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人生の全体性を取り戻すこと。

この記事について

こんにちは、平塚です。この記事は、武蔵野美術大学大学院造形構想研究科修士課程造形構想専攻クリエイティブリーダーシップコース(以下「本研究科」といいます。)の科目である「クリエイティブリーダーシップ特論」(以下「CL特論」といいます。)における令和3年9月13日(月)に開催されたCL特論の第10回のエッセイです。最前線でご活躍される方の連続講演イベント第10回のスピーカーは医師・医学博士である稲葉俊郎様です。現在は、軽井沢病院でお仕事をされています。

講演内容について

先に申し上げておくと「こ、これがクリエイティブ・リーダーシップなのか…?」という印象で最初から最後まで講演を拝聴させていただいておりました。「こころで見なくちゃ物事は見えない」系のお話かなと受け取っております。熊本高校関連で花まる学習会の高濱様らともつながりがあるとのことで、以下のような部分が重要な共通感覚なのかなぁと勝手に思いました。

新型コロナの責任者もやっていて、ついさっきも新型コロナウイルスに対応していました。僕はもともと東大病院にけっこう長くいて、去年ぐらいから軽井沢のほうに移住しているんですけど、それまでは循環器っていう心臓の専門の医者をしてたんですけど、どうも本当に自分がやりたかったことではないんじゃいないかという気がしまして、色々な流れの中でこちらに来て、ちょうど 2020 年の 3 月 11 日に引っ越してきました。もともと 2011 年の「3.11」は僕の中で象徴的な日々で、東日本大震災のボランティアに行って、そのあたりから自分の生きる方向を自分の中で見直して統合させようと思った日々でした。9 年後に軽井沢に引っ越してきて、新型コロナウイルスが流行しだす前くらいに東京〔で理想だと感じていない仕事をし続けること〕が限界だと思って移住してきました。
〔…〕
「新しい医療の場」というのを考えた時に、自分も東大病院の中で色々な東大のシステムにうまく介入して東大という象徴的な場所でそういうことをやれば色々変わるんじゃないかと思って頑張ってやろうと思ったんですけど、やっぱり色々な厚い壁があって、なかなかうまくできない。色々な人たちがいるので別に僕が思っていることをみんないいなんて誰も思ってくれなくて、なかなか評価が得られなかったことがありました。その時に僕はずっと考えたのは、自分が本当に理想と思うことを実現しようと思ったときにそれを実現できるように今の環境を変えることが果たしてできるのだろうか。もし実現できないんだとしたら自分が実現できる場所に異動すべきなんじゃないかということで、結局、そういう問いに自分の中でぶちあたったんです。僕は東大を変えられると思っていたんですけど、変えられないとわかった時点で、そこで「自分では理想を持ってたけど結局できませんでした」とか「なんとなく頭の中で考えたんですけどね」みたいなことを言って満足して死んでいくのか、それともそれを本当にやれる場所に異動して私はやるんだってほうに行くのかとなったときに、いますぐできる場所に異動して本当にやりたいと思って、それで来たのが軽井沢だった。
〔強調引用者〕

前回のスピーカーの関様もそうでしたが、稲葉様も東日本大震災が自身の活動のひとつのターニングポイントになっているようです。福島や文明のことを考えつつも、ゼロからどうやって生きていくか考え直したとのことです。

稲葉様は様々な活動をされていることもあり、活動や思考の捉えどころが難しいと私は感じております。本当に様々な領域のお話をしてくださいました。たとえば、伝統芸能の能が、人の生死や震災の鎮魂、外国旅行での自国の文化意識、医療とそれぞれつながっていたりしており、とてもとても Connecting the Dots なかんじです。錯綜する網の目ですね。他人のそれを短時間で正確に追いかけるのは容易ではない…

コスモポリタニズムなのか、ガイア理論なのか、全然別の何かなのか、私には判別がつきませんでしたが、ミクロ事象とともにそれと連動するとされるかなりスケールの大きい話も展開され、「地球が何かバランスを崩している」、「地球という存在をどれくらい意識して生きていけるか」、「地球という資源を使って生きているということ」、「人間は必ず自分の見た世界に偏りますが、自然は永遠に中立の存在です」など、印象的な語りがありました。いやいや、宇宙・エントロピー論を経験したいま、何が来ても驚きませんよ、私は。

今日話そうと思っている全体的なテーマになりますけれど、イメージの断片ですけど「人生の全体性を取り戻す」ということを医療従事者としてすごく大切にしています。つまり僕らは生まれて生きて死ぬというサイクルの中にいて、私たちの一瞬一瞬という一コマというのは、必ず人生という大きな絵巻物の中の一場面なのです。そのことを常に意識しない限り、なぜいま私がここにいるのかとか、なぜ私がいまここで悩んでいるのか、私はどこからやってきてどこへ向かうのかとか、永遠に謎のままなんですね。ですので、自分はどういう人生の全体性を生きてるのだろうということを常に読み解きながらぜひ生きていっていただきたいと思います。それは誰かがやってくれる話ではなく自分でしか読み解けないものです。自分の全体性のある地図、何のためにいまこの瞬間、この喜びと悲しみがあるのか。〔強調引用者〕

理解しやすそうでいて、ものすごく理解が難しいことをさらっとおっしゃいますね……ちょっとパラフレーズしましょうか。いや、まぁこういうのは「頭で考えるな、心で感じろ」なものではあるのですが。

犯罪被害者支援のケースなどでも見かけますが、〈外傷的な出来事〉により人生の「物語」が崩れた状態からその人の「物語」を回復する試みが行われることがあり、それは物語論 narrative approach と呼ばれます。ここでは回復する「物語」は本人の人生の〈全体性〉と整合していなければ本人の中で「本人の物語」として維持し続けられません。犯罪被害者のケースについて言えば、なぜ私が被害に遭ったのか、なぜ私だったのか……と、本人はずっと苦悩するわけです。もちろん、本人は状況についての論理的説明や因果論的な説明を求めているわけではありません。犯罪被害者のケースは極端ですが、これは何も犯罪被害者に限った話ではなく人間一般について認められる話であり、多かれ少なかれ各々〈全体性〉を喪失した状態の上でそれを克服するある種の構えを採用しています。講演中にご紹介くださったご祖父様のシベリア抑留のケースも同様かもしれません。なぜ私が生き残ったのか、なぜ私だったのか……と、そう苦悩したのではないだろうかと拝察します。このような過酷なケースでなかったとしても、たとえば、なぜ私は資格試験に落ちたんだとか、なぜこの仕事をやっているんだとか、そういうレベル感のことは多くの人が感じることだろうと思います。そして、「物語」の回復は、たしかに誰かがやってくれるような話ではなく、自分自身でしか構築できないものです。この意味で、どちらかといえば(「他者を通して」「他者に伝える」という隠れた前提条件の下で)自分で気付くべきことだといえるかもしれません。フロイト曰く「それがあったところ、そこに私はあらねばならない」。講演テーマの表現を借用して言い換えれば「全体性があったところ、そこに人生があらねばならない」といったところでしょうか。もしかしたら人生の終端まで弁証法的に進行することになりますかね…

そこで、稲葉様の場合は、全体性を取り戻す新しい社会の一環としての医療のあり方を模索しているとのことでした。

〔書籍の出版について〕僕の自分の中で一番表現できる手段は言語化するということだなとわかってきたので、何を解決したいのか文字にすることによって、言葉として共有したいと思った。〔…〕医学部の学生時代からずっと考えてきた問いがやっと言語化できたものなんです。ハタチくらいのときから考えて 18 年くらいかかりましたかね。僕が医学部で勉強している時になんか違うなとずっと思っていたんです。僕が勉強したいことってこんなことではないな、と思っていたんですけど、それを当時の東大の教授に言ってもなんか全然ピンと返事が返ってこないんですね。たとえば、東洋医学とか、インドのアユルヴェーダ医学とか、イスラムのユナニー医学とか、なんでそういうのを勉強をせずに西洋医学だけ勉強するんですか、もっと東洋医学とか勉強したいですし、もっと 3000 年前くらいの人たちが何を医学で勉強していたことを知りたいんですけどなんでそういうの医学部でやらないんですかと聞いても、そんなの迷信だし、そんなのエビデンスがないし、何の勉強する価値もないと、さんざんコケにされて僕は正直当時ムカッとしたんですね。本当にそんなくだらないことをみんな追求していたのかなと思って、教わっていることが嘘なんじゃないかと全然信じられなかったんですけど、でも自分の違和感を言い返せなかったんです。それがずっと僕の中でもやもやっとして残っていた。それがやっと言葉にできたのは、この本なんです。何かって言うと、医学部で学んでいたもの、医者になってやってたものっていうのは全部「病気学」なんです。つまり「病気とは何か」ということです。僕は本当に知りたかったのは「人間の健康とは何か」、つまり「健康学」だった。〔…〕いまの医学に欠けているのはそこなんじゃないかということをやっと言語化できた。ということでですね、〔…〕自分が何を考えているのか、自分が何に違和感を感じているのかということを考えるために言葉にするのは大事なんです。文章にしてみることによって、自分が何に違和感を感じていて、何を追求したいとか、何を人々と共有して、どういう世界をつくりたいのかが明確になります。ですのでみなさんも〔…〕そういうことを文章にしていってください。〔強調引用者〕

……なるほど。私の場合、これですかね。

(執筆者:平塚翔太/本研究科 M1)

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