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給食の時間の放送委員みたいだった頃の話

給食の時間に、放送委員がマイナーなジャンルの楽曲を流して眉を潜められる話を時々見かける。
私はそれを見て心臓のあたりが痒くなる感覚を覚える。
私がまさにそういうことをしてきた人間だからだ。

それはなぜなのか。
皆もその楽曲に感銘を受けると確信していたからだ。
歌詞カードを見なければ歌詞を聞き取れないような楽曲でも、皆がしっかりと耳を澄ませて聞き取って歌詞の世界観に胸を打たれるはず。
間奏のギターソロに度肝を抜かれるはず。
そう信じて疑っていなかった。疑うという概念もなかった。

実際には、私の選曲は眉を潜められこそしなかった(と思いたい)ものの、そもそも誰も聴いていなかった。
本当に信じられなかった。
こんな素晴らしい楽曲が耳に入って来ないなんてあるのだろうか。
さりげなくボリュームを上げた。
それでも誰も聴いていなかった。
私は目の前の人たちが違う世界の人のように見えた。

「価値観は多様である」ということを、酷く勿体無いことだと思っていた。

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