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光る君へ(10)今後の展開を勝手に予想してみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

いつもは「光る君へ」を見て脚本を学んでいこうという動画なんですが、今回は、このあとの展開を予想するという内容です。ちょっとだけ歴史にも触れます。

第十回

第十回は、ついにまひろと道長が結ばれ、同時に道長の一族が天下を取るという「第一部・完」といった感じの回でしたね。

私の予想

ということで、今後の展開を勝手に、かつ大胆に予想してみました。予想はこの3つです。

1つ目は、藤原道長の、あの有名な和歌の新解釈が示されるだろうという予想。2つ目は、権力の頂点に上り詰める途中で、道長は人を殺すだろうという予想。3つ目は、まひろのセリフに仕込まれた伏線が、どこかで回収されるだろうという予想です。

順番に説明していきます。

予想1:“望月の歌”「新解釈」

“望月の歌”というのは私の勝手な命名ですが、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という和歌のことです。

歴史の授業では「道長が自分の完璧な権力を自慢した和歌」という感じで習いましたよね。

Wikipediaの現代語訳も「この世は 自分のためにあるようなものだ 満月のように 何も足りないものはない」となっています。

でも「光る君へ」をここまで見てきた私たちにとっては、この解釈は非常に違和感があります。

なぜなら、「光る君へ」において満月は、まひろと道長の愛の象徴だからです。権力と愛は 対極と言ってもいい概念です

一般の歴史知識では権力の象徴である満月を、ドラマでは愛の象徴として用いたのは、作者が「新解釈」を秘めている証拠だと思います。

道長が権力の頂点に立ち、この和歌が宴の席で披露されるシーンで、まひろと道長と、そして視聴者にだけ、それが「愛の歌でもある」ことがわかる…

終盤にそんな「仕掛け」が用意されているのではないかと予想しています

予想2:道長は「人を殺す」

2つ目の予想は、道長は「人を殺す」です。その根拠は「物語のパターン」です。

あくまで第十回までの印象ですが、道長中心に見た場合、「光る君へ」は「男性主人公が宿命を受け入れ、使命をまっとうするために成長していく物語」です。

こういう物語で有名なのは映画「ゴッドファーザー」です。「ゴッドファーザー」は、マフィア一家のマジメな三男坊マイケルが、跡継ぎとして裏社会に身を投じ、“ゴッドファーザー”となっていく話です。

ある社会に足を踏み入れるには、引き返せない境界線を越えなければなりません。それをイニシエーションとか、通過儀礼とか言ったりします。マイケルの場合、父や兄を襲った敵のマフィアを撃ち殺すことがそれでした。

物語的には、ニューヨークの裏社会も、平安時代の内裏も同じです。道長はまだ一線を超えていません。「弱き者に優しい」三郎のまま、棚ぼた式に最高権力者になったのでは、物語として成立しません。

道長はどこかで、父や兄のようなことをせざるを得なくなる。それは、役人に袖の下を渡すというようなチンケなことではなく、自らの使命を邪魔する敵を殺すようなことではないか。これが私の予想です。

予想3:まひろの「伏線回収」

最後は、まひろの「伏線回収」です。まひろの「呪い」がどこかで発動するのでは? という予想です。

第五回「告白」で、まひろは三郎にこう言います、

三郎のことは恨まない
でも、道兼のことは生涯、呪う

このセリフ、吉高さんの演技が現代的でリアルな事もあって、最後の「呪う」でちょっと「おお…」って驚きませんでしたか?

だって 対句的な言い回しですから、現代劇なら「三郎のことは恨まない。
でも、道兼のことは生涯恨む」となるのが普通ですよね。

そこをあえて「呪う」と言わせてるのは、登場人物たちが「呪い」を信じているからです。つまり、この世界では、単なる感情である「恨み」と違って、「呪い」は「効果が期待できる」わけです。

もちろんファンタジー作品ではないので、まひろの呪いで道兼がどうかなるといったストレートな描き方はされないでしょう。

でも、「呪う」とまひろにハッキリ言わせているのですから、それを「回収」するシーンが今後必ず描かれると思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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