mixi「一郎の日記」を振り返る④2006/10/18(水)~

万葉集のブログと一握の砂のブログに書いてきた
自分のコメントをnoteにまとめる作業をしてきました
それらのブログやメルマガ発行とほぼ並行して
mixiに日記を書いてきました
Twitterを始めたことで今ではmixiは全く利用していません
noteでの作業を通してmixiに書いて日記を
今一度読み返してみたくなりました

2006/10/22(日)

2006/10/22(日) 午後 9:25 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/22(日)
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 一日で消える一郎の日記

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歌集「一握の砂」 24.鏡(かがみ)とり・・・

啄木

鏡(かがみ)とり
能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽(あ)きし時

年を経て声も身体も亡き父に
よく似て来たと
鏡を見つめ
(一郎)'04.1.27

手鏡は使うけれども
姿見は
見るのもいやになりしこのごろ
(一郎)'06.9.18

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

マイミクシィのお仲間・・・susumu さんからメッセージ入りました。
susumu さんは北海道在住、この25日から沖縄へ家族旅行に行かれます。20を越えた娘さん息子さんもご一緒です。
その返事をメッセージではなく、susumu さんの日記にコメントとしてお返ししました。書いているうちに長くなってしまいました。
たいしたことは書いていません。話は紅葉のことから保津川下りのことになっていました。ここに紹介してみます。
susumu さんからのメッセージも使用許可をいただきましたのでご紹介します。

差出人 : susumu

日 付 : 2006年10月22日 18時04分
件 名 : 暫くですね!

一郎さん暫くですね!元気でしょう!北海道の秋終盤ですよ!
収穫仕事も終了ですかね?新米も出てますよ。美味しいよ!
北海道産米!ほしのゆめ・ななつぼし・八十九夜が美味しい米ですね!新米は美味しいですよ。平野にも紅葉が始まって居ます。
魚介類も美味しいですね!ジンギスカンは最高ですね!なべを
紅葉も平年より気温が高いせいか、色付が悪いですね!
一郎さんの所は、まだ暖かいのですか?
今月25日から沖縄に旅行に行きます。家族で行きますよ。妻と子供2人ですね!家族は、初めての沖縄で今から期待大ですね!
すすむは、今回で4回目です。色々話をすると言わないでと言ってますね!一郎さんは、そんなに出て歩かない方なのですか?
前のメッセージにも書いていましたが。
旅行は楽しいですよ!ハプニング有りますからね!
地元の人間との出会いも有るし、旅行者同士のふれあいも出来ますね!楽しいと思います。其処からまた友達が出来るかもね?
此れからは、寒くなると思いますので一郎さんも風邪など引かぬ様気を付けて下さいね。

susumuより

2006年10月22日19:32日
一郎

こんばんは・・・目ssッセージ・・・はは、打ち込みミスですが、面白いのでそのままにして・・・メッセージありがとうございました。
京都は、お昼過ぎまではお日様がよく照ってポカポカのいい天気でした。午後から曇ってきました。どうやら早ければ今晩から久しぶりの雨になるかも・・・。
北海道は、秋終盤とか・・・こちらはまだ夏をすこし引きずっていますよ。
紅葉がきれいになるのは11月も終わりごろ、今年は暖かいのでどうかすると12月に入ってからが見頃になるのじゃないかと予想しています。
今年の紅葉は、保津川下りで楽しもうと思っています。夏の送り火の日、落石事故で1ヶ月ほど川下りは運行中止でした。
事故現場の手前の対岸で一時船を降りて事故現場の先まで歩いて迂回する方法をとることで運行が再開されました。
開航400年記念の年は、乗客の安全確保という課題を突きつけられたことになりました。この試練を乗り越えて保津川下りの観光事業が発展することを願っている一人です。
というのも船頭さんの一人を偶然知る機会があったからです。京都の新聞社の記者をやめて船頭さんになった方で、その経歴からマスコミにもよく取材されたようです。私も土曜日の夕方に放送される番組「人生の楽園」で見たことがありました。
船頭さんと知り合うまでは保津川下りのことを知ってはいてもまったく無関心でした。若いとき、保津峡には夏の暑い日に水遊びに行ってましたが、それくらいしか関心はありませんでした。船頭さんを知ったことでその方のブログなどを読み、保津川下りへの船頭さんたちの熱い思いを知りました。
そして今年の川開きイベントが開催された3月にある日曜日、会場となった船着場前の駐車場に出かけていき、その帰りに初めての保津川下りを体験したのでした。嵐山までの船旅・・・川下りを堪能したのでした。川の水と一体になって流されていました。急流あり淀みあり、保津峡の自然の懐に抱かれてこころまでもが穏やかになっていくのを感じました。
それから5月の新緑、6月の岩ツツジを楽しみました。そして今度行くのは紅葉のときと決めていました。
船頭さんのブログで、保津川下りの今の情報が得られます。今が紅葉の見頃・・・という情報が出たなら即出かける予定です。それが11月の終わりごろになるのじゃないかという私の予想です。
すっかりデブ症になり、まったく出不精な・・・ここ笑ってくださいね。他には笑うところありませんよ・・・私が唯一出かけるのが保津川下りと熊野学舎の月に1回の講座です。
お泊りが苦手(寝小便するからじゃありませんよ)なので日帰りできる範囲が私の行動範囲・・・北海道に住むのを若いとき夢見ていたことがありますが、それも叶わずに終わるのでしょうね。海外旅行もせずに終わるのでしょうね・・・。
その気にさえなればどこへでも行ける時代なのにこの私ときたらまったく時代遅れもいいところだと自分でも思います。
インターネットしていることぐらいしょうか、少しは人並みかと言えるのは・・・。

この文章・・・少しというかかなり長くなってごめんなさい。というのも、私のmixiのプロフィに日記を設けていまして、「できるだけ長い文章で毎日更新」をモットーにしています。
susumu さんからのメッセージへのお返事を書き始めて、いつもまにかプロフィの日記に使うべくつとめて長く書こうと思ったのでした。
コメント欄を私の日記の下書きにさせてもらったようで、どうかお許しください。気持ちとしては笑って許していただければ、私としてはありがたいのです。どうか笑ってお許しください。

25日からの沖縄旅行が、ご家族のみなさんの素敵な思い出となりますよう心から願っています。
行ってらっしゃ~~い。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

susumu さん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=5533878

2006/10/21(土)

2006/10/21(土) 午後 10:51 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/21(土)
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 一日で消える一郎の日記

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歌集「一握の砂」 23.愛犬(あいけん)の・・・

啄木

愛犬(あいけん)の耳斬(き)りてみぬ
あはれこれも
物に倦(う)みたる心にかあらむ

哀しくも我の心に鬼棲みて
人間らしく
あれと闘う
(一郎)'04.1.26

物に倦み
むなしさ感ずときにこそ
心の闇に逃げず向き合え
(一郎)'06.9.17

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

今日も京都はいい天気でした。もう何日ほどこの天気は続いているでしょう。
いつもは外に出ることもなくパソコンとにらめっこしているのですが、今日は2ヶ月に1回の通院の日でした。
それにもうひとつ、珍しく予定がありました。シンガーソングライターの古川豪さんの演奏が聴けるのです。古川豪さんは薬屋さんの店主なのです。そのお店のある新大宮商店街を中心に、今日は「そらたね祭り」が開催される日なのです。
お祭りのメイン会場となっているお寺の境内でのステージに古川豪さんも立たれるのです。病院の予約時間が2時、診察が終わって新大宮商店街に立ち寄ったのでした。
古川豪さんのお名前をmixi訪問者の日記の中に見つけました。古くからの古川豪さんのファンの方でした。私が以前この日記に古川豪さんのことを書いた文章を、ご自分の日記で紹介していただきました。
以下、その方の日記に今日投稿した文章をここで紹介します。

みーさんの日記
京都ゆかりのフォークソングで50音を埋める

2006年10月21日17:05
一郎

先ほど・・・新大宮商店街「そらたね祭り」での古川豪さんの演奏を聴いてきました。
ちょうど2ヶ月に1回の通院(股関節脱臼)の日でしたので、病院からの帰りに寄ってきました。
会場はお寺の本堂の前・・・商店街に面した通りにある門から本堂までの10メートルほどのスペースが、ステージと客席になります。
私が行ったのは2時過ぎ、男女6人のアカペラグループが歌っていました。そのあとクラシックや北欧音楽を演奏するグループ続き、いよいよ古川豪さんの登場。
この頃になると観客も増えて立ち見でいっぱい。古川豪さんの歌は、地元の商店街を歌ったものでした。最初の曲は古川さんが小学生だった頃の四季の風景を、その次の曲は歳末商戦でしょうか抽選会場風景、そして商店街の店をたくましく支える女の歌と続きました。
古川さんは私より3歳ほど年下になります。古川さんのホームページのプロフィールには「1969年 フォーク・シンガーとして活動をはじめる。」とあります。以来37年、歌い続けて今日の演奏になっているのだと思うと、歌を聴きながらその長きに渡る歌手活動に敬意の念が湧いてきます。
古川さんのことを知ったのは今年の4月頃でした。「トカトントン」という歌を聴いて感動したのが最初でした。
そしてこのmixiを始めて間もなく、この日記で古川豪さんの名前を見たのでした。
その縁あって、今日のそらたね祭りでの古川さんの演奏が聴けると分かったのです。mixiを知らなければ今日の機会も知らなかったでしょう。mixiでの出会いに感謝しています。

それではまた・・・ごきげんよう。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

みーさんの日記
京都ゆかりのフォークソングで50音を埋める
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=236705031&owner_id=5560446

まるごと古川豪の部屋
http://www3.ocn.ne.jp/~f.go/subpage011.html

そらたね祭
http://kyoto.cool.ne.jp/soratane/

2006/10/20(金)

2006/10/20(金) 午後 7:53 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/20(金)
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 一日で消える一郎の日記

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歌集「一握の砂」 22.浅草(あさくさ)の・・・

啄木

浅草(あさくさ)の夜(よ)のにぎはひに
まぎれ入(い)り
まぎれ出(い)で来(き)しさびしき心

彼の人の魂はまださまよえり
自ら助く
他に道なし
(一郎)'04.1.25

連休で
さぞ賑わいの繁華街
人恋しくも人ごみ嫌い
(一郎)'06.9.16

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

ここにひとつの詩があります。
インターネットで公開されていた詩です。

「太陽になって」作・サブリナ

 誰よりも強い?

 いえ
 誰よりも強いと見えているだけ
 怯えた己の心が
 自分自身を責めてる

 そのままでいいのに

 出逢うべき苦しみがある
 綱渡りのような
 張り詰めた
 心

 選ぶ道さえ
 残されてはいない
 答えが
 見つからない

 揺れるなかれ!!

 どうして
 答えが必要なの?
 小さな子供と 空の小鳥と 海の魚と 山の木と 野の花が
 笑いかけているのに

 未来と手を繋げ
 笑顔の中へ飛び出そう

 小さな子供と
 空の小鳥と
 海の魚と
 山の木と
 野の花達の

 太陽になって

この詩は、イラク戦争の前の年に書かれていたものです。
しかし私はこの詩を読んで、イラクで人質になった高遠菜穂子のことが思い浮かびました。
この詩に曲を付け、その歌を聴きたいと思いました。

サブリナさんの詩を元にして、インターネットで知り合った方々の協力で曲ができました。
この曲を、今もなおイラクの子どもたちのために活動している高遠菜穂子さんに贈ります。

 「太陽になって」作詞・サブリナ 作曲/補詞・藤山一男

 1.誰よりも強いの? いいえ、強いと見えているだけ
   そのままでいいのに 怯えた心が自分を責める
   出逢うべき苦しみ 綱渡りのような張り詰めた心
   心揺らさないで! 選ぶ道さえ残ってはいない

   答えがわからない 答えが見つからない どうして答えが必要なの?
   小さな子供と小鳥や魚や木や花が みんな笑いかけているのに

 2.何時までも忘れないで! 心にあふれる優しさを
   どうぞ忘れないで・・・ せいいっぱい伸ばした手のひら
   掴もうとしている この指先を悲しませないで
   伸ばした手のひらを 思い出として終わらせないで

   答えがわからない 答えが見つからない 笑顔の中へ飛び出そう
   小さな子供と小鳥や魚や木や花の 未来へ向かう太陽になって

 3.いつまでも一緒が あなたのことばから始まって
   三人、四人、5人 みんなで空を見上げましょうか
   嬉しさが膨らむ 大きな雲だね流れてゆくよ
   遠くから来たんだね そうだよ空を旅してきたよ

   嬉しさが大きく 膨らんで飛んでゆく 僕達いつまでも 友達だね
   小さな子供と小鳥や魚や木や花の 未来へ向かう太陽になって
   未来へ向かう太陽になって

   「太陽になって」
    ピアノ・ソロ演奏/編曲:Piano1001
    http://www5.famille.ne.jp/~dr-m/

    taiyou_solo_x.wma
    http://ichiro54.zive.net/taiyou/taiyou_solo_x.wma

☆☆☆「太陽になって」を歌ってください。☆☆☆

サブリナさんの原詩をもとに、作詞作曲、編曲までできました。できれば歌を入れたCDをつくり、希望者の方にお贈りしようと思っていました。事情があって計画は中断したままです。
このブログを始めたのをきっかけに、「太陽になって」のピアノ弾き歌い譜(PDF形式)、ピアノソロ楽譜(PDF形式)、それらのピアノ演奏音声ファイル(WMA形式)を公開いたします。
みなさんの協力で出来た歌です。多くの方に歌っていただければうれしく思います。

http://ichiro54.zive.net/taiyou_3.zip

歌っていただける方は、ご連絡いただけるとありがたく思います。
どうかよろしくお願いいたします。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2006/10/19(木)

2006/10/19(木) 午後 10:40 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/19(木)
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 一日で消える一郎の日記

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歌集「一握の砂」 21.こみ合(あ)へる・・・

啄木

こみ合(あ)へる電車の隅(すみ)に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ

快楽の扉の前で縮こまり
道たがえずと
心に誓う
(一郎)'04.1.24

ある教授
痴漢行為で逮捕さる
自制できぬは自己への甘え
(一郎)'06.9.15

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

今日、お伺いいただいたアソさんがゲストブックにコメントしてくださいました。私と同年代の方です。
「面白い日記の書き方なのでついコメントしたくなりました。」と書いてありました。うれしくてチョッと舞い上がってしまい、コメントの返事が少しばかり長くなってしまいました。というより、長めに書いてこの日記に使おうという計算がはたらきました。
というわけで、アソさんのコメントへの私の返事を今日の日記に代えさせていただきます。

それからこの日記の日付ですが、やっと日付どおりに更新できます。この新聞の発行日は10月20日、その前日19日・・・今日の日付の日記を書くことになります。また日記の日付がづれることになるかもしれませんが、つとめて日付どおりの更新をしたいと思います。
「きっと日刊・・・mixi の一郎新聞」・・・ついでのことに今日から「きっと日刊一郎新聞」に改名します。すっきりするかと思いました。
それではアソさんのコメントへの返事です。

2006年10月19日21:25
一郎

コメントありがとうございます。日記に興味を持っていただきてうれしく思います。
私は、初めて訪問したところにコメントを残すことはよほどのことがない限りありません。何度かお伺い、またこちらに来ていただいていることを確認してやっとこころを開けるような気がしてコメントさせていただきます。初めてのところにコメントするのは、ある意味私には勇気が要ります。コメントを書いていただくことでつながりができるきっかけになります。

アソさんのところへは、たもっちゃんさんのところからです。多分、風景の画像に引かれたのだと思います。
たもっちゃんさんのところには、今日マイミクに加えさせていただいた麻生恵一郎さんのところからです。
さらに遡れば七彩乃風さんのところからです。

たもっちゃんさんのところになぜお伺いしたのかというと・・・ピアノの鍵盤の画像に引かれたからです。
私のホームページで、クラシックの音楽と画像を組み合わせた「音楽でひとやすみ」というページづくりに熱中していた時期がありました。クラシック音楽の魅力に引き込まれていきました。音楽に熱中することで何かを忘れようとしていました。あるいは、自分自身を取り戻そうとしていました。だから私には音楽に救われたという気持ちがあります。そんな思いが、楽器や楽譜やその他の音楽にまつわるものに敏感に反応するようになったのでしょうね。

ですからたもっちゃんさんの画像ピアノの鍵盤でなかったら、お伺いしていないかもしれません。そうすればアソさんとのご縁もなかったかもしれません。

歌をはじめて2年ほどになりますが、歌というより「三十一文字日記」と思っています。そう思うことで続けられたのだと思っています。それから啄木の歌が、私のようなものにも歌がつくれると思わせてくれました。それほどに啄木の歌は、私には身近に感じられました。
週刊メルマガ「啄木の歌とともに」で、歌集「一握の砂」の啄木の歌に合わせて私自身の歌をつくっていきました。一日一首・・・そして551首全部をつくり終えたとき、私の「一握の砂」ができたと思いました。何かやり遂げた達成感を味わうことができました。そのときの感動と思いが、ここで呼びかけている“それぞれの「一握の砂」”になりました。
それぞれの方のそれぞれの歌で“それぞれの「一握の砂」”の歌集をつくりたいと思いました。

長くなりましたがいましばらくお付き合いください。長く書くことをこのmixiの私の課題にしています。
「日々の新聞」がミクシィのきっかけと書いておられました。
私の「きっと日刊・・・mixi の一郎新聞」は・・・あの有名な「ほぼ日刊イトイ新聞」をかなり意識しています。
あちらが「ほぼ」なら、こちらは「きっと」・・・この「きっと」には、これまたあの有名な「きっこのブログ」を意識しています。きっと→きっこ・・・です。

もちろん内容では及ぶはずもないのですが、名前だけはしかりいただいて、負けないようにとこころの励みにしています。
まったく余計な話しをしてしまいましたが、「面白い日記の書き方」と書いていただいて少々舞い上がり気味です。どうか大目にみてやってください。

これをご縁に気軽にコメントさせていただくかもしれません。その節はどうかよろしくお願いいたします。

意識的に長く書く練習をしています。練習代わりのコメントになってしまいましたがこれもお許しください。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。
これに懲りずにまたおいでくださることを願っています。

それではまた・・・ごきげんよう。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2006/10/18(水)

2006/10/19(木) 午後 0:23 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/18(水)
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 一日で消える一郎の日記

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歌集「一握の砂」 20.こころよく・・・

啄木

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ

かぎりなく無職なるがのぞみなり
乞食になるも
野垂れて死ぬも
(一郎)'04.1.23

こころよくはたらく仕事
啄木は得ることなくも
書き続け逝く
(一郎)'06.9.14

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

昨日は中央市場がお休みの日でした。新聞配達が終われば仕事は終了、その分時間が出来ますので午前中のうちにこの日記を片付けようと思っていました。
どんなことを書くか頭の中には浮かんでいました。仕事を終え朝風呂にも入り、さて書こうとしたのですがなかなか書き出せません。書いては消し書いては消しのくりかえし。
啄木が歌集出版のための編集を始めたのは1910年(明治43年)4月、啄木24歳の時でした。その年の6月5日、啄木は新聞で幸徳秋水等の「陰謀事件」報道に接します。いわゆる「大逆事件」です。
啄木は、知り合いの弁護士を通じて「大逆事件」の資料を集め、書き写し調べていきます。「大逆事件」は啄木の思想、創作にも大きな影響を与えたといいます。それは当時すすめていた歌集「一握の砂」の編集にも反映されたといいます。
私は啄木のそのような姿を、戦後の「松川事件」による作家、広津和郎の姿に重ねていました。高校生の頃だったと思うのですが、私は広津和郎の講演会を聞いたことがあります。「松川事件」に関する講演でしたが、恥ずかしい話ですが淡々とした語りに私は眠くなってしまいました。
裁判の資料を集め整理し問題点を追及する仕事は、それはそれは地道な作業に違いないのです。しかし広津和郎をはじめとする作家、文化人の支援があって「松川事件」の真相が広まり、支援の我が広がる大きな契機になったと聞きます。

現在、憲法や教育基本法の改正が政治日程に上ってきています。そんな情勢の中で2004年、大江健三郎や小田実ら作家、知識人9人の呼びかけで「九条の会」ができました。この「九条の会」が私には、啄木、広津和郎の活動に重なります。
北朝鮮の核実験のあと、国内では「周辺事態法」発動とか、日本の核武装論まで出て来ています。そこで私の「平和を歌う」歌を読み直してみようと思ったのでした。
それらの歌をここ書いてしまえば、もう私がそれ以上に書くことがなくなってしまいました。歌に書きたいことのすべてが込められていました。それで過去の歌だけを昨日は書いただけで終わりました。おかげで早く眠れたのですが、その分早く目が覚めます。そして、昨日何も書かなかったこと・・・書けなかったことを思い返してみました。頭の中にある構想を文章にする力がないことを正直に認めざるを得ません。だからこそ長い文章を書くという課題を自らに課したのですが、昨日は書けませんでした。
長い文章が書けないから三十一文字の歌を始めたというのも理由のひとつにあるかもしれません。歌ばかりを2年以上続けているうちに今度は長い文章を書きたくなった、それでこの日記を始めたわけですが、以前の歌を持って来たらもう次の文章が書けなくなった・・・何か不思議な感じがします。

きのう書けなくなったわけは自分では分かっています。啄木と大逆事件、広津和郎と松川事件、そして現在憲法第九条をまもろうと呼びかけ活動している「九条の会」・・・それらへの私の思いを書きたかったのですが、日記であるのを忘れてなにか論文みたいに完成されたものを書かなくちゃと思ってしまったようです。そうなると論理的思考に乏しい私、まして勉強不足に資料不足・・・書けなくて当たり前なのです。
この日記を始めて二週間、少しばかり長い文章を書けるような気になっていました。書きたいことがすらすら書けるようになりたくてこの日記を始めたのですから、あまり難しく考えないで思い浮かぶままにとにかく書くようにします。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676


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