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【もしも】研究者だったら…?

『もしもシリーズ』7回目

※『もしもシリーズ』とは?
→『もしも』から始まる質問に直感で簡潔に答え、その理由や答えから派生して考えたことなどを掘り下げることにより、自分を表すキーワードを見つけようという試みである


早速始めたいと思います!

Q.『もしも』自分が研究者として生きるとしたら、何を研究したいですか?

A.「心」。

私は白黒ハッキリつけたい性格のくせに、白黒つけられないテーマに関心がある。
いや、その性格だからというべきかもしれない。

まぁとにかく、算数・数学のように答えは必ずコレになる!という質問よりも、答えがたくさん出る可能性のあるものに興味がある。
なぜそうなるのか知りたいのだ。
その中で答え方に傾向があるなら、それは大きい枠としては分類ができるのではないか?と考えると楽しいのだ。

そういう意味では『心』の研究は最高だ。
人の育ってきた環境によって価値観は大きく異なるし、質問者・回答者との間柄でも答えは変わってくる可能性がある。
また、同じ人でも違うタイミングで質問することで答えが変わるなんてこともあるだろう。

それを一日中研究して生計が立てられているのならば、私は幸せだなと思う。

だが、私は心理学の道は選ばなかった。
その頃は心理学より栄養学に興味があったから。

研究といえば大学の卒論を思い出すが、そんな私は栄養学科で何を卒論として書いたのかというと、海外の米と日本の米について書いた。
だが残念ながら、それは私のやりたかったテーマではなかった…。
私は不確実な要素、白黒つけられないテーマである『味覚』について研究がしたかった。
その為にその関連の研究室へ入ったものの、味覚のスペシャリストであった教授が退任されてしまったのだ。他の教授に引き継がれたものの、その変更で色々あって…私はその希望するテーマの研究を研究することはもちろん、見ることすら叶わなかった。
私は何のためにその研究室を選んだのか…と悔しくてやらせない思いにもなったが、扱ったテーマを共に研究した子や教授は大変に良い方達だったので、良い時間を過ごさせてもらったし、無事に卒業もさせてもらってその点は大変感謝している。

おっと…話が逸れてしまったが、
実際には白黒つけられないテーマの研究はしたことがないという話だ。

白黒つけられないテーマでも分類ができるという発見・答えを出すのが研究というイメージもあるが、調べた結果やはり白黒つけられなかったという答えもまた研究の成果物であると思う。

私は人付き合いが苦手だ。
出来ることなら既に心許した人とだけ居たいし、知識を得る為に話を聞くなら、授業や講義のように一方的に聞くので構わない。というスタンス。(完全なヒッキータイプ笑)
でもそんな自分を変えたいと思うことは何度もあって、チャレンジしては大半は失敗して、時に大成功したりしている。

誰しもが出来ることなら失敗はしたくないだろうが、私はその感覚が人一倍強いらしい。
失敗に対して恐怖を覚えるくらいだ。

そんな自分を変えたいと思う時、必ず自分について考えることになる。つまり、答えは出ないかもしれないけれど、自分の『心』を知ろうとするのだ。
なぜそう思うのか、なぜそう考えるのか、なぜそう感じるのか。
深掘りしていくと大体同じ経験・体験に行き着く。
それは自分にとって強烈な心の変化があった出来事だったり、育ってきた環境だったり色々なのだけれど、それらが今の自分の考え方や感覚の根本になっていることが、その深掘りでよくわかる。
それが悪い意味で使われると要はトラウマというやつだ。
良い意味で使われると、幼少期にゆったりのんびり育てられたのがその人の穏やかさのベースになっているという具合だ。

これは知っておいて損はないと思う。
過去に嫌な経験が多かったりすると、思い出すのも嫌で自分についてしれば知るほど辛くなるという人もいるかもしれないが…自分の過去を把握できていれば前に進めると私は思っている。

何かにチャレンジしようとした時、自分の特徴・クセを知っていたら、自分のやる気をコントロールできたり、想定以上の効果を得られたりすると思うのだ。

それは上手く説明できなくてもどかしいのだけれど、自分の経験上、そう思っている。

少し例を出すと、私は好奇心は強くて何でもやってみたがるタチだ。
ただ、上手くいかないことが多かった。それはたとえ結果がでなくても、チャレンジしたことで満足してしまうという私の特徴があったからだった。
知った気になるという程度なのだが、その時はそれで満足してしまう。

この悪いところは中途半端で終わること・身についていないことだ。
その原因は目的と目標がなかったことだと後で気づいた。
これが私の悪いクセ。

根本的な要因は、幼少期にやりたくても手を出せなくて大変後悔したことがあったから。
だから、大人になった今、やりたいと思ったことにはできるだけすぐに手を出そうとする。
ただ、それ自体は悪いことではないと思っている。
大人になると好奇心もだんだん発揮されなくなってきて保守的になる。そんな年代でも好奇心を持てているというのは良いことだと思うのだ。
しかし、目的と目標がないチャレンジは身にならない。それがマズいのだ。

他の人は、はじめにこうしたい・こうなりたいという目的と目標があって、それに対して手段を選んでチャレンジし始める人が多いと思うのだけれど、私はとりあえず『やりたい』が先に来る。
そして、目的と目標を持たないまま始めてしまうから少しかじっただけで満足してしまう。

何事も経験は大事。やってみることも大事だと思っている。それは今でも変わらないが、目的と目標の大切さを私は知った。
他の人と順番は違うが、好奇心があることは大いに結構だから、好奇心の赴くままに始めて、すぐに目的と目標を決めようという方法が私には適していると分かった。

こういう形で、自分の心の動き・クセ・過去の経験・体験について知っていれば、自分を向上させる可能性を上手く軌道に乗せることが出来るかもしれない。

その自分を知る方法については、未だに試行錯誤しているところではあるが(それが人生ともいえるだろうが。)、今のところ私が実践している方法は以下の通りだ。

●手帳をつける
●自分に対する『なぜ?』を愛用する
●ワークシートを使う

ワークシートというと語弊があるかもしれないのだが…そういう自分史や自分の気持ちを可視化する本がある。いやぁ〜探してみると面白いもんで種類もたくさんある。
ただ、それは時間をかけてやりたいと思っているから、なかなか最近できていなかった。
また時間を作ってやりたいと思う。
このワークシート・本を使う利点は、自分では考えつかない視点から質問をされる点。

やはり自分で自分に質問すると、私の考えつく範囲での質問しかできない。
それがワークシートや本を使うと解決できる。
違う観点からの質問はより深く自分を知ることができるからオススメだ。

さて、収まりが良さそうなので、今回はこの辺りで。

あなたなら、
どんな研究をしてみたいですか?

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