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『傷によって共に生きる』北口沙弥香著、沙弥香牧師と愉快な仲間たち、2023

 神奈川県にある日本基督教団愛川伝道所の牧師をしておられる北口沙弥香さんの、受按5周年記念、農村伝道神学校入学12周年記念の説教集である。
 神学校に在学中の2013年から愛川伝道所における2023年に至るまでの説教の中で、26編が選ばれている。巻頭言は筆者が執筆した。

 読み進めると、東日本大震災が北口さんの信仰と牧会に与えている影響が、とてつもなく大きいのだと知らされる。震災直後の被災地に入って出会った人びとや出来事が、北口さんのそれまでの人格を叩き壊し、そこから再生してゆく過程で信仰が鍛え上げられていったのだろうと思われる。そして、その過程で紡ぎ出された言葉が、同じように人生を叩き壊されている人の魂を癒してゆくのだ。

 加えて、北口さんには「師」や「友」と呼べる人たちが何人もいることにも気づく。聖書の言葉によって養われているのはもちろんのことだが、多くの人間たちによって北口さん自身が育てられてきたことがわかる。人というのは、人との出会いと対話の中で育て上げられてゆくのだということを、改めて痛感する。

 この説教集は「傷によって共に生きる」となっている。北口さんの説教には傷ついた人びと、弱い立場にされた人びも、小さくされた人びと、排除された人びと、罪深いとされた人びとが何度もたくさん登場する。
 これは北口さん自身が傷に塩を塗られ続けた痛みを抱えて生きてきたことが根底にあることは間違いない。
 傷ついて、しかし神に、イエスに癒されて、を繰り返して、死なずに生きることを選択してきた説教者の言葉は、傷ついている人に優しい。いつ死んでもおかしくない人に、再び生きようと呼びかけている。
 しかしその一方で、「愛を実践するために、弱者を弱者であり続けるようにする」すなわち「愛による搾取」という面が人間にはあるという指摘は、キリスト教的愛に生きようとする人の陥りがちな落とし穴を鋭く突いている。

 ここに収められた説教は、いずれも「いかにもキリスト教の教理を語るような講話」的なお話ではない。ここには、北口さん自身が差別と闘い、聖書を噛み砕き、「神さまとけんか」し、多くの他者との出会いから得られた恵みと対話した結果、「自分の言葉で」語ったラディカルな問いかけがある。
 それは、北口さんが自分の「言葉の力」を信頼しているからではないかとも思う。そして読む側の人間も、「言葉の力」というものを信じられるようになれる、「言葉」をとても大切にした説教集だと思う。

 これらの説教のなかには、「ドキッ」とさせる側面も含まれている。イエスに従うことによって、この世では苦しみを受けることを否定していない点だ。
 イエスに従うことは、苦しむことが目的ではない。しかし、イエスに従って生きることは、結果としてこの世においては苦しめられることもあるし、権力に命を奪われることもある。しかし、その時「逃げろ」とは北口牧師は言わないのである。キリスト教は愛において厳しいのだと言い切るのである。
 ここに北口さんの、自分は神を愛し、人を愛するのだという決意、あるいは覚悟を感じ取れるし、それは同時に説教を聴く人への挑戦とも受け取ることができる。

 自費出版に近い形の限定出版のため、限られた人数の人しか入手できない貴重な本であるが、もしお持ちの方がいらっしゃったら、互いに貸し借りし合って、共有していただければよいのではないかと思う。
 この文章を書いている2024年2月の段階で、著者の手元に約20冊が余っているだけだという。

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