一井 重点(いちい じゅうてん)

イラスト•詩等を主に制作しています。

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詩の脆弱性を愛する

詩について書いてみたいと思う。ただし、前提として分かっておいて頂きたいのは、詩は自由であるし各々が好きなように書いて感じて良いということだ。私にもいささか強いこだわりや好き嫌いがある。もしかしたら嫌な気持ちになる人もいるかもしれない。けれども詩の懐はとても深くて、好きも嫌いも、分かる分からないも全部収めてくれる。だからこそ私のこだわりを語ってみようと思ったのだ。少し偏りはあるが、詩の魅力を伝えられたら嬉しく思う。 でははじめに有名な詩人を上げて語っていこう…と本来ならなる

    • 風と同意義

      散歩に出た 風が少し吹いていて 過ぎゆく車の助手席の窓から少しだけ顔を覗かせる子供や 小さな椅子に座ってバスを待つ老婆は 大体風と同意義だった。 髪や服の隙間から駆け抜けていくそれらは 町中に浸透して 薄くなった桜を散らし そして掬い上げていた 舞い上がらない錆びたネジや ほつれたカラフルな金網が 高架橋の下から私と一緒に はやいはやい電車を眺めていた

      • 洗濯ハンガーと生活の名残

        洗濯物を干そうと思い、洗濯ハンガーを広げると途端にプラスチックのパーツが全て折れてしまった。 安物を数年使い続けていたので当然なのだが、それまでに予兆のようなものは一切なかったので驚いた。 各パーツが連動しているわけでもない為、部分部分が少しづつ消耗して壊れていくのならば理解ができる。しかし、まさか示しあわせたように一斉に壊れてしまうとは思いもしなかった。 置き場所もいつもと同じ場所で保管しており、特に何か外的要因が働いたとは考えにくい。 ものの寿命とはよく言うが、突

        • 水溶紙

          床から突き出ている釘を足の親指と人差し指で軽く挟むと 手よりも少しだけ厚い皮膚に少しずつ冷たさが浸透していく 枕の下を泳ぐ水溶紙の矛盾した存在感を 寝ばなにベッドから垂れた白髪で釣ろうとしているが 果たしてそれはかの蜘蛛の糸だったのか 夢現の瞼を嘲り 深い呼吸が毛布を上下させる 呼吸しているのは 毛布か水溶紙かわからないことを 恥じない

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          少しだけ、機械的

          「子供を産むと母親になる」 子供を産む事を子供から、母親から「産んだ事象」として切り離してしまうと、どうもこの「事象」は一人歩きが得意なようで、赤児よりも遥か大きな声で泣き、「対照」に覆いをかける。 本来は母親というものは常に存在していなくて、子供を産んだという事象だけがそこにあり、元からある「対象」は「対象」である。 これは生まれたばかりの子供も同様で、「対象」と「対象」の間で起きた「事象」がそれぞれの「対象」に「役割」を与えたに過ぎない。 常に「事象」は先んじて我

          表現の不必要性と歯磨き粉の飛んだ跡

          私の好きなある作品の中のセリフ。 そのまま引用するよりはどこかで見つけ出して頂きたいのであえて記憶に任せた簡単な意訳のみ。知っている方は不愉快になったら申し訳ない。 「僕は何者でもないことが気に入っている」 「美しいものを見たときに、詩人ならば言葉が、音楽家なら音が、画家であればイメージが溢れて止まらず表現せずにはいられないだろう」 「そういうものたちを必要としないことが結構気に入っている」 「藝術」が、何かを見る眼差しに反転現象を起こし始めたのはいつからだろう。

          表現の不必要性と歯磨き粉の飛んだ跡

          風景の幽霊

          出先で風景を見る。 徐々に輪郭が定まってくる。 焦点を絞りすぎてはいけないし、目を合わせてもいけない。セロハンはもってのほかだ。 それをすると「~のように」「~のような」にとって喰われ、前後を忘れてしまう。 いつの間にか輪郭は固定され、文脈は無くなってしまった。 しかし、文脈のなくなった風景の中でも生き残るものがいる。 例えば、見晴らしの良い山頂で覗き込んだ望遠鏡のレンズの少々のくもりの様なもの。 快、不快にもそれほど触れずに、いつからそこにあるのかさえ全く気に

          いつも西陽の風景

          西陽が差し込んできている 西陽というのは様々な差し込む光の表現の中で風景を連想させる力が最も大きい様に思える。 空っぽの部屋を思う時、必ず西陽が射している 学生時代の理科室のアルコールランプの匂いに射している 木造建築の古い柱の身長を刻んだナイフのあと アパートの壁紙に開いた画鋲の穴 燻んだ色の畳 埃っぽい倉庫  神社の境内 カルキと消毒液の匂いのするタイル床のトイレ ピアノが作る大きい影 放課後の教室 逆光 そこに一人か、誰かといたりするのだけどそ

          私とAIと漢字練習帳が居るね

          例えば、捨てる前に窓際に並べた空き缶やペットボトルに日が当たり、色のついた木漏れ日の様になること。 窓から吹き込んだ風で、壁にもたれ掛かる空き缶を直さずにそのままにしておく事、そしてその角度を覚えておくこと 忘れ物をして急いで戻り、玄関で脱ぎ捨てた靴が天気を予想していたこと。 現AI時代において、グラフ等を使った人間性の可視化はさらに台頭し、分析が頻繁に行われているが、その一方でAIと人間の差別化(区別)も図っていかなければならないとは、なんとも難しい世の中である。

          私とAIと漢字練習帳が居るね

          単語の羅列に詩情性の溢れる

          思ったのはやはりただ単語の羅列にも詩情性があるということ。 とりわけ創作や外面を意識して書かれていないもの。 例えば買い物や外出時におけるメモ ・シャンプー ・ゴミ袋 ・徒歩5分 ・靴屋 ・27.5 ・左に曲がる ・カーブミラー ・3番ホーム というものがあったとして 何を最初に想像するかというと、恐らく一点一点の単語を捉えてそれぞれのものや光景を想像する。 しかし、全体を見ると人の動線が見えてくる。 この辺の読み取りはミステリーなどでもよく出てきていて、通常で

          単語の羅列に詩情性の溢れる

          ふさわしい平和

          忙しない夜の先に ふさわしい平和があった 支離滅裂な言葉を絹で覆った様な そんなふさわしい平和だった 肌触りは滑らかだったけれど しばらくそこに手を置いていると トクトクと脈打つ平和が伝わってきて 私はいつの間にか まつ毛の先を濡らしていた 往来をふさわしい平和が行く 壇上で演説する供給過多の誇大広告 抑圧の為に定義された カーストに則った相応しい幸せ 安楽死機に懇願するだけの渇いた生が 途切れ途切れの包帯を巻いて 喧騒に踏まれ発する声は 遠吠えに近く  千切れる鼻緒

          紙片

          隣の家から昭和歌謡 住宅街の道路で雨に溶けかけたチラシが 日照りで渇いては またタイヤに絡みついて徐々に運ばれていく そのうち街中に落ちてる紙片がアルバム 蹲らないで出てきてさ 風が体の真ん中を通る その感覚教えてよ 何回もさ

          あの純粋な飛行によせて

          とんぼが飛んでいた 飛行の軌跡は鋭角な線を紡ぎ 弧を描かない とんぼの数が増えるにつれ軌跡は立体交差する 近しい幼児が紙に鉛筆で描いた あの沢山の点の交差は とんぼの生を点で追い 軌跡を描いていたのだ その孤独がわかるだろうか その孤独がわかるだろうか いつかのあの純粋な飛行へよせて

          静寂の手触り、情景描写のエスキース

          田舎の静寂  張力のある障子を押してその限界を推し量る様に近づいてくる  しかし決して破りはしない 鼻先にガラス板がのっている様で温度的には少し冷たく 触ると少しだけ粉が落ちて後はサラサラしている 色合いは青 都会の静寂 蚊帳の様な手触りの布で覆う 肌には付かない生地で体とは付かず離れずを保つ 温度は持たないが時折体温が移ることがありやや暖かい ややざらざらだが不快感はない 色合いはやや紫 静寂も年を重ねて少しづつ丸くなる 口に指を当てないで あと

          静寂の手触り、情景描写のエスキース