社会人の宿命 ③
いつまで続くこのシリーズ。
いつになったら、慣れるの社会人に。
社会人になると気付いたら発している言葉がある。
お疲れ様、お世話になっております、よろしくお願いします。
これらの言葉は専門用語みたいなもので、
ピアノを初めた時にト音記号、四分音符を覚えたように、
数学を習った時にサイン、コサイン、タンジェントを覚えたように、
カレーを食べ始めた時にサンバル、ラッサムを覚えたように、
意味を覚えて使うしかないのである。
この「よろしくお願いします。」ほど便利で、
しかし意味のない言葉はないではないであろうか。
ないのかあるのか。あるのかないのか。
誰かにお願いをするメールの文末に、
「よろしくお願いします。」とくるのは普通だし、意味が通じる。
だが、全然関係ない文脈で、文書が乱暴すぎたり、
中身がなさすぎたりしてすぐ終わってしまいそうになった時の
「よろしくお願いします。」は、一体何をお願いされたのかわからない。
何度メールを読み返してみても、わからない。
わからなすぎるので、隣の人の肩を叩いて、確認したいけど、できない。
なんなら、そのあたりを歩いている猫の手も借りてみたけど、わからない。
行間を読めといわれるけれど、行間には何も見えない。
逆に読みすぎると、とりあえず名前と印鑑だけ貸してくれれば
後はこちらでやりますから「よろしくお願いします。」とも読め、
なんだか訳の分からないうちに借金を抱えた気分になる。
あるいは、冷蔵庫の中には少しの野菜とお肉しかないけど、
あとは適当に「よろしくお願いします。」と料理上手でもないのに、
何か気の利いたメニューを2,3品作らされそうにもなる。
初対面の人と話題に困った時に天気の話をするように、
メールの締めくくりに困った時には、この言葉を使うのだろうか。
考えれば、考えるほどわからない。
(今日の話をどこで終わらせればよいかわからなくなったので、あとは適当に)
よろしくお願いします。
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