識的に行われるようになり、習慣化され、心の奥底で「面白そう!」と感じた瞬間に、それを無意識的に押さえている自分が居るんです。とても悲しいことですよね。ある意味、人間らしさを失ってしまったのかもしれません。

クールなんかじゃなく感情が薄いだけ

子供の頃は良かったですね。みんなが元気で子供っぽくて。そんななか感情的にならない自分は特別で、クールですらあったかもしれません。でも、20歳にもなると周りも子供じゃありません。「子供じゃないんだし」なんて言えることは少なくなってきます。美味しいものを食べた時に「美味しい!」と感情豊かに言うことが、子供っぽいですか?なにか大きなことを成し遂げた時に「やったーーー!!」と大声で叫ぶことが子供っぽいですか?そんなの絶対に違います。そうやって自分の気持ちを表現することで、自分はこんな時に楽しくなったり、悲しくなったり、嬉しくなるのかと自分で振り返るとともに、自分という存在が作られていくのだと思います。いつも感情を抑えて斜に構えてばかり居る奴は、自分がなにを考えているのか自分でもわからなくなって、いつまでも自分という存在を掴めないままです。そんなまま、ただ年だけをとっていつまでも斜に構えて、人の上に立った気でいる奴は最終的に、人間的になんの深みもない薄っぺらいクソジジイになるでしょう。そんなクソジジイは

80歳の小学校の同窓会で、おじいちゃんおばあちゃんになった同級生にこう言われるでしょう。

「お前はまだ子供っぽいな」

〜(終)〜

おわりに

自分を振り返り、このnoteを書くことで、どれだけ自分がアホらしいかを知りました。これからは自分の感情を抑えてばかりいないで、もっと感情を顕にしようと思います。成熟したおじいちゃんに僕はなりたいです。

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