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あの頃のボタン連打に思う、意味不明でも躍起になっちゃう人のキュートさ

この前、YouTubeでポケモン(バイオレット)のゲーム実況を見た。自分がプレイしたポケモンゲームは、小学生の頃にやりこんだサファイアが最後だ。初めて見るバイオレットは、二次元とはまるで違う立体的な世界観、動きの細やかなポケモンバトル、今っぽい会話、新たなやり込み要素や演出と新鮮さに溢れていた。

一方で、ポケモンセンターで流れるBGM、ポケモンが進化するときのBGM、ポケモンが技を忘れるときの「1、2の……ポカン!」は変わらなくて、長すぎるブランクのある自分も優しく受け入れてくれるみたいだった。

なかでも当時の自分を鮮やかに思い出したのが、捕まえたいポケモンに向かって投げるモンスターボールだった。捕まえたいポケモンと対峙しているときの、あの緊張感。捕まえやすくするために弱らせるもHPを少しでも削りすぎて倒してしまえばパァだし、手持ちのボールを使い切ってしまえば諦めるしかない。必ず捕まえられるマスターボールを使わない限りは、ボールを投げるターンがくるたびに、ドキドキしながら画面を見守った。さらには画面を凝視しつつ、ゲームボーイアドバンスSPのAボタンを親指で連打したり、ボールが完全に閉まるまでの3回の揺れに合わせてAボタンを押したりもしていた。AボタンとBボタンを擦るように交互に連打する方法を実践して見せてくれた友達もいた気がする。

誰に教わったわけでもない、今思えば全く意味のない行動。捕獲したいポケモンのためにボタンを連打することに全力を注いでいた自分を思うと、懐かしくて馬鹿らしくてじんわり笑える。

以前、noteに「チャンスの時間」に出てくるパチフェッショナル・岡野陽一さんの意味不明で面白い“流儀”を書いた。岡野さんは同番組で、白Tシャツにわざとコーラをこぼして自分が苦しんでることを台に見せるとか、ポケットに直でカツを入れるという流儀を見せてくれていた。その後の水玉れっぷう隊・ケンさんの流儀も衝撃的だった。リーチがきたらパチンコ台から離れた柱に隠れて見る(絞るというらしい)とか、夕方以降はスーツに着替えてサラーリマンと思わせて打つとか。これまた理解不能で、笑わずにはいられなかった。

自分が昔やっていたボタン連打と、パチフェッショナルたちの流儀。その根底に流れるものは近い気がする。そしてわたしは、側から見れば理解不能で、意味なく思えることに躍起になる人を、とても愉快で好きだと思う。

スマホゲームでガチャを回すときには正座するとか、指先に念を込めるとか、スマホを拭いて綺麗にするという人もいた。それを聞いたときには馬鹿げていると笑ってしまったけれど、そのある意味純粋で大人気なくて馬鹿げた行為に、キュートさを感じるのだよな。

ゲットしたいポケモンやパチンコ玉やSSRキャラのため、自分流のあらゆる手段でもって挑む誰かを笑うわたしは、Aボタンを連打していた頃の可愛げをすっかり失っている。

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