『私の秘密』春風亭いっ休

八っつぁん、熊さんといった、いつもの若い連中が集まって、伊勢屋のご隠居の噂話をしております。

「あそこの隠居はいつも良いナリして良いモン食って、ひょいと見るってぇとブラブラ遊んでばかりいて仕事もしてねぇようだけどさ、どうやって食ってるんだろうね?」
「事によるってぇと、泥棒なんじゃねぇか?」
「ハハハ、そうだそうだ、そうに違ぇねぇや」
「いや待て。……笑い事じゃねぇかもしれねぇぞ。俺はこの間あそこの隠居の所へ行って、妙なものを見たんだ。隠居が壺の中を覗き込んで、見たこともないようなうっとりした顔をしてたんだよ。ところが俺が入って来たのに気づいたら、その壺をサッと体の後ろに隠してちまった。事によると、あの壺には盗み貯めた金が入ってるんじゃねぇか」
「それだったら俺も見たことがあるぞ。同じように、壺の中を覗き込んでニヤニヤ笑っていて、俺が入って行ったらサッと隠しちまう。俺が、それ何が入ってるんですか?と訊いたら、梅干しだと言っていたけれど、あれは梅干しじゃねぇな。見せて下さいよと頼んでも頑なに見せてくれなかったし」
「そりゃ怪しいな。で、その壺ってのは普段どこにしまってあるんだい」
「俺、見たことあるぞ。隠居さんの住んでる離れの押入れのさらに奥に小さな隠し戸があって、そん中にしまってあるんだ」
「ますます怪しいぞ。こりゃ事によらなくても、本当に盗んだ金が入ってるのかもしれねぇな」
「あの鼠小僧の次郎吉っての、まだ捕まってねぇけど、実は隠居がそうなんじゃねぇか」
「なぁ、隠居さんの留守にコッソリ壺の中身を見てやろうぜ」
「そうだそうだ」
「そうしよう」

ってんで話がまとまって、日の暮れ方、ご隠居さんが留守の隙に、皆がコッソリ離れに忍び込みます。もはやどっちが泥棒だか分かりません。

「押入れの奥の隠し戸…あった! この壺だな……。ん? ずいぶん軽いぞ。大判小判なんか入ってないみてぇだ」
「いいからこっちへ出して、蓋を開けてみろ」

壺の口を覆っている木の蓋を取って、八っつぁんが中を覗き込んだ途端、

「ウワアァーーーッ」

と叫んだかと思うと、泡を吹いてひっくり返ってしまいました。その拍子に足で壺を強く蹴飛ばしてしまい、壺が柱に当たってパリンと割れる。途端に部屋中に、途轍もない刺激臭が漂いまして、

「ウッ、くせえ!!」
「何だこりゃあ!!」

叫びながら、皆がバタバタと気を失っていきます。

………………
「気が付いたかい」
「ハッ。隠居さん! あっしは一体……?」
「気を失っていたようだね」
「思い出した。皆でこの離れに忍び込んで壺を見つけて、中を覗いた途端に八公の野郎がひっくり返ぇって、壺が割れて、信じられねぇような酷ぇ匂いがして、そのまま……」
「そのようだな。八っつあんも熊さんも、皆気が付いたようだね。気分はどうだい」
「ええ、まだ少し頭はクラクラするけど、大丈夫です。それより隠居さん、あの壺は一体?」
「うん。とうとうあたしの秘密をバラさなきゃいけない時が来たようだ。店の奉公人も、せがれ夫婦も、死んだ婆さんでさえ知らない秘密だ。聞いてくれ。あの壺の中身は……オナラだ」
「オナラ!?」
「あたしは子供の頃から、オナラの匂いが好きで好きでたまらないんだ。もっと具体的に言うと、臭いオナラを嗅ぐと性的に興奮する」
「うわ……聞きたくなかった、隠居の性癖……」
「自分がオナラをしたら、それを掌に握って鼻の前まで持ってきて嗅ぎ、人がオナラをしたら、すぐさま近くに寄って行って嗅いだ。もちろん誰にも知られないようにコッソリとな。ちなみに、死んだ婆さんと結婚したのも、見合いの席で婆さんがうっかりオナラをしてしまった、そのオナラが凄く臭かったのが決め手だ」
「……婆さん、その事実を知らないまま死ねて本当に良かったですね」
「ところがそのうちに、並のオナラじゃ満足できなくなってしまった。なるべく臭いオナラを出すために、あたしや店の者の食事を工夫し始めた。獣の肉を食うと臭いオナラが出ると本で読んでは、毎日ももんじ屋から取り寄せ、ニラやニンニクを食うとオナラが臭くなるという噂を聞いては、裏庭を一面ニラとニンニクの畑に変えてしまった。毎日毎日、獣肉とニラとニンニクを食べた続けたせいで、あたしも家族も奉公人も、腸内環境が最悪になり、ついでにやたらと精が付いた。店じゅうにオナラの悪臭が漂い、客足はだいぶ遠のいたが、あたしは満足だった」
「店の商売よりオナラを優先したんですか」
「ところが、また十年も経つと、それでも満足できなくなってしまった。そこであたしは考えた。一発分のオナラで満足できないなら、何百何千発ものオナラを貯めて熟成させてから嗅げば良いんじゃないかと。それからあたしはこの壺の中に自分のオナラを貯め始めた。オナラが出そうになると、壺の蓋を開けて、中にオナラをして、すぐに蓋を閉じる。それを繰り返して三年後、初めて壺の中の匂いを嗅いでみた。頭が朦朧として気を失いかけるほどの匂い! 間違いなく過去最高の匂いだった。それからも何十年と、この壺にオナラを蓄えては、たまに中の匂いを嗅いでいたんだ」
「はぁ……隠居さんにそんな秘密があったんですか」
「あたしも皆に話しちまって、却ってスッキリしたよ。さ、今日はもう遅いから帰った方がいい」
皆がゾロゾロと帰って行き、一人になったご隠居さん。
「とうとう秘密がバレちまったか。もうあたしの威厳も人望もガタ落ちだな。でも、もう一つの秘密がバレなくて良かった」

例の隠し戸の隣の、もう一つの隠し戸を開け、さっきと同じような壺を取り出します。蓋を開けると、中から取り出したのは黒ずくめの衣類一式。黒装束に着替え、黒い手拭いで頰被り。そのまま助走をつけて、縁側から隣家の屋根へピョーンと飛び上がるってぇと、屋根から屋根へピョーンピョーンと飛び回り、江戸の夜の闇の中へと消えて行くのでした。

2019.6.22

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