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「人間性」がにじみ出る仕事について思うこと

数ヶ月前、テレビの特集番組で、『万引き家族』でクランクアップを迎えた樹木希林さんが映っていた。彼女は、今回の撮影で「自分が足を引っ張ってしまったと思った」という話をしていた。もっと取り残されたようなお婆さんを演じればよかったのに、意思がはっきりしたお婆さんになっちゃった、と。

それに続けて、彼女は「それは私の性格からくるもので、やっているうちに監督がそっちの方へいっちゃったんだね」と言った。

樹木希林さんは「試写会なんか恐ろしくて行けない」と後悔したようにおっしゃっていた。でも、漏れ出た「彼女らしさ」が作品になっていったこと、それをよしとしない彼女の姿勢も素敵だと、わたしは思った。映画だって、すごくよかった。思いがけず出てしまう「人間性」は、尊くて美しかった。

そんなことを、取材の反省をしながら、ふと思い出した。

俳優さんや女優さん、アーティスト、芸人さん、舞台に立つ人がすきだ。それは、自分の人間性とか生き様で仕事してる感じがするから。

人前で演技するにも、人を笑わせるにも、自分の作品で誰かを感動させるにも、ぜんぶ「自分」がにじみ出るもの。他人や機械にかわってもらえるものじゃないし、本人の「人間性」で勝負してる感じがする。

演技でも演奏でも絵でも、その瞬間や作品に、誰かの人間性が繋がっている。だからこそ尊敬するし大好きだなって思う。

「人間性」が問われるという意味では、自分の仕事も同じだ。取材で話を引き出したり、相手が伝えたいことの純度を保ったまま言語化させてもらったりするには、自分の人間性で相手と向き合う必要性がある。

その点、自分の未熟さを痛いほど感じる。25歳、社会人3年目になってもまだまだ受け取るばっかりで、ちょっと情けない気持ちになる。今日だって、取材時の「言葉にする力」のなさを反省した。相手の意図や、根底にある思いを汲みとる言語力、会話力をつけたい。

それは取材の実践もだけど、その瞬間の「がんばる」じゃ全然足りなくて。もっと普段の生活に根ざしたところにある気がする。出会ってきた言葉、毎日の感情、考え、発見、学びの積み重ねが今の自分になっていくような。取材は、そうしてできた自分と相手が向き合って成立するものだから。

樹木希林さんの演技に彼女の気配が宿るように、誰かの曲に作った人の気配が宿るように、取材原稿にも、インタビュアーと取材相手の方の気配が宿るよね。それは「自分らしさを出すぞ」とか思うものじゃなくて、つい出てしまうもので、そこがいいんだ、きっと。

無駄に「こんな人間だし」とか思って自己嫌悪するし、実際だめなとこありすぎるけど、いつだって自分という人間で勝負していくしかないんだ。わたしの場合、理想の自分を考えても凹むし、いつかは理想の自分になれるはずの「いつか」はぜったい来ない。考えるも実践も加点方式で、今積み上げていきたい。

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