mixi「一郎の日記」を振り返る⑥ 2006/10/28(土)~

万葉集のブログと一握の砂のブログに書いてきた自分のコメントを
noteにまとめる作業をしてきました
それらのブログやメルマガ発行とほぼ並行して
mixiに日記を書いてきました
Twitterを始めたことで今ではmixiは全く利用していません
noteでの作業を通してmixiに書いて日記を
今一度読み返してみたくなりました

2006/10/31(火)

2006/10/31(火) 午後 10:39 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/31(火)
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 一日で消える一郎の日記

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Yahoo!ブログ“それぞれの「一握の砂」”より

歌集「一握の砂」 33.ふと深き・・・

啄木

ふと深き怖れを覚え
ぢっとして
やがて静かに臍(ほそ)をまさぐる

耳掻きの楽しさ超えて意地になり
血が出ては止め
またくり返す
(一郎)'04.2.5

欲望の
心の深き闇の中
その本質を光にさらす
(一郎)'06.9.27

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

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今、夜の8時前です。これから日記を書き始めようとしています。相変わらず何を書こうか決まらずにこの時間まで来ました。
そろそろ書き始めねば寝る時間が短くなります。以前から書こうと思っていることはあるのですが、今日はそれを書こうと思っていたのですがもう一つその気になりません。
どうしようか悩んでいるときは動かない、そう決めています。悩んでいるときは思い切って動いてみる、そういう考え方もあります。そのどちらでもいいのだと思います。動かないも動くも、決断という「動き」の結果。
なんて屁理屈か何かのたまっていますが、なんのことはない優柔不断の私の性格をさらしているようなものですね。

この際だからその書こうとしていたことを出してしまいましょう。そうすればなにをためらっていたかも分かるかもしれません。大方は分かっていることですが、こうやって書いていくうちに段々はっきりしてくるように思えます。
mixiに登録したもののその勝手が分からないとき、マイミクシィをたどったり、「短歌」「啄木」「京都」で検索したコミュニティをたどったりしました。少しずつmixiの要領が分かり日記を始め、マイミクシィのメンバーも増えていました。
そんなとき、あるmixiからリンクしているホームページを開きました。短歌と映像そして音楽とがコラボレーションしたページがいくつかありました。美しい独自の世界がそこにはありました。私にはつくれないページでした。でもそのページを見て私は嫉妬するどころか、喜びがこみ上げてきました。
私が、未熟ながらも自分のホームページで試みてきたことが認められた思いがしました。音楽と画像、詩などを組み合わせて曲を聴いた自分のイメージを表現してみようと「音楽でひとやすみ」のページつくりを始めたのでした。

それまで一生懸命に取り組んでいたメルマガの発行ある事情でやめてしばらくしてからのことでした。無性に音楽・・・クラシックの曲を聴いてみたくなりました。インターネットにはクラシック曲のMIDIを公開しているサイトがたくさんあります。画像を公開してるサイトも無数にあります。
それぞれ使用許可を得れば自分のホームページで使えます。最初に取り上げた曲は、ショパンの「幻想即興曲」でした。使った画像は一枚でした。公開順を見てみると、「月 光ソナタ 第1楽章 Beethoven」「別れの曲エチュード第3番ホ長調Op.10-3 Chopin」「白 鳥 Saint-Seans」「革命のエチュード Chopin」「エリーゼのために Beethoven」「テンペスト 第3楽章 Beethoven」「夢 Debussy」と続いています。
その次の曲「Bolero Ravel」からは、javaプレットを使って画像が変化するようにしました。javaアプレット使うことを覚えてから画像の枚数が増えていきます。次の「Ave Maria Schubert」のページはいまでも好きなページです。
javaアプレットを使ったページが続きます。その次のページの変化は、javaスクリプトを使えるようになったことです。そのページは「人形の夢と目覚め T.Oesten」でした。
私にできるページつくりはここまでです。最初に紹介した短歌と映像、音楽がコラボしたページは、フラッシュによるものでした。私にはそこまでの勉強はできません。でも「音楽でひとやすみ」の1曲1曲のページつくりが私には勉強でもあり楽しい毎日でした。
その前のメルマガは週刊でした。それを上回ることをしたいと、音楽のページは週2回の更新を義務付けました。しばらくしてから金子みすゞの詩とクラシックとを組み合わせたページつくりも始めました。
さらに、若い人の詩とオリジナル曲とを組み合わせたページつくりも始めました。そのページ「ことだま」で、若い人の詩や曲に触れたことが刺激になったのかもしれません、自分のオリジナリティを表現できる場が欲しくなったようです。
それが今に続く啄木の歌との付き合いになりました。

パソコンにもインターネットにもまったく興味がなかった私が、あるきっかけでパソコンを始めてみようと思ったのが52歳のとき、それからいろんなことがあって今の私につながっています。mixiの縁でたどったページの美しいイメージの世界・・・その映像美、技術には及ばないものの、私なりに精一杯追い求めた世界をそこに見た思いがしました。
縁あってその映像作家の方も短歌の作家の方もマイミクシィのお仲間になっていただけました。mixiのおかげでできたご縁でした。

「時と風の不思議な世界」
 http://www.geocities.jp/tokitokaze2004/

 七彩乃風さんのmixi
 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6241592

 麻生恵一郎さんのmixi
 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=4590753

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

「音楽でひとやすみ」
 http://www.interq.or.jp/black/ichiro/music5/music_new.html

2006/10/30(月)

2006/10/30(月) 午後 10:56 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/30(月)
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 一日で消える一郎の日記

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Yahoo!ブログ“それぞれの「一握の砂」”より

歌集「一握の砂」 32.まれにある・・・

啄木

まれにある
この平(たひら)なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴(き)く

囚われの心を放てあるがまま
たかが人生
笑って死のう
(一郎)'04.2.4

目覚ましをかけたはずだが
寝過ごした
時計が鳴るも止めて二度寝か
(一郎)'06.9.26

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

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メルマガ「啄木の歌とともに」を週刊で発行しているのですが、その縁で若い詩人のメルマガを最近購読するようになりました。
若いとっても漠然としていますが、私はこの12月で満59歳、その私にもし息子がいたとしたらこの詩人の年齢ぐらいだろうと・・・。
実際、彼の父親と私は同じ年のようです。だから彼の詩を意識するようになった面も少しはあるでしょうが、やはり私がその詩に惹きつけられるのは詩に出てくる言葉です。
先ず詩のタイトルとなる言葉に惹かれます。タイトルを見て詩を読んでみようかという気になります。タイトルは、どんな詩を書いているかの判断、自分と問題意識や感受性を共有できるかの判断の目安になります。
そしてタイトルは、何よりもその感性そのものの表現かもしれません。詩人の人となり心となりを読み解くキーワードかもしれません。これまでの詩のタイトルだけを見ても、私はこの詩人を、その感性を信じてしまいました。

正直言って私はあまり書物を読みません。20代の頃に本を読むことを義務付けた時期はありましたが、最近はよほど興味が湧いたものしか読みません。詩については、さらにわたしは縁がないと言えます。読みませんし書きません。
そんな私が、詩のメルマガを読むようになったのは「縁」というしかしかありません。あるいは、無意識のうちに息子的な存在をもとめているのかもしれません。
父親的な自分を意識するということは、ある意味少し危険な傾向かもしれないと思うこともあります。人間としてこれまで培ってきたもの、学んだものを伝えておきたいという欲求が父性を意識するようになったのかと・・・。
そうすればそれほど危険なものはないと思うのです。私は父の姿からから、何も求めないこと、信じきることが親の真の愛情だと学びました。でもどうやら私は、自分のことを知って欲しいという欲求が働いているようにみえます。求めているのです。

私は、私の道・・・自分の楽しみを見つけ、やりたいことをやっていけばいいのです。そう気付かせてくれたのがきのう配信された「まっすぐに」という詩でした。
この詩は、今の私の気持ちにピッタリとあてはまりました。励まされました。がんばろうという気持ちになりました。すぐさまこの詩のことをプロフィの日記に書こうと思いました。日記に書く素材を与えてもらったことにも感謝しなければなりません。なにしろ何を書こうかといつも迷っているからです。
作者との連絡がつかず許可をまだ得ていませんが、事後承諾していただけるものと期待しその詩をここに紹介します。

            【 まっすぐに 】

あなたが

がんばるその姿を

そっと

見守っている人がいる

あなたが

がんばるその姿に

勇気をもらい

励まされている人がいる

その事実を

あなたに伝えることなく

ただじっと

遠くから

応援している人がいる

走り始めた

あなたの決意を

自らの喜びに変え

笑顔を見せている人がいる

あなたの光も

あなたの陰も

少なからず知っているから

カッコつける必要なんて

全く無くて

ただ

まっすぐに

あなたの気持ちに

まっすぐに

真正面から

ぶつかっていけばいい

あなたが

がんばるその姿は

遠くを歩く人々までをも

明るく

照らし続ける

【 tomo 】

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お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

2006/10/29(日) その2

2006/10/29(日) 午後 9:58 mixi「一郎の日記」 短歌

2003年 1月 1日 (水).......「あるがまま、ありのまま」
先ずは・・・新年、あけましておめでとう。

平穏な気持ちで新年を迎えられたしあわせを喜びたいと思います。
「無事是平穏」こんな言葉があったかどうか・・・。何事もない平凡な日々がどんなにしあわせなことか、若い時には分からなかった。平凡である事に苛立ちを覚えていたと思う。平凡な人生だけは送りたくないと思っていたのではないだろうか。有名になりたい、金持ちになりたい、社会的地位を得たい・・・等など。その思いが強ければ強いほど、夢と現実とのギャップに悩み、どうしようもない思考の泥沼に陥っていく。若い時期には性的な欲求も強く、思い通りに行かない事や自分の妄想から自己嫌悪に捉われ、これもまたもがけばもがくほど泥沼の深みにはまっていく。こんな事ではいけないと思いながらも無気力から脱する事が出来ない、そんな時期が私にはあった。そんなときに出会ったのが「あるがまま ありのまま」という言葉。「森田(療法)理論」と呼ばれる神経症の療法を紹介した本のなかにあった。この言葉に出会って私は、こうあらねばならないという「とらわれ」から解放された。現在のありのままの自分がすべてなのだからそれを認め、そんな自分を好きになることから始めた。これまでとらわれていたのは何故だったのだろうと思えるほど自分が変わっていった。ものごとは考え方次第なのだということを知った。それが20代半ばの頃だったと思う。それ以来、多少の余曲折はあるものの、なんとかこれまで生きてこれた。自分を好きになり、生きていることのしあわせと喜びを感じている。そのころから30年経ってしまったが、私にはその時間が必要だった。信じる思想がある、人間の未来を信じている。いやな事件、悲しい事件も多い。人間の欲望の醜さも知っている。それでも尚、人間は変わる可能性をもった素晴らしい存在だと信じられる。人は知らず知らず、自分で自分を卑しめることがある。人間としての尊厳を取り戻すのは理性。理性は自分を苦しめることもある。だが頼るべきは人間としての理性なのだと思う。理性を信じられない人は、愛情に飢えた人だと思う。愛情が理性を支える。愛情に支えられた理性によって人間の未来への希望が開ける。その基本になるのが、自分を愛することが出来る人間になること・・・・「あるがまま ありのまま」の自分を認め好きになること、愛することがその原点になる。

2003年 1月 4日 (土).......「真実を大切にしよう」
「真実を大切にしよう」・・・・これは、小学校の卒業アルバムの寄せ書きに担任の国武先生が書いていた言葉。
真実とはなんだろう。
広辞苑でみると・・・
1.いつわりでないこと。ほんとう。まこと。 2.[仏]かりでないこと。絶対の真理。真如。
・・・とある。なにが真実かを見極めるには、客観的事実をどう捉えどう認識するかが問題となる。しかし、客観的事実の認識を前提としてもその人の思想的立場、世界観、価値観によって導かれる「真実」の姿は違ってくる。どう行動するかも違ってくる。
そこで「真実」とは何なのか。それは、どういう未来を、世界、社会、人間のありようを良しとするか目標とするかが問題になると思う。未来への希望につながる価値観の選択に、「真実」を見極められるかどうかがかかっている。価値観と価値観のせめぎ合いが、実は政治の選択でもある。歴史は紆余曲折を経ながらも希望ある未来へと前進する。歴史を遡る価値観の選択に未来はない。

真実を見つめることは未来を見つめること、未来を信じること。未来をつくるのは人間・・・人間を信じること。

2003年 3月15日 (土).......ご無沙汰してました・・・
今日から「一行日記」形式で書いていきましょう・・・三日坊主で終わるかもね。
小雨の一日。HPの「メッセージ」を更新しようかと手がけるがまとまらず・・・イラク問題は、来週大詰めを迎えることになりそう。戦争か平和的解決か・・・。
今日15日は、全世界で反戦行動がくりひろげられる。先月の15日には、1000万人を超える人が参加した。

2003年 3月25日 (火).......忙しくて・・・・
忙しくて・・・ついついこちらの事を忘れてしまいます。
ま、ボチボチ書くことにも慣れるでしょう。
イラク戦争・・・報道はアメリカの進軍状況ばかり。そんな中で各国で激しい反対運動が起きている様子をみる事がある。勇気付けられる。
戦争犯罪人が戦争犯罪だと叫ぶ。おかしな論理。自分たちは正義だと思っている。
戦争は狂気。命を大切にする者の選択ではない。平和の努力をどれだけしたというのか。戦争が先にありき・・・真摯な態度ではない。戦争を決定するものは、いつも安全な所にいる。そして責任はとらない。指導者の責任。

2003年 3月27日 (木).......今日は春雨
温かくなった。桜は明日にも咲き始めるだろう。
毎日、佐渡の蛍さんの掲示板に誕生花を書いている。それは忘れないのだが、ここに書くのは忘れてしまう。書くことが苦手なんだろうね、やっぱり。それなら書かなくてもいいと思うけど・・・書かなくてはという気持ちもある。
昨日はネットの娘のguuと昼、夜と2回、長い話をした。メッタに話す機会は無い。色々話したが・・・どう受け止めただろうね。息子のアンソとは最近会っていない。アンソの個人的なことをguuに話したが、ショックだったようだ。ネットの家族・・・顔も知らず、文字だけでつながっている。どうなるんだろうね。

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

みたび平和へのメッセージ
Millions Of Roses
http://www.interq.or.jp/black/ichiro/rose/rose4.html

2006/10/29(日) その1

2006/10/29(日) 午後 9:55 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/29(日)
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 一日で消える一郎の日記

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Yahoo!ブログ“それぞれの「一握の砂」”より

歌集「一握の砂」 31.さばかりの・・・
啄木

「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止(よ)せ止せ問答

良しもよし
悪しきもよしやすべてよし
無駄なことなし悔いることなし
(一郎)'04.2.3

憲法になぜにこだわる
憲法に命通えば
世界に平和
(一郎)'06.9.25

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

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今日の日記に何を書くか、また考えがまとまらずに夜になってしまいました。
きょうするべきことはも済ませています。この日記を書いてプロフィを更新するだけです。
考えがまとまらないときに何か使う文章が無いか、昼間のうちに探しておきました。あるにはありました。「言葉の備忘録」というタイトルをつけていました。心に残った言葉などを忘れないように、日記に書いて残しておこうと思ったようでした。
2002年12月のことですから、もう4年ほど前のことです。いわゆる「三日坊主」で終わっていたのが、まだインターネット上にその残っていました。
過去に書いた日記というものは、いつ読み返しても恥ずかしいもののようです。でも当時の自分のありのままの姿を、ある程度理解してもらう資料にはなります。
できれば他に書くことが見つかりこの日記を使わずにすめばと思っていたのですが・・・やはり使うことになってしまいました。
まあそれもいいか・・・4年ほどの前のほんのわずかな間の短い日記ですが、そこにいるのも私であることは確かです。そんな自分を知ってもらうのもいいかと思います。

「言葉の備忘録」

2002年12月 5日 (木).......「人間浴」

「人間浴」・・・・この言葉に出会ったのはつい先日のNHK教育TVの「人間ゆうゆう」という番組。この番組で紹介された人は、24歳のときの交通事故で下半身不随になり、実家でご両親の介護を受けていた。ご両親の高齢化でこの男性は療護施設での生活を始める。集団生活に慣れないとき、母親からの手紙にしたためられていた短歌のなかに、この「人間浴」と言う言葉があった。いろんな人と出会って、一人で生きていく勇気を持って欲しいという母親の願いが込められたいた。その言葉に出会って、男性は目を開かれたと言う。
それから彼は積極的に施設の人と接するようになる。自治会の中心的活動家になっていく。そして、53歳になった彼は、施設を出て自立した生活を始めるようになる。仕事も見つかり、毎朝車椅子で出勤する。車椅子で踏みしめる落ち葉の乾いた音も新鮮だという。
「森林浴」という言葉を聞くようになったのはいつごろからだろうか。森の中に入ると心が癒される効果があるという。「人間浴」・・・人と積極的に接することで彼の心は癒され、強くなっていった。
私は、どちらかというと人付き合いが苦手だ。嫌いだという方が正確かもしれない。それだけに、「人間浴」という言葉が心に残った。

2002年12月 6日 (金).......「母に捧げるバラード」
久しぶりに武田鉄矢の「母に捧げるバーラド」を聴いた。NHKの「ふたりのビッグショー」の番組・・・川中美幸との競演だった。
母親は息子をどう思っているのか・・・・この前、アグネス・チャンがTVで語っているのを聞いて、少し驚いたことがあった。アメリカで留学している長男を尋ねたときのビデオをある番組で公開していた、その中での話し。彼女には3人の息子がいる。彼女が言うには、長男は「恋人」みたいな存在だという。初めての子供だから特別の感情を抱くものか。息子にとって母親はどんな存在なのか・・・私の場合、子供のころはどこに行くのも父と一緒で「父親っ子」だった。母の印象は薄い。大人になってからは、金銭的に困ったとき相談するのが母だった。嘘をついては母にお金を無心した。母は何も言わずにお金を工面してくれた。母に金銭的な余裕があるはずはない、恐らく誰かに頭を下げて借りて都合してくれたお金だったにちがいない。若いころは、そんな母の苦労を思いやる余裕もなかった。母には甘えてばかりの私だった。そんなことがあったから、母には感謝してもしきれないという思いがある。この母を裏切ってはいけないと思っている。母は、私が元気でさえいればそれでいいと思ってくれている。ほかに何も望んでいない、私の世話になろうとも思っていない。「親不孝が親孝行」とばかりに、私は親不孝ばかりしてきた。私にできる親孝行は、私が元気でいること。何も言わぬ母だが、いっぱいのメッセージを受け取ったと思っている。母に感謝を捧げたい・・・月並みな言葉だが、あなたの息子に生まれてしあわせでした。

2002年12月 8日 (日).......「・・・・生まれてきてよかった」
月に1回、土曜日の夜7時半からNHKは、「鶴瓶の家族に乾杯」という番組がある。昨日がその放送日だった。今回のゲストは写真家の浅井慎平、彼の希望で訪れたのは東京でただひとつの村・・・檜原(ひのはら)村。そこで二人はいろんな家族をぶっつけ本番で尋ねていく。どんな展開になるのか誰もわからない。どんな出会いがあるのか、どんな家族がどんな生活をしているのか、どんな人たちがいるのか・・・それを楽しみにいつも見るようにしている。いつも家族っていいなぁ、人間っていいなぁ・・・と見終わった後、感じさせてくれる。その番組のテーマ曲をさだまさしが作曲している。「・・・生まれてきてよかった」・・・その曲の最後のフレーズ。こう言えるようになりたいものだ。生まれてきたこと、生きていることに感謝と喜びを感じられれば、人間は自分も他人も愛することができる、優しくなれる。自分も人も愛することができれば、生まれたことに感謝し、生きていることを喜ぶことができる。どちらが先で後かという問題ではなく、それは同じ意味なんだと思う。だから、愛とは生まれたきたことへの感謝であり、生きていることの喜びとならなくてはならない。それは・・・明日へとつながる希望でなければならない。生きることを否定する愛、破滅への愛、堕ちて行くことを望む愛は、「愛」なのか・・・。
「・・・生まれてきてよかった」と、いつも心の中で歌い続けられる自分でありたい。

2002年12月11日 (水).......「夢を捨てないで」
「夢を捨てないで」・・・布施明が歌う曲のタイトル。35歳の時、大阪サンケイホールで初めて行った彼のコンサートで聴いた。そのとき、訳もなく涙が流れて仕方なかった。彼は、私と同じ年の同じ月・・・12月の生まれ。「夢を捨てないでおくれ どんなときにもどんなときにも・・・」当時の私を励ましてくれたメッセージだった。あれからもう20年も経ってしまったのか・・・。私は、相変わらず夢ばかり見ている。
ノーベル賞の授賞式のニュースを見た。今年は日本人のW受賞ということと、受賞者のお二人の人柄が話題になって、報道が異常に盛り上がっている。田中氏については、その謙虚さ庶民性から「癒し系」と評判がいい。もう一人の小柴氏についての記事を目にした。私が配達している新聞の1面のコラム欄の記事。「ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、いまの若者に向けて『自分自身の夢を見つけて、それを信じることが大事』との言葉を贈っています。」(「赤旗」12/10)私の年になって「夢」を語るだけの自分が恥ずかしくもあるが、まだ夢を捨てきれない。「こんな自分でいいのだ」と言い聞かせている。明日は、来年は、夢のひとつでも実現するんだと・・・。

2002年12月12日 (木).......「自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手でつくる・・・」
NHKにんげんドキュメント「生涯一エンジニア」田中耕一さんのアンコール放送を見終わったところ。前回の放送も見ていたが、PCをしながらだったので今回はゆっくり見ることにした。やはり見落としていたところがあった。
4年生のときに愛読した小松左京のSF小説を読んだ感想文が紹介されていた。小説ではコンピューターが故障して人間社会が混乱するという。TVで紹介された感想文の箇所の文章が「自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手でつくる・・・」という文章。番組の最後のナレーションもこの言葉で終わっていた。
ノーベル賞で認められた田中さんの発見は、気の遠くなるような地道な実験の繰り返しの中で生まれた。試薬を間違えたことによる偶然の結果ではあっても、そのデーターの変化を見逃さなかった観察眼と自信。それは当時の担当の先生の思い出話からも、少年の頃より培われていたことが分かる。
自分を信じられる確信は、「自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手でつくる・・・」ことによって得られるということをあらためて教えられた。
そして、その「自分」は誰のものでもない・・・「自分自身」のもの。誰にも支配されない、自立した存在。人間は、人と人が支えあっての人間社会だが、夫婦であっても自立した人間としての協力関係、お互いを人間として尊重し尊敬しあい、人間性を高めるために切磋琢磨していく関係ではなかろうか。
とかく甘えてしまう自分の戒めにしたい言葉だ。

2002年12月16日 (月).......「負けて たまるか!」
毎日訪れるHPのひとつが「花と観葉植物の部屋」。管理人の愛さんが「雑記帳」によく書いている言葉が「負けてた まるか!」・・・なんとも力強く、気迫に満ちた言葉だ。その気迫が愛さんを支えている。愛さんは一人暮らしを選択された、現在83歳のご婦人。私の母も愛さんと同じ年頃、やはり一人暮らしだ。愛さんに母の姿をダブらせている。この前、NHKの「ラジオ深夜便」で、銀座でクラブを経営してる100歳になる現役“ママ”の話を聞いた。まだまだしっかりした口調、物覚えのよさに驚かされた。83歳という年齢はその方から見ればまだ通過点だが、やはり「死」をまじかにしていることは疑いもない。生きる気力、生きがい、喜びを失ってしまったら急速に体力も衰えていく。生きようとする気力と、ともすると萎えてしまう気力との格闘が「負けて たまるか!」という言葉を発する。しかし、その言葉の重さが分かるには、まだ私は若すぎる。愛さんの年になって、あるいは「死」を身近に感じるような境遇になったとき、「負けてたまるか!」という言葉を発せられるか・・・。愛さんに「負けてたまるか!」

その2 へつづく

2006/10/28(土)

2006/10/28(土) 午後 10:51 mixi「一郎の日記」 短歌

2006/10/28(土)
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 一日で消える一郎の日記

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Yahoo!ブログ“それぞれの「一握の砂」”より

歌集「一握の砂」 30.大木(たいぼく)の・・・
啄木

大木(たいぼく)の幹(みき)に耳あて
小半日(こはんにち)
堅(かた)き皮をばむしりてありき

音楽と画像でつくる
我がページ
一日中でも作業したくて
(一郎)'04.2.2

メルマガと
ブログのための歌づくり
この二年ほどよく飽きもせず
(一郎)'06.9.24

資料参考「青空文庫」 http://www.aozora.gr.jp/

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今、午後6時前です。やっと下書きを始めたところです。
きのうのこの時間もう日記は書き上げ、「きっと一郎新聞」は今日の日付に更新していました。日記のコメントへの返事を日記にしようと、書くことが決まっていました。だから早く書いて夕方には更新を済ませていたのですが・・・今日のところはまだ何を書くか考えがまとまっていません。
書きたいことはあります。それを書こうかという気持ちはあります。まだはっきりと書きたいことがまとまらないうちに、ぐだぐだといい訳みたいなことから書き始めました。書いていくうちに段々考えがまとまっていくのじゃないかと狙っているのですが・・・。
何を書くか悩む今の状態が嫌いではありません。今日の作業はまだ何も手をつけていません。この日記を始める前は、お昼寝の後からいくつかの歌づくりを始めます。夕方には出来上がっていることが多かったのです。この日記を始めてから、まず日記を済ませようという思いになりました。
日記を済ませればあとはこれまで2年ほど続けた作業ですから、寝る前・・・遅くとも夜11時ぐらいには作業を追えるることができるだろうという計算があります。きのうは10時過ぎに終わっていました。朝2時起きですから、最低4時間の睡眠をとるためには遅くとも前の晩の10時には寝るのが理想です。
理想といえば8時就寝でしょうか・・・退院後は事故の教訓から早い時には7時に寝ていました。mixiを始めて、段々睡眠時間が少なくなってきています。事故の教訓をちょっと忘れかけてきています・・・要注意です。
午後6時に晩ごはん・・・TV番組「人生の楽園」を見ながら済ませました。沖縄での悠々自適の年金生活・・・とってもイイサーと、まじめに定年まで勤め上げた人たちの暮らしをうらやましく思ったのでした。人生設計もなくゆきあたりばったり、無年金は当然のフリーター暮らし・・・死ぬまで働くことになるでしょう。
人生の帳尻はきちんと合うようになっています。楽した人は苦労してください。苦労した人は楽してください。苦労を楽しもうと思う気持ちになれれば、楽々人生になるかもしれませんね。できるだけそう思うようにしましょう。ナンクルナイサー・・・どうにかなるさー・・・。

7時前、日刊メルマガ「歌を歌うかな」の発行をいつも夜8時にしています。先にその歌づくりをして配送予約を済ませることにします。それまで日記は少しお休み・・・。
19時51分・・・復帰しました。ドキュメンタリー日記ですね。フィギュアスケートを見ながら書いています。浅田舞の演技が始まりました。
この日記で80歳でパソコンを始めた愛さんのことを書きました。10月誕生日でしたから現在は満87歳になられたと思います。その方の本を出版したいとここに書きました。最初にマイミクィに加わっていただいたのがゆうやけこやけさん・・・mixiに招待していただいた方の紹介でした。その方は出版社の編集者でした。
現在、mixiとブログで小説を発表されています。なぜか私のmixiでの取り組みに興味を持たれたようで、励ましのコメントをいただいていました。そんなこともあり、愛さんの出版企画を相談したのでした。
出版までこぎつけるのは難しいけれどもまったく可能性がない訳ではない、協力しましょうという力強い言葉をいただきました。参考にとメールで送っていただいた企画書の見本を元に、私なりに愛さんのこと出版への思いを書いてみました。ゆうやけこやけさんの小説発表が一段落したら企画書を検討してみようという段階です。
私は、このことを愛さんにお伝えしようとメールを送りました。久しぶりのメールです。実は、愛さんとのメールでのお付き合いを私の方から遠ざけていたのです。それは・・・愛さんへの私の感情が、肉親のそれと近く感じるようになったからです。愛さんには二人の息子さんがおられます。次男の方と私は同じ年なのです。
12年前に病気で亡くなられています。愛さんのホームページの「雑記録帳」に登場する二人のお孫さんは、その娘さんたちです。
愛さんからのメールは去年の12月28日以来ありませんでした。25日は私の誕生日のお祝いのメールをいただいていました。愛さんからのそのメール以来、私は愛さんから離れようと思いました。愛さんの86歳という年齢を思うと、いずれ永遠の別れが遠くない日に来るだろうと思うのです。愛さんに身内的感情を覚え始めていた私には、そう思うと耐えられないのです。
私は父親の死に目にも葬式にも戻れない弱虫なのです。その場に居合わせたら、自分がどうなるか分からないのです。父のときにそうだったように、母のときもおそらく私は帰らないでしょう。むしろ郷里福岡から遠く離れるべく、東へ東へと旅に出ているかもしれません。愛さんから遠ざかっていれば、たとえその時がきてもその悲しみが薄れるだろうと・・・。

少し時間を遡ります。2年前の夏のある日、愛さんからメールで相談を受けました。愛さんがホームページで発表していた「自分史」を小説にまとめてもらえないかというものでした。私は愛さんの話を映像化できればいいなとは思っていました。もちろん私の夢の中での話です。私の夢を書き出せばきりがないくらい、夢だけはたくさんみています。
小説を書いたこともない私にそれは出来るはずも無く、メールでお断りしました。愛さんの私への期待を感じました。その期待に応えられない自分を悔しく思いましたが、それがありのままの自分ですから仕方ないことでした。
私の断りのメールヘ愛さんから返事が来ました。そのメールには、自分は我侭できついから余りお付き合いをしないようにしていますと書いてありました。そして、自分が傷つくのが恐いし何しろエネルギーがありませんとも・・・。私もまったく同じ思いでした。
そして去年の12月のメールの後、私から遠ざかっていったのでした。

mixiでの活動を始めて、いやでも自分を変えなければいけませんでした。自分を変えなければ、mixiに登録したことは何の意味を持たなくなるからです。
mixiに登録して1ヶ月を少し過ぎました。マイミクシィになっていただいたお二人の方が、既に退会されています。これまでの私でしたら、退会された方と同じようにmixiに何の意味も必要性も感じなかったかもしれません。退会していたかもしれません。
これも日記に何度も書きましたが、mixiで自由になるのは日記とプロフィの自己紹介欄だけ。日記を書き、コメントに返事する・・・これだけならはホームページの掲示板と変わらない。プロフィの自己紹介欄も普通はあまりいじらないようです。するとここも変わらない。マイミクシィのつてからつてをたどって、気になる方にマイミクシィになってもらったとしてそれから、先コメントのやりとりをしてどうなるのか・・・。
そもそもmixiとは・・・と、しばらく考えてしまいます。意味を見出せなかった方は退会していきます。私は、mixiを自分を変える場、チャレンジする場にしてみようと思いました。そこにmixiの意味を見出そうと思いました。そう思うと、マイミクシィでできたつながりが意味を持ってきました。
mixiで自分を変えるチャレンジを始めたとき、愛さんのことが浮かんできました。愛さんのことを多くの人に知って欲しいと思いました・・・ご主人を亡くされて80歳のときにパソコンにチャレンジされたことを、その勇気とがんばりを、息子家族との同居ではなく、ペットと暮らす一人暮らしを選択されたこと、「負けるもんか!」というのが口癖だということを・・・。
マイミクシィのお仲間に出版社の編集者だった方が居られるのを思い出しました。相談してみようと思いました。
以前愛さんから相談され、私には出来ないと断ったこと・・・愛さんの本を出すということにチャレンジしてみようと思いました。mixiを自分のチャレンジの場にしようと、自分を変えたことでよみがえってきた計画、企画でした。マイミクシィのつながりが活きてきました。

私の方から愛さんへメールを送りました。愛さんの本を出そうと思っていること、協力してくれる人がいるということを知らせようと思いました。
メールを出しましたが返事がありませんでした。MSNメッセンジャーでアメリカに留学しているお孫さんとビデオチャットしていることを知っていましたので、私の方からメンバー追加して連絡を取ろうと思いました。その返事もありませんでした。まだ企画書も出来上がっていないことだし、そのうちに愛さんには連絡がつくだろうと思っていました。
長い間私の方からメールを出していないので、「迷惑メール」で処理されているのかもしれないと思いました。女性からのメールだと見てもらえるのかと思い、きのうの日記に書かせていただいたagasaさんから連絡を取ってもらうようにお願いしました。
そのせいかどうか・・・やっと愛さんからのメールが来ました。最初のメールから届いていました。おそらく・・・とんでもないことを言い出したと、私の熱が下がるのを少し待とうと思われたのでしょう・・・少し時間をおいてみよう・・・と。
私のメールを久しぶりに見て、出会ったときのこと(4~5年前のことになりますが)を思い出していたと書いてありました。

「雪国の四季」というサイトで公開されていた画像を借りて「チゴイネルワイゼン」の曲のページをつくりました。「音楽でひとやすみ」のコーナーです。そのことの報告とお礼を掲示板に書いたのでした。その書き込みに愛さんがコメントを書かれていました。チゴイネルワイゼンの曲は思い出の曲だと・・・それが愛さんを知ったきっかけでした。
愛さんのホームページのタイトルは「花と観葉植物の部屋」となっています。セントポーリアを中心としてたくさんの花や観葉植物の画像が公開されていました。それに愛さん自身が画かれた絵も・・・。それらの画像をお借りして「音楽でひとやすみ」にいくつかのページをつくりました。こうして愛さんとのインターネットでのお付き合いが始まったのでした。
この前ここで愛さんのことを書いたとき、愛さんがパソコンで画き始めた絵を使った「音楽でひとやすみ」のページを紹介しました。そのときは、ベートーベンの「歓 喜 交響曲第9番第4楽章(抜粋)」のページでした。愛さんの日常が画かれた絵でした。その絵にふさわしいとこの曲を選びました。
ここでは、愛さんが好きだった曲、それゆえに私の書き込みにコメントをいただきた曲・・・「チゴイネルワイゼン」の曲のページをご覧いただければと思います。北国を渡る鳥にジプシーの姿を重ねて画像を探したものです。

チゴイネルワイゼン(zigeunerweizen)
sarasate
http://www.interq.or.jp/black/ichiro/zigeuner/music22.html

お読みいただきありがとうございます。
同じことが多くなるのは年のせいだとお許しください。
それではまたあした・・・ごきげんよう。

一郎

mixiへの投稿再開~現在の日記のようなもの

一郎 2019年5月7日 21:41 削除
読み違え
頬染まりしか
朱鷺色に

初耳は
マウイの地にも
ラベンダー

空と海
青に馴染むや
ラベンダー

花よりも
根を見つめては
時想う
一郎2019年05月06日 21:16 削除
昔 別のブログに
こんなコメントを書いていました

2005-06-07
「ヒメスイレン」で検索しているときに、サニーさんのこのブログに出会いました。京都在住の57歳です。
写真の美しさに惹きつけられました。そして写真に添えられていた俳句・・・その感覚が新鮮でした。
HPからKショップと見て回りました。
写真の美しさだけではなく、どのページにもサニーさんの「いつも心はアロハスタイル」のコンセプトに溢れ魅力的です。
海外旅行はこれまでもしたことがなく、これからもすることは無いだろうと思っていました。サニーさんのことを知って、「いつかマウイに!」という夢を持つようになっていました。
これまでTVで、マウイマラソンのドキュメンタリー番組をよく見ていました。そのマウイがいっそう身近になりました。
サニーさんのブログに出会えたことで、私の中の何かが変化しました。うれしいことです。
これからもこのブログを楽しみにしています。どうかよろしくお願いします。

マウイの達人:いつも心はアロハスタイル
2005年 05月
http://sunny007.exblog.jp/m2005-05-01

すっかり忘れていたのですが
昔かいた日記にこのコメントを記録していました
それを読み返す機会があってブログ訪問
mixiに移転されたことを知りお伺いしました

今どうされているかわかりませんが
時々はここに訪れ
以前のように美しい画像を
拝見したいと思います
どうかよろしく

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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