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環境音楽とミズスマシになりたい奴

環境音楽は元々好きで良く聴いていたが、つい最近、フィールドレコーディング、環境音楽についての本を読んだ。端的に言えば所謂巷に溢れるASMRと呼ばれるものを更に深化し、思考を持って解釈していくといった内容であった。
 
私は環世界に興味があるが、例えば動物や昆虫の環世界に触れたい時はどうすれば良いのか。勿論実際には体感する事などできないのだが、想像する事はできる。簡単なのは動物や昆虫のサイズ感からその視点を考えてみる事だ。
 
 
実際に動物や昆虫の目線で今の部屋の中を歩いているところを想像する。テーブルの上に置いてあるペットボトルや缶、ティッシュの箱は大都会の大きな建物になるだろうし、シンクはものすごく大きな湖になったりする訳だが、いかんせん、それはあくまで人間の目による見え方なのである。動物や昆虫の中には目の位置や見え方によってはほとんど奥行きを感じないもの達もいる。色の感じ方も違うであろう。よって視覚による動物や昆虫の環世界に触れるのは想像であってもとても難しいのである。
 
 
そこで音である。今回読んだ本では音源も聴くことができる。実際に聴いてみると、視覚よりも聴覚から得られる感覚の方が遥かに環世界に近いと感じられ、日頃視覚から得る情報に頼りすぎていることが自覚できた。聴覚へと意識を移すことで、同じ景色でも普段とは全く違う世界が見えてきたのだ。というのは恐らく、普段視覚情報として得ている情報には無意識のうちに聴覚の情報も含まれ、聴覚が保管をする事で正しい情報としてなりたっているということを再認識できたからであると思える。
 
分かりやすく言えば、動物や昆虫につけたカメラで目線の映像を見るより、聞こえ方は全然違うのだろうが昆虫や動物が聴いている音を聴く方が遥かに環世界のようなものを体感できたのである。視覚情報からの大きな先入観がなくなり、聴覚による補完がしっかりと行われたからであろう。
 
勿論、特にリファレンスなどはないので簡単に言ってしまえば「聴覚ってすごい!」という小学生の感想みたいになってしまうのだが。しかし、実際に動物の寝息、川底の流れの変化の音、水中で交わされる鳴き声etc…それらを聴きながら目を閉じるとまるで実際に自分がそこにいて同じ生き物になった様な感覚がしてくるのである。やっぱり「聴覚ってすごい!」、、、全てはこれで良いかもしれない。
 
そうして環境音に触れていると、やはり詩が浮かんでくる。昆虫や動物は詩を作るだろうか。詩は作らなくても詩的な気分にはなっていそうではある。いや、彼等自身が詩の中を生きている、、、と思わず擬人化してしまったが、この場合は私が動物や昆虫になりきっているので、擬人化でもないかもしれない。一つの生物としての同調という事にしておこう。
 
という訳で私は今日も、寝静まる虎の隣や川の底やらで、ミズスマシの様なものになったりして詩を考えてみたりなどして、でも時には人間に戻ってミズスマシのあの光沢素晴らしいだとかあの前足いいなぁとか思う訳である。
 
 
そんな話。

2023/05/04 一井 重点


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