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~第200回~「これまでの2500年、これからの2500年。」

関東の荒川流域を中心に、北海道から鹿児島まで約280社ある氷川神社。
その総本社が大宮の武蔵一宮氷川神社です。
第5代孝昭天皇の御代3年(紀元前473年)4月未の日、水豊かな見沼を抱くこの大宮に創建されました。
令和10年(2028)には御鎮座2500年を迎えます。
その御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、稲田姫命(イナダヒメノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)です。

「氷川」とは、古語で「神聖な泉」の意味。
清らかな水あふれる見沼の泉への信仰を今に伝える言葉です。
氷川神社への信仰とは、御祭神への信仰であると同時に、自然と共に生きる日本人の、その自然に対する敬意でもあるのです。
また、出雲族が武蔵国に移ってきた際、出雲の大河である斐伊川(ひいかわ)に想いをはせて氷川(ひかわ)とした、とも言われております。

そのような御祭神と自然への敬意や、出雲への想い。
さまざまな祈りを託された武蔵一宮氷川神社は古来「大いなる宮」と称えられ、これが地名「大宮」の由来となりました。

また、日本武尊(ヤマトタケル)が東夷鎮定(東征)の際に祈願をされたのも武蔵一宮氷川神社。
この時、氷川神社を詣でたことでヤマトタケルの足の負傷が治り、立てるようになったことから、「足立」の地名が生まれました。

その後、第13代成務天皇の時代(2世紀)に出雲から移住してきた兄多毛比命(エタモヒノミコト)が初代武蔵国造となり、第45代聖武天皇の時代(8世紀)に武蔵一宮と定めされ、ますます貴族や武家、地域の信仰を集めます。
特に、御祭神・スサノオノミコトは民間信仰へ拡がります。
八岐大蛇を退治した勇ましい神であると同時に、初めて歌を詠んだ和歌の神として、そして疫病を防ぐ神として、養蚕や樹木の神として、広く民間信仰を集めるようになり、特に疫病退散の神としては全国で「茅の輪くぐり」「蘇民祭」「祇園祭」「八坂祭り」「天王祭」などの祭礼文化を育みました。

古代から中世、近世を経て近代。
明治元年(1868)、明治天皇より武蔵国の鎮守勅祭の社と定められ、祭政一致の詔を賜りました。
武蔵一宮氷川神社は近代国家への幕開けの証人となりました。

そして現代、2500年前の古代から変わらずに祈りの場であります。
氷川神社は未来へと続いていきます。

〔 Word : Keiko Yamasaki  Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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