歓咲

当時は言語化できなかった曖昧な感情のアウトプット。 https://twitter.c…

歓咲

当時は言語化できなかった曖昧な感情のアウトプット。 https://twitter.com/mikansei___xx

マガジン

  • 絶望はせめて美しく在ってほしかった

    黒歴史と思い出を文字にしたもの

  • 強迫性障害(OCD)体験記とか

    同じ病気の人だけでなく、そうじゃない人にも「こんな世界があるのか」と伝わりますように。

  • 冷吟閑酔

    短歌詠んでます

  • 190ml

    過去に書いたショートショートとか

最近の記事

  • 固定された記事

創れない側の人間の話

若くして結婚したクリエイター夫婦の記事を見つけ、 心が苦しくなる。 どうすればこんな美しい曲が創り出せるのか。 創れもしないのに、心の穴に嵌まるピースのような曲に出逢うと 「ああ、遅かったか」と思う。 曲だけではなく、詞も、風景も、絵画も、 この世界に存在する美しいものを全て私が創れたら どんなによかったかと思う。 溺れてもがいて紡いだ言葉すら美しい人もいるというのに 今日も私は上手に絶望することもできないまま、 薬を飲んで眠るのだ。

    • 母親に向いていないわたしが最も母親に向いていなかった頃の話

      (前回の記事↑) 娘が生後3ヶ月を過ぎた。 前回の記事を書いた頃の私は産後鬱真っ只中だった。 今は娘は夜まとまって寝てくれるし、生活リズムもついてきてご機嫌に遊んでいる時間も増え、あの頃より格段に楽になった。 娘を可愛いと、心から思えるようにもなった。 私から娘と触れ合うことも多くなった。 もちろん今でも気持ちが落ちることはある。 けれども、あの頃の思考回路はかなり奇妙なものだったと思うことができるようになった。 初めての新生児育児だからとはいえ、明らかに普通ではない状

      • わたしは母親に向いていなかったという話

        先日出産し、生後1ヶ月になった。 私自身は子どもを産むことは望んでいなかったし、それは夫も知っていた。 夫は交際時代から「子どもを産まない(「産めない」を除く)のであれば、結婚をする意味はない」と明言していた。 この人は私が子どもを産むつもりがないという理由だけでは別れを切り出したりせず、ずっと交際は続けてくれるだろう。 けれど私は結婚をしたかった。 寂しくて仕方なかった。 簡単には離れられなくなりたかった。 そうして私は子どもを持つ決意をした。 当初から恐怖だった悪阻は

        • ワンピース歌舞伎に人生を救われた話

          (ネタバレを含みます。ご注意ください。) 機会があって2015年の初演を観た。 歌舞伎は2回目、ワンピースは全く読んだことがなかった。 開演。 歌舞伎らしからぬ、映像での始まり。 大写しになる「俺たちは絶対”くい”のないように生きるんだ!」 という字幕と、クラシック調の主題歌。 本当にそうだよなあ、わたしの人生っていったい何なんだろう、と ここで少し目を潤ませる。 魚人の競りのシーンから本編へ。 麦わらの一味が集結し、プロジェクションマッピングも取り入れた戦いのシーンで

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        創れない側の人間の話

        マガジン

        • 絶望はせめて美しく在ってほしかった
          14本
        • 強迫性障害(OCD)体験記とか
          4本
        • 冷吟閑酔
          6本
        • 190ml
          2本

        記事

          「家族」って何だろうねという話

          結婚して夫と「家族」になった。 一緒に暮らしていた期間もそれなりにあったので、これまでと違う苗字で呼ばれても、クレジットカードや診察券の氏名部分を直して再発行されても、何も変わらない日が続いていくと思っていた。 けれど、直ぐに数々の課題がのし掛かってきた。 携帯の家族プラン。加入保険の見直し。一軒家を構えるかどうかの決断。子どもを持つかどうかの決断。今後の希望配属先の決断。 結婚10か月近く経っても、未だ何一つ考えられていない。 私の希望も自分の希望と同じように尊重してくれ

          「家族」って何だろうねという話

          発達障害の私の特性をただ書き出すだけの話②

          ①はこちらです。 ・やたら時間に追われている&時間の見積もりができない なぜだか、「すごく時間がないような感覚」に終始囚われている。 前記事の「自分の好きなことをする時間以外は苦痛」に関係するのだろうか。 好きなことをする時間を最大限確保したいという気持ちの現れなのだろうか。 友達数人と駅に向かう時、乗り遅れるような気がして私ばかりすたすたと先に行ってしまうことがよくあった。 実際は友達が喋りながらのんびり歩くペースで充分間に合うというのに。 夫から「19時に帰るよ」

          発達障害の私の特性をただ書き出すだけの話②

          発達障害の私の特性をただ書き出すだけの話①

          タイトルのとおりです。 ・疲れやすい 元気いっぱい、楽しく動けるなんて時々しかない。 それも動いているときは妙なアドレナリンが出ていて疲労感覚がなくなってしまい、帰宅後は全く動けなくなることもザラである。 幼稚園のときの将来の夢は、単純作業で楽であろうものから選んでいた。(今はそれらの職種の大変さを理解しているので職名は伏せます) 小学生のときに栄養サプリの広告に「信じられないことに、朝起きたらもう疲れている」というキャッチフレーズが書いてあるのを見つけ、その感覚が通常で

          発達障害の私の特性をただ書き出すだけの話①

          113号室との別れの話

          前編:113号室の話 昨年末に結婚し、引っ越しをすることになった。 新居はもう借りてあったので荷物はゆっくり運び込めばよかったし、転勤のような理由でもないので、私にとっての「113号室」を引き払うのは言ってしまえばいつでもよかった。 それどころか私にとっても夫にとっても113号室のほうが通勤に便利だったのもあり、本当に結婚前と変わらない生活がしばらく続いた。 しかし、新居がある以上それは良くないことであるし、夫は私が「113号室を引き払おう」と言うまで待ってくれていること

          113号室との別れの話

          給食の時間の放送委員みたいだった頃の話

          給食の時間に、放送委員がマイナーなジャンルの楽曲を流して眉を潜められる話を時々見かける。 私はそれを見て心臓のあたりが痒くなる感覚を覚える。 私がまさにそういうことをしてきた人間だからだ。 それはなぜなのか。 皆もその楽曲に感銘を受けると確信していたからだ。 歌詞カードを見なければ歌詞を聞き取れないような楽曲でも、皆がしっかりと耳を澄ませて聞き取って歌詞の世界観に胸を打たれるはず。 間奏のギターソロに度肝を抜かれるはず。 そう信じて疑っていなかった。疑うという概念もなかった

          給食の時間の放送委員みたいだった頃の話

          「頑張らなくていい」論では生きられないという話

          昨今のエッセイや生き方指南書では、随分と 「頑張らなくていい」「家事も料理も手抜きでいい」「完璧主義じゃなくていい」という内容で溢れている。 しかしその考え方は、余計に私を苦しめてくる。 私にとっての「頑張らなくていい」は、丸一日ベッドで寝転がりながらスマホをいじり続けることである。 「家事も料理も手抜きでいい」は、辛うじて服を洗濯乾燥機に詰め込んで乾燥が終わってもそのまま一晩取り出さず、出前館でハンバーガーや回転寿司を注文することである。 「完璧主義じゃなくていい」は、も

          「頑張らなくていい」論では生きられないという話

          自己肯定感があまりにも無いという話

          自己肯定感が無い。 「自分を好きになれる本」「自己肯定感を上げる本」の類は何冊も読んだ。それでも駄目だった。 そもそも、前提として「私のような人間が自己肯定感を上げてしまうのは思い上がりであり、周りに迷惑を掛けてしまうのではないか?」という不安があるからである。 私の自己肯定感の無さを知っている人が、褒めてくれた際に「だから自信を持って」という言葉を添えてくれることがある。 「褒めてくれた人に失礼だよ」と言われることもある。 だが、私にとっては「私を褒めるような”誤った感

          自己肯定感があまりにも無いという話

          一位の人は分からなくてもいい話

          「一位には分からなくてもいい曲」という、これ以上ないコメントがあったので勢いで書き始めた。 持久走は苦手だった。ピストルが鳴ったら全力疾走。ほんの10秒ぐらいだけ1位になり、あとはどんどん抜かされてあっという間に最下位。 ペース配分という概念をみんなどこで知ったのだろう。何故私だけ知らなかったのだろう。何故私だけ思い至らなかったのだろう。 蝶結びができるようになったのは小学3年生。 鉄棒の前回りができるようになったのは小学6年生。 車を運転できるようになったのは30歳。

          一位の人は分からなくてもいい話

          強迫性障害(OCD)なりに日々を愉しもうとした話

          昨年の今頃、第2波がなかなか下がり切らずワクチンも遠い先の話のように感じたので、いよいよ通常の生活が困難になっていた。 最寄りのスーパーやドラッグストアすら行くのに勇気が要る。 どうにか開店間もない時間に駆け込む。 コンビニには行かない。24時間営業でウイルスが浮遊している危険性が常にあるから。 外食は論外で、テイクアウトもしない。 作っている人が感染している可能性があるから。 好きだったドライブもしない。 疲れて免疫力が低下すると感染リスクが高まるから。 運動はしない

          強迫性障害(OCD)なりに日々を愉しもうとした話

          所謂「小金」に想う話

          仕事が決まらないまま大学を卒業したため1年間無職だった経験がある。 その頃に周りの友人たちが羨ましかったのは旅行に行った話でもスマートフォンを新調した話でもなく、手数料や資格試験の受験料の類を支払った話だった。 無職はもちろん収入がない。 バイトの経験も乏しいので貯金もない。 毎月、親がお情けとしてくれる5000円が唯一の収入源。 手数料なら数百円、資格試験なら数千円。 欲しいものを買うわけでもないのにそれだけの金額が飛んでいく。 だが飛んで行っても困ることはない。 生活

          所謂「小金」に想う話

          特別で在り続ける音楽の話(SURRENDER/Lostage)

          アジカンの「夜のコール」が聴きたくて「NANO-MUGEN COMPILATION 2009」を借り、その中に「SURRENDER」が収録されていた。 頭を殴られたような衝撃だった。 その時の私は20歳になったばかりで、色々なことに振り回されていて、もう自分の未来ぐらいしか拠り所がなかった。 「今日に明日を混ぜる」という詞に言い様のない希望を感じた。 「もう逃がすよ」という詞にそろそろ色々なことを逃がさなくてはな、と背中を押された。 この曲と「サーカス」を繰り返し再生しな

          特別で在り続ける音楽の話(SURRENDER/Lostage)

          特別で在り続けるアルバムの話(Hell-See/Syrup16g)

          2008年の冬。 TOWER RECORDSでおすすめされていて、ジャケットが綺麗で値段も普通のアルバムよりは安かったから手に取った。 それがSyrup16gの「Hell-see」だった。 そういえばボーカルが鬱病だって公言しているバンドだったっけ。 大学生になって何もかも上手くいっていると思った私はその病をどこか他人事のように感じていて、少しの偏見すら持っていた。 一曲目、「イエロウ」。 うーん、確かに鬱病っぽさ前回の歌詞だ。覚えやすいけれど仄暗い。 二曲目、「不眠症

          特別で在り続けるアルバムの話(Hell-See/Syrup16g)