見出し画像

日本語教育事情in韓国②&やさしい日本語

今回も前回に引き続き、韓国における日本語教育事情についてお話します。

今回はmioichiさまのほっこりするイラストを使わせていただきました。ありがとうございます^^

韓国で日本語を教えたい方へ

 韓国が好きで、韓国に住んでみたい、働いてみたいという方々のなかには、日本語教師を考えている方もいらっしゃると思います。日本国内では度々問題視されている日本語教師への待遇面でも、韓国では比較的良い条件が提示されることが多いので。

日本国内で日本語教師になるには、3つの道があります。

詳しくはこちらで↓


 しかし、韓国ではこれらの条件がなくても教師になることができます。むしろ、養成講座受講や日本語教育能力試験の合否よりも「学歴」が重要視されています。私は就職氷河期の煽りを受け院に進学し、教育学(日本語教育ではない)修士をとったという日本ではあまり大っぴらにできない^^;;経歴を持っていたために韓国の大学に就職することが可能でした。文系に限らず日本語教育とは全く関係なさそうな理系修士でも採用されていました。(以前はそうでしたが、今は狭き門になってきているので条件が厳しくなっていると思います)実際これまで、大学で日本語教師として働いていらっしゃる日本人のうち、日本の大学院卒だよという方々にお会いしたことがあります。

 日本語学校(塾)の場合、4年制大(語学系、日本語系)卒であれば、就職可能な条件になるんだというお話を、以前、日本語学校で教鞭をとられていた方から聞きました。

 大学だと修士以上が必要となります。しかし、大学の生き残り競争が激しくなっている現在、教師の質向上もキーになっているので、修士より博士が有利ですし、それに加えて日本語教育に関する論文の有無も求められるようになってきています。そのため、韓国で日本語教師として全うしたいと考えている方々は、教師として働きながら、韓国大学の日本語学部に編入し博士まで修める人が多いです。

 4年制大卒じゃないから無理?いえいえ、知り合いの中には、日本の短大卒で韓国の放送大学の日本語学部に編入し学士を修め、韓国の国立大学の日本語学部に進学、博士課程まで修了されたパワフルな方もいらっしゃいますよ^^私も、上司にあたる韓国人の先生より博士を修めるよう助言をいただいたのですが、「論文書くのめんどくさい!」という駄々っ子のような理由でお断りしました。正直、生涯日本語教師として全うしたいという気力もなかったので。(飽き性なもんで;;)

私 韓国で日本語を教えたいんですという方へ


 以前、このような質問を受けたことがあります。「これから日本語教育を学んで、日本語教師になりたいんですが、どう思いますか」韓国人男性と結婚された、韓国在住の新婚ほやほやさんでした。小さいお子さんもいるので放送大学(通信制)日本語学部編入を考えていらっしゃいました。これから準備となると教師として働くまでには最低でも3年ほどかかること、現在の日本語教育需要の低調や日本人教師の高学歴化に因る就職難が目に見えてきている状況だったので、率直にそのことを伝えました。子育てをしながらの勉学も簡単なことではないと分かっていましたし。その努力に見合う成果があるかどうかと聞かれると、完全にNO、おすすめできなかったのです。

 しかし、その方は、日本語教師になるための準備を始められました。きっと「なりたい」という強い思いをお持ちだったのでしょう。そういうガッツ(この表現って死語ですか?)があれば、願う道は開かれると思います。その方とのご縁は、その時1度のみ(知り合いの紹介で一度だけお会いした)だったのですが、それから5、6年の歳月が経ちました。たまに、あの方、教壇に立たれているのかな?なんて思ったりします。

 ここまでは、韓国における日本語教育事情についてお伝えました。ここからは、学ぶ言語としての「日本語」について元日本語教師の思いをつづります。

これからの日本語教育と日本語について思うこと

 韓国で、目に見えて感じた「日本語」需要の低迷。以前は、漠然と「日本語教師」という職の永遠性を感じていました。しかし、今は違います。その国がどれだけ強国なのか?その国の語を学ぶことで自分の人生に有利になるのか?キーは、その点にあります。

 これまでは、経済大国「日本」であったこられたからこそ、海外における日本語教育の需要が高かっただけ。そんな当たり前のことを、私は日本語教師の職に関わることで、ようやく悟れたのです。これから、この流れはどうなるだろう?それは、これからの日本の頑張り次第といえるかも知れません。

 反面、日本国内における日本語教育の需要は、高くなると思われます。少子化加速による、労働人口減少への対策「技能実習生制度」でよく知られている、「外国人を日本に招く」という流れは、よほどの理由がなければ、しばらく続くでしょう。以前、久々に日本へ行きビックリしたことがあります。それは、コンビニの店員さん、かなりの割合で外国人なんだってことでした。今じゃ、ごく普通の光景になっているようですね。日本語教育だけでなく、彼らの生活をサポートする制度も、これから更に充実させていく必要がありますので、この分野における専門家の育成も行われているようです。

日本語は難しすぎる

 経済大国として堂々と君臨していた日本。今ももちろんその経済的影響力は健在ですが、ニュースやSNSを見ていると、自国に対して斜陽感を感じている方が少なくない雰囲気が伝わってきます。戦後、いわゆるモノがなかった時代から現在の経済大国の礎を築いてきた祖父母世代、親世代の頑張りのおかげでここまで素晴らしい国になれた。私たちはその恩恵にあずかっている世代であり、今度は子や孫世代に「ここに生を受けて良かった」と思われるよう動かなければ、本当に明るい将来が見えなくなるかもしれなません。

 少子化が進んでいる状況をみると、もう日本人だけで日本を支えることが難しくなることは明らか。「日本」という会社を上手くまわすためには、日本で働いてくれる外国人との円滑な共生が求められてくるでしょう。その際、通過しなければならない課題のひとつに「日本語の難しさ」があると、私は思っています。

 英語を世界のコミュニケーションツールとし、世界の覇権を握った英語圏の人。それが可能だった理由のひとつに、やさしいグローバル英語の存在があります。詳しくはこちらに書かれていますのでどうぞ^^↓

 ネイティブが話す英語ではない、英語が母語ではない人たちでも使えるようなシンプルなグローバル英語。様々な人種が共生している米国。米国の大統領は、ネイティブ英語ではない、誰でも理解できるやさしいグローバル英語を使わなければならないという話を聞いたことがあります。また、英語圏ネイティブの方々は、外国で英語が母語でない非母語話者に対してはこの「やさしいグローバル英語」を使います。

 外国人との共生が普通になってくるだろう近い将来、日本人もまた英語のように「やさしいグローバル日本語」を使い分けるそんな配慮が必要になってくると思います。なぜなら、日本語はめちゃくちゃ習得が困難な言葉だからです。日本語を教えながら、本当にそのことを痛感しました。文字が3種類、形容詞や動詞の形が変わる、ネイティブにも難しいほどの複雑な体系を持つ敬語。数え上げればきりがないのですが;;教えるにも、相当骨が折れます。

「やさしい日本語」

という概念があります。ご存じの方も多いでしょう。「やさしい」は「易しい」と「優しい」を掛けた、何とも日本人らしい発想の表現ですね^^

この新しい概念は、弘前大学社会言語学 佐藤和之氏により考案されたものです。詳しくはこちらで↓

「やさしい日本語」が開発された背景には、95年の阪神淡路大震災の際、在日外国人が、避難所の場所などの命に関わる情報が理解できず、困難な状況に置かれたことがあります。一刻を争う状況にて多言語に通訳、翻訳するのは無理な話。非常時には、初級日本語レベルの外国人でも理解できるような「やさしい日本語」を使うようにしよう。という考え方に基づき考案されました。

 「やさしい日本語」と言われても、正直私たちは、日本語を母語としているため、実際にどんな日本語が外国人にとって難しいのかがわからない。なので、「やさしい日本語」を作るための、「難解な言葉は使わない」「あいまいな表現は使わない」など12のルールがあります。

検索してみると、すぎすぎさまのnoteに「やさしい日本語」について詳しく書かれた記事があります。関心お持ちの方は、ご覧になってみてください^^

 この概念には、「減災」という目的が強いです。しかし元日本語教師として思うことがあります。それは、非常時だけでなく、在日外国人と関わる日常の中で(特に職場にて)、私たちひとりひとりが「やさしい日本語」を使っていく必要があるのではないだろうか。日本のために働いてくれる彼らが日本に馴染めるよう、私たちは配慮するべきではないだろうか。ということ。

 そう考えるには、ビジネス日本語と言われる日本人でも難しいと感じる「敬語」の存在があります。日本語と近い言語系統と「敬語」の概念を持ち、使いわけることのできる韓国人でさえも、「内と外」を重要視する日本敬語を難しがります。(ちなみに韓国敬語は、年齢の上下のみで使い分けます)

 災害時のための「やさしい日本語」にまでやさしくする必要もありませんが、尊敬語や謙譲語なしの普通の「ですます」体じゃダメなんでしょうか。日本の敬語が相手に「敬」の態度を表すための美しい言葉であることを否定するつもりはありません。が、日本人だけによる自国のみでの産業と消費が完結できない状況になってくれば、いずれは「グローバル日本語」としての「敬語」のあり方や厳格なビジネスマナーの簡略化も、共生課題のひとつにあがると思います。


 たかだか10年余ほどの教師経験しかない私が、偉そうに語ってしまいました。;;ここまで書くつもりありませんでしたが、ついつい力が入っちゃいましたね。ご精読くださりありがとうございます!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?