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白洲正子に導びかれて、台風の日に滋賀の日吉大社へ行く/一日一微発見391

8月16日は京都の送り火の日だが、その日は僕の誕生日にもあたっているので、もう何十年もこの日は京都ですごすことを習慣にしてきた。
今年は同時に、なぜか足をのばして小旅行をもしたいと思った。

すぐに思いついたのは、ちょうど自分の中で能楽についての興味が高まっていることもあり、滋賀の近江猿楽のふるさと、日吉大社に行きたいなと閃いた。
とりわけ中沢新一の著書『精霊の王』が、神社システムの成立以前の精霊信仰を金春禅竹が能にひきついでいることを活写していたので、日本の精神の古層に触れる旅をしたいと思ったのである。

加えて、湖西の雄琴では親がわりにお世話になってきた長老(85才)が顔を見せよと再三言っていたし、その近所にある日吉大社が、僕を呼んでいる気がした。

滋賀と言えば、白洲正子さんである。
彼女は希代の目利きであり、精神求道の旅人であり、僕は大学生の時から彼女の『全集』を愛読してきた。その後も、古書店でみつけては読み継いできたのである。

ずい分前のことだが、白洲さんの最晩年にお電話でお話しさせていただいたことがある。

ちょうど勅使河原 宏さんが『利休』を監督し、そのシナリオを赤瀬川原平さんが書いた。その赤瀬川さんのことを白洲さんが絶賛していて思いついたのだ。赤瀬川さんは「オブジェを持った無産者」以来、モノに起点をおいた前衛芸術家であり、そのモノに対する眼と古美術の眼は同じかどうかという問題であった。

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