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【エッセイ】親の背中

ことわざや慣用句というものは、よく言ったものだなぁと感じるものが数多くある。

その中でも、今日は『子供は親の背を見て育つ』ということわざについて触れたいと思う。

まず意味を確認してみた。


(「子は親の背中を見て育つ」「親の背中を見て子は育つ」ともいう。)
子供は親のまねをして成長するものだということ。子供は周囲の人や物のまねをして育つものだが、身近な親の言動は一番影響を及ぼす。

ことわざ・慣用句の百科事典 より
https://proverb-encyclopedia.com/kodomohaoyanosenakawomitesodatu/

私も二人の子を持つ親だ。この意味は痛いほどよく分かる。
特に、真似して欲しくないところほど、よく見ていて真似される。これはどの親でも一度は経験があるのではないかと思う。

真似されたくない点については、気付いた時に嫌というほど自分の中で反省していることと思うのだが、嫌な点というのは見えれば見えるほど嫌な気持ちになるものだとも思う。
そこで今回は、『真似されたってしょうがないさぁ〜』というマインドにシフトするための、私の考え方を一つお話ししたいと思う。
真似されたくないことを真似されてイライラする!という方が少しでも心が軽くなれたら良いなと思う。


親といえども、一人の人間。
どの年代であれ、誰もが人生一回目の素人だ。
どんな立派な人であれ、完璧な人間など居ないと私は思っている。
いわんや私なんぞをや、だ。

だから、真似っこのプロである子供を相手に、真似して欲しくないところを真似されてしまうということは、ある種仕方のないことだと私は思う。ただ、「こんなとこ真似しないでよね!」とか「あなたは直しなさい」なんて怒るのは筋違いだとも思っている。

その子は身をもって私にその良くない仕草・癖などを教えてくれた存在。自分自身を写した鏡に過ぎない。
真似されなくないのならば、まずは自分が直すべきだろう。相手は真似っこのプロ。直せばきっと、子供はその直した方の姿も真似するだろう。

しかし仕草や癖というものはなかなか直せるものではないのも事実。
真似された部分がなかなかそう簡単に直せるものではないと感じるのなら、もう受け入れるしかない。
ただ、出来るだけポジティブに受け入れたいところだ。嫌だ嫌だという感情を変えよう。

それだけ(真似されるほど)子供が私に注目してくれていた、一緒に居て共に時間を過ごしてきた、という証だと捉えるのはどうだろうか。
「やっぱりあなたは私の子よね〜」と寛大な心で受け入れつつ、他の真似されたくない点はもう真似されないようにと必死に改善に努めるというのが、今のところの私の最善策だ。

行儀などのあまり喜ばしくない仕草・癖ならば、「家の中だけにしときなよ〜」なんて言いつつ、外ではどうしているかなどの、対になる好ましい仕草もきちんと教えておく。
そうしつつ、可能な限り自分は家の中でも好ましい仕草にするよう改善に努める。というのが良いのではないかという考えに至った。

完璧ではないから、その完璧ではないところを真似されても仕方がないと割り切る。ただ、その点は子供というフィルターを通して、他人からどう見えているかを示されたのだと思って、改善に努める。
フィルターとなってしまった子供には正しい姿をきちんと伝えて、もう一度今度は正しい姿を真似してもらえるように自分自身の改善に努める。

この考え方だと、自分の精神的にもダメージが少ないのではないかと感じている。
真似されてイライラするなど何かしらマイナスの感情を抱いている方の心が少しでも軽くなれば嬉しい。

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