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憧れの背中と。

最近、自分が医療ソーシャルワーカー(長いので以降はMSWと略す)を目指すようになったきっかけとか目指す理由とか、そういったものを振り返ったり、ふと考えたりするようになった。それは自己理解がしたくて、自分自身とちゃんと向き合いたくなったから。

前にも書いた通り、MSWを目指すようになった1番のきっかけは高校1年の時にみていたドラマのコウノドリだった。初めに助産師に憧れて、でもそれは現実的じゃなくて諦めて。何周もドラマをみているうちに、MSWと出会った。それが最も大きいきっかけ。助産師になれないことがどうにも悔しくて、未練があって。それでドラマを何周もしてた。私のその未練が、自分でも目指せる専門職があることを教えてくれた。あの時はすごい嬉しかった。この頃はちょうど助産師以外の夢が見つからなくて、もう高卒で就職しようって投げやりになっていた時期だった。高校の勉強を頑張る理由も見い出せてなかったから余計に、ずっと探していた物をやっとみつけた!みたいな気持ちになったのを覚えている。

MSWと出会ってからは、それについてひたすら調べることに時間を費やした。年収とか実態とか、みたら目指すのを辞めたくなるようなことばかりを、あえて狙って調べていた気がする。現職の方々の文句で溢れたサイトをみたし、お給料と仕事量に対する愚痴を何個もみた。良いことを書いている人の方が圧倒的に少なかった。でも私は、そんな現状を知ったからこそ、MSWに対する淡い期待を、早いうちから捨て去ることができたんだと思う。それと同時に、本気で目指そうという覚悟が私の中で芽生えた。

そしてもうひとつ。大学生になって分かったことがある。それは、私は自分でも気づかないうちに、働く父親の姿に憧れていたんだってこと。父親は社会福祉とは全然違う職に就いている。でも、人の人生を覗いて、その人生に関わっていくという点では、社会福祉に近いと思う。そんな父親の真面目で、人から頼りにされて一緒に悩んで、最後には感謝される姿に、いつの間にか影響されていたんだと思う。休日も関係なく忙しそうにしている時があるし、大変そうだなっていつも思ってみていたあの姿。理不尽なことだらけだなって思いながら聞いていた父親の話も、休日とか関係なく鳴り響く着信も、近くで見ていたら普通は嫌になるものだと思う。でも私は、そんな父親に憧れてしまったんだと気づいた。

父親の仕事も、社会福祉のように専門の法律が絡むもので。改正される度に勉強し直している姿、正解がなくてため息をつきながら何かを調べている姿、ずっと自室にこもって分厚い専門書を読む姿。そんな父親を、私は幼い頃から見てきた。私が高校受験を迎えた時も、隣の部屋では父親が仕事をしていたし、大学受験の時も、同じように2人それぞれの自室で勉強をしたり、仕事をしたりしていた。私がどこか心強さを感じながら勉強できたのは、父親のそんな仕事に対する姿勢のおかげだったんだと思う。それでいつの間にかその姿を、背中を、追いかけるようになっていたんだなって。思春期真っ盛りの頃は、反面教師にしようって思うことが何回もあった。なのに今は、尊敬の対象になっている。これは私の成長の影響もある気がする。

1年生の今の段階で、不安に思うことで溢れているこの先の学びたち。本当に自分は無事に卒業して、国試を受ける資格を得ることができるのか。考えてしまうと不安はどんどん膨らむし、悪い方に進んでしまうような気になってしまって苦しくなっちゃう。だから、なるべく先の未来を見過ぎないようにしている。MSWになりたい。ただその想いだけで進んでいきたい。息抜きしながら、立ち止まりながら、そしていっぱい寄り道しながら。その道中でMSWになりたいっていう気持ちだけは、最後まで失くさないでいたい。

憧れの存在に、近づきたい。
たとえ大変なことだとしても。
それがよくないことだとしても。


真摯に仕事に向き合う姿を、
私は一生忘れられないと思うから。

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