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英語ができない私が海外向けビジネスで起業できた理由

こんにちは、ICHIGOの近本です。
海外に向けて日本の商品を毎月オリジナルボックスに詰めてお届けするサービス「TOKYO TREAT」などを提供しています。

会社員時代からの夢を叶えて気づけば丸7年が経ちました

会社員時代からの夢であった起業家になりたい!という想いを実現し、気が付けば今月で丸7年が経ちました。

2015年3月に自宅マンションで2人で始めたビジネスが、気が付けば 従業員数80人、年商40億円までのビジネスにまで成長させることができました。

最近新規事業を立ち上げるにあたり、ビジネスインタビューを受ける機会が増えて、改めて自分たちの歩みを振り返ってみるんですが、本当にここまでの規模になるとは全く想像していませんでした。

それも、ターゲットはいきなり日本国外。

もちろん、勝算があると思ってスタートはしました。

こっそり告白すると、私、英語ができないんです。

いえ、大学受験はしているので、一定レベルはできますが、ビジネス英語ペラペラ~、海外経験豊富!なんてことはなく。取材いただいた記事をみると英語堪能っぽい雰囲気に仕上げていただいていてありたがいのですが(笑)。

そんな私が立ち上げた会社に、いまや外国人スタッフが50人もいるんですから、魔訶不思議ですよね。

自分の日常のなかでの目線で見つけた起業の種

もともと、私はある企業に新卒で入社後、国内ECに関わっていました。

ECへの興味は実は学生時代からで、友人が起業した会社を手伝いながらECビジネスの現場で働く手ごたえを掴んだことで、ゼロからイチを創り出す起業の面白さに触れ、いつか自分も起業家になりたいなあ、となんとなく思うようになりました。


社会人として就職したリクルートを選んだのも、退社して起業家となる人も多いことで起業家輩出機関とでも言いましょうか、会社としてもそれを応援してくれる文化がありました。

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社会人としては最初に美容媒体の営業として、広告の新規営業や原稿作成を経験したのち、新規事業として当時アメリカで注目されていたフラッシュマーケティングモデルのEC事業で企画を担当させてもらいました。


商品の購入にあたり、たくさんの購入希望者が集まれば価格が安くなるというこれまでの日本にはなかった仕組みは、クライアントからも高く支持されていました。残念ながらそのトレンドは長くは続かなかったですが、多くのことを学ばせていただきました。

そこで思ったのは、国内向けのECはライバルが多く、大きな企業であっても予算を投じてもそれに見合う利益を確保することはなかなか難しいという現状でした。

そんな日々新たな試行錯誤の業務のなかでも、起業への夢を持って、いつもその種を探すことは続けていました。

そしてある日気づいたことの一つが、外国人観光客の増加です。
会社の拠点が東京駅や銀座にあり、どちらでも外国人の方に遭遇する機会が増えていました。日本政府観光局の訪日外国人旅行者数を振り返ってみても、2013年が約1000万人、2014年が1300万人、2015年は1900万人超と日本を訪れる観光客が実数のうえでも増えていて、その肌感覚は間違っていませんでした。

ショッピングを目的にしている方も多く、お土産を膨大な量を買う「爆買い」という言葉で呼ばれはじめたのもちょうどこの頃です。

この様子を見て、「海外の方向けに日本のものを販売したら、国内でやるよりは需要であったり、マーケットがあるんじゃないかな」という想いが浮かびました。

これが1つめの種でした。

苦手な英語力を補う最強のパートナーとの出会い

まだ起業とは至らなかったのですが、会社は一旦退社。
フリーランスとして会社員時代のお客様の集客のコンサルティングやWebメディアのディレクターなどに携わっていました。

当時も国内向けECで得た経験をもとに、海外向けの「越境EC」をやってみたいという想いは持ち続けていました。

そんな中友人の紹介で出会ったのが、共同創業者となったデビッドでした。

彼は中国系インドネシア人で、日本にも10年以上住んでいて日本語はペラペラ。彼と自分の展望を語るなかで、彼自身もアメリカに留学していたときに日本のお菓子やカップラーメンを食べたいと思っても手に入れられなかったことがあると共感してくれました。

「日本のものは日本人が思っている以上に面白い、海外の人に絶対に受ける」

というデビッドの言葉に勢いづき、そこから一緒に立ち上げようということになりました。

で、ここで問題になるのが冒頭で告白した私の英語力です。

ECに関する知識や経験はあるのですが、ビジネスレベルの英語力があるかと言うと全く対応できません。一方、デビッドは4か国語が堪能で、海外の文化や趣味・嗜好もよくわかっていた。

お互いの得意分野を活用する形で、2015年3月にICHIGOの前身となる合同会社を立ち上げました。

そんなわけで、英語力はそこそこは向上しましたが、デビッドとの出会いによっていまだペラペラにならないまま、越境ECの世界でICHIGOを成功へと導くことにつながったのです。

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共同創業者のデビッド・アシキン

サブスクリプションというビジネスモデルの発見

海外向けにまず最初にやるならば何がいいのかと考えたときに、デビッドと相談してお菓子がいいのではないかという話になりました。

先のデビッド自身の経験に加え、海外に行く際に友人に何が欲しいかと聞くと、お菓子を買ってきてほしいというリクエストをよくもらうと言うのです。

荷物を送る際にも、日本限定の味、日本に行ったときに食べたものが美味しかったものを送ってほしいというリクエストを受けるという話から始めたのが、最初のサブスクリプションボックスの「TOKYO TREAT」でした。

デビッドはエンジニア出身なのでサイトは彼が作り、英語でのマーケティングとカスタマーサポートを担当。私は商品の買い付けと選定とパッキング。大きく分けで対海外のものをデビッド、国内の書類作業も含めたものを私が担当していました。

2015年3月にとりあえず個人事業主として手探り状態で始めたのですが、初めて2,3ヶ月後にはある程度売上が出て、8月には会社の形にしました。

越境ECをやるのは前々から決めていたがどうやって売るかというのは大きなポイントでした。そこで選んだのは、サブスクリプションというモデルでした。

会社員時代に携わったフラッシュマーケティングの例のように、アメリカで流行ったトレンドはいずれ日本でもその波がやってくる、というセオリーに従うならば、次に何がくるのか。ビジネスモデルは起業においてのキモで、単純に海外に売るのであればAmazonや楽天などやっている会社がすでにあります。

新しいビジネスモデルはないか?と探していくなかで、アメリカで2014年~2015年に起きていたのがサブスクリプションのブームでした。

日本人の私としては「何それ?」という感じでしたが、アメリカでは男性用のカミソリをボックスにセットし、翌月以降も替刃とシェービングクリームを届けるといったサービスが人気となっていました。ほかにも、マーベルのアメコミのグッズ、生鮮食品とレシピなどがあり、そのなかでもお菓子のサービスを提供している会社もありました。

そこでマーケットニーズがあるなと感じ、お菓子をサブスクリプションのモデルで売ろうと決めました。

そこでもう1つこだわったのは、日本人が思う本物の日本を海外に届けるということです。

マーケット調査をするなかでサブスクリプションでお菓子を届ける会社はすでにいくつかあって、日本のお菓子を取り扱っている会社もありました。しかし、いずれもセレクトしているのは日本人ではない外国人。日本のものといいながら韓国やアメリカのものが混じっていたりと、その違いに気づいていないようでした。

絶対に日本人がキュレーションをする、ということにこだわり、スタートは私が選んでいましたが、7年経ったいま別のスタッフになってもそのこだわりは変えていません。

また、お客様への価格のわかりやすさを提示するため、送料も込みの価格とするFree Shippingを設定。世界中どこへでも同じ価格でお届けすることで、より選ばれる商品になったのだと思います。

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創業当時の梱包の様子。マンションの1室からのスタートでした。

いまでは珍しくなくなった「越境EC」という分野に挑戦し、気が付けば7年が経ちました。この春にはまた次の波として見つけた新しい分野に挑戦しようと思っています。

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