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【短編小説】ピンキーリング

備前焼のどっしりとした器に、さっと炙られたエイヒレが盛られ運ばれてきた。
「ありがとう。」
関西弁のありがとうってなんでこんなに温かいんだろう。この後、ビールが運ばれたときも、かつおのたたきや、大根やはんぺんや卵がのったおでんが運ばれたときも、彼は変わらず「ありがとう。」と言った。蟻が10匹みたいなイントネーションで。

今まさに私の目の前でほくほくの大根を食べながら”うまい”と食べる男、多田健司。35歳。広告代理店のアートディレクター。そして私、小川美穂。35歳、ジュエリーデザイナー。先月開催された、ジュエリーアワードで偶然にも彼とそこで再会という形になった。高校2年生の時、彼はサッカー部で、私はマネージャーで。引退してから卒業までの秋と冬だけ、かわいらしい交際をした。そう、ほんとうにかわいらしい。手を繋いで、キスをして、クリスマスプレゼントを交換したくらいの。そういう初々しい感じの。

「えせ関西人だね、その喋り方は大学で沁み込ませたの?」
大根をほくほくしながら、時折ツンとした顔をする。彼は辛子をつける量が異様に多い。

「せやで、もうばり関西人やろ。担当もずっと関西エリアやから。それにしてもこんな形で美穂と再会するなんてなー。すごない?あのスポットライトは俺らに向かって輝き放ってるんかと思うたわ。」

「私は登壇して照明当たってたけど、健は運営側でしょ?照明のかけらも当たってなかったよ。」

関西人っぽい冗談を交えて話してくる。あの時はたしか、口数が少なくて、ちょっと寂しい感じがしたのに。

「え?まじ?俺の気のせいかー。美穂はいつから関西なん?」

「専門卒業して、最初はそのまま東京にいたけど、好きなブランドがこっちにあって、そこに転職して大阪に。まさか健がうちのビジュアル担当してるなんて、現場に行くまで知らなかったから。」

「いやほんまなー、美穂の会社のは、今年はじめてコンペで勝ち取ってん。」

キレイな箸使いで卵を半分個する。黄身がお出汁にじわっと溶け込んでいく。

「半分個な、大きい方もらうで。」

「すごい素敵だった、今年のキービジュアル。コピーは健の会社の人が考えたの?」

「あーあれは、一応俺が。いくつか他のスタッフと出し合って提案したんやけど、あれに決まって。」

イルミネーションの輝く季節、恋人たちが行き交う中、仕事スタイルの女性がひとり。重たそうな鞄を肩にかけ、スマホを持ち電話をしながら急いでいる様子。スマホを持つ手の小指には、さりげないリング。そのビジュアルの右端に縦書きで明朝体の上品なフォントで描かれたコピー。

“輝いているのはあなたです”

季節柄恋人に贈る指輪を広告する企業が多い中、あえてピンキーリングに焦点を当てた。奇しくもメインビジュアルとなったそのピンキーリングは私がデザインを担当したものだった。

「美穂もそうやけど、今は働く女性が圧倒的に多い。なんとなくやねんけど、熱心に働く人ほど小指にリングをしている人多いなって。男性も女性も関係なく。ほんで、このビジュアル作る前にジュエリーを販売するおばはんにリサーチ兼ねて聞いてん。最近男性も女性もピンキーリングしてる人、多ないですか?って。」

「たしかに。それで?」

「そしたらな、小指は右でも左でもそうやけど、相手を正面にした時に一番見える指やねんって。電話する姿も、コーヒーを片手に飲む姿も。口をおさえて笑ったり、前髪を少し整える姿でさえ。」

「なるほど。」

「相手に自分をどう魅せるかって大事やん。指の中じゃ一番短くて細い指やから、リング自体もやっぱり華奢なものが多いねんけど、それでもその人が輝いて見えるの不思議やなーって。そう考えたら、なんかな輝いてる人がしてる指輪なんかなーって。それで思いついてん。」

半分個された卵を頬張りながら、にやけた。単純に健の言葉が嬉しかったから。私がはじめて担当することになったピンキーリングのジュエリーデザイン。年齢的にも私の周りでは左手の薬指にリングをはめた女性が割と増えた頃だった。視覚的に結婚している人、していない人っていうのが分かるその仕来たりは独身者にとってはダメージに感じることも多い。それでも社会に揉まれながら男性にも負けじと強く生きる女性にフォーカスして作った。自分に、自分のための指に添うリング。

「嬉しい、そんな風に思ってビジュアル作ってくれたなんて。私も同じような気持ちで作ったから。」

「ほんま?そら良かったわ。まああれやな、恋仲やったから、通ずるもんがあるんやろ。」

さらっとそんなことを言いながら、大将にビールふたつとオーダーする。その間にバイトが、空いたお皿を片付けにきた時も言った、ありがとうって。

「いつの話してんのよ。」

「ほんまな、もうだいぶ前やな。でもまた会えてよかった。そや、あらためて、小川美穂様、アワード受賞おめでとうございます。」

机の下をごそごそとした彼は、淡いピンクのダリアがたくさんの花束を取り出した。白の光沢のある包装紙にシルバーのリボン。花束の上には、上品なコットン紙のメッセージカード。

“輝いているのはあなたです”

添えられた彼の文字を久しぶりに見て、涙がこみ上げてきた。私が受賞できたのも、彼がこのビジュアルを考えてくれたから。精一杯の気持ちを込めて声にする。

「ありがとう。」

そう、蟻が10匹みたいなイントネーションで。


たしかあの日、彼が大阪へ行くお別れの日。お互いの夢を叶えようと約束を交わした指。その指がまた私たちを繋げてくれたんだ。

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