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所謂「小金」に想う話

仕事が決まらないまま大学を卒業したため1年間無職だった経験がある。
その頃に周りの友人たちが羨ましかったのは旅行に行った話でもスマートフォンを新調した話でもなく、手数料や資格試験の受験料の類を支払った話だった。

無職はもちろん収入がない。
バイトの経験も乏しいので貯金もない。
毎月、親がお情けとしてくれる5000円が唯一の収入源。

手数料なら数百円、資格試験なら数千円。
欲しいものを買うわけでもないのにそれだけの金額が飛んでいく。
だが飛んで行っても困ることはない。
生活の一部にそういう出費が組み込まれていることがたまらなく羨ましかった。

あれは2013年の1月。
お年玉をもらった学生のような感覚で、なにか買い物をしようと思い立ってヴィレッジヴァンガードに乗り込んだ。
ミルキーの可愛らしいメラミンカップに一目惚れをする。
底をひっくり返して値段シールを見る。800円。
途端に買うかどうか悩み始める。
散々考えて勇気を出し、これまた奮発して「おしどりミルクケーキ」と共にレジに持って行った。
1000円を超える買い物をするのは久しぶりだった。

手数料よりは高いかもしれないが、それでも友人たちにとってはきっと誤差の範囲の買い物なのだろう。
惨めさを振り払うように、その頃から外出のたびに缶コーヒーを買うようになった。
大丈夫だと言い聞かせてプルタブを開ける。
その時間だけが唯一「自分が社会に存在している」と思えるものだった。

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