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女子力のモヤモヤ

                            ICU PRISM さり

 きっかけ

冬学期のある日、とあるサークルの見学に行った私は、練習を終えたメンバーたちに「お疲れ様〜」と言いながら自販機で買ったアルフォートをあげました。みんな「ありがと〜」と言いながらもらっていく中で、1人のメンバーが「女子力高いね!」と笑顔で言いました。その瞬間の、もやっとした感情を今でも覚えています。彼は普段から人当たりがよくて決して人を傷つけるようなことを言わないし、この時も単純に私を褒めてくれたことはわかりました。でも、「女子力」という言葉が出た時、何とも言えない嫌な感じがしました。

 その日の帰りの電車でずっと考えていました。何で女子力って言葉で自分がもやっとしたのかも分からなかったからです。しかし、思考を整理していく中で、女子力という言葉の背景が原因なのではないかと思い始めました。

そもそも女子力とは

 ”輝いた生き方をしている女子が自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示すことの出来る力。男性から魅力的だと思われてチヤホヤされる力。主に料理ができたり、化粧能力が高い女子の能力のこと” (Wikipediaより)

確かに、日常生活でよく出てくる女子力ってこんな意味ですよね。
女の子らしくて、女性として魅力的なこと、というイメージです。では具体的にはどんな力を指すのでしょうか?

いくつかのサイトに共通していたのは、

「身だしなみがきちんとしている」→メイクや髪型
「家庭的」→料理ができる・掃除できる
「女子らしいアイテムを持っている」→ハンカチやティッシュ・糸と針や絆創膏
「清潔感がある」→ムダ毛処理をちゃんとしている・ネイル
「気を遣える」→料理をお皿に取り分けるetc
などです。

 女子校時代、私の周りでも、絆創膏を持ってる子に賞賛の意味を込めて「女子力高いね!!」と言っていました。しかし、ここで問題なのは、女子校時代にこの言葉を使うとき、何となく他者の存在を認識していたことです。私は、絆創膏を持っていて髪の毛がいつもバッチリだったAちゃんに、「女子力高(くて大学で男子にモテそう)」と思っていました。高校を卒業して男子との接触が増えたらちやほやされそう、という意味で、この言葉を使っていました。つまり、ここでの女子力とは「女子(が男子にモテるために必要な)力」と定義づけることができます。

 日常生活の中で、どんな場面で女子力という言葉を見かけるでしょうか?私の場合、友達との会話の中で時には褒め言葉として、時にはツッコミの言葉として耳にします。また、脱毛やヘアサロンやコスメの広告、LINE NEWSでよく流れてくる「彼氏にドン引きされないために」とかいう記事や画像は、こうした女子力を無意識に埋め込ませてしまうものでもあります。

この言葉の問題点

 可愛いメイクや髪型をしてオシャレを楽しむことを批判しているわけではありません。問題なのは、この言葉を平気で使うことで「女性の魅力=男性基準の女性の評価」になってしまう危険性があることです。女子力が高い人は、果たして男性の目を通さなかった時にも魅力的なのでしょうか?というのも、ここでの女子"力"とは、あくまで男性が女性に求める要素だからです。特に家庭的(つまり結婚した後に家事をしてくれるか)などは顕著でしょう。この言葉を意味を考えずに使い続け、使われ続けることで、女性自身が男性からの評価を内面化し、自分の行動を無意識に変えてしまう。例を挙げれば、オシャレが自分のためではなく、男性にとって魅力的な女性に近づくための手段になってしまう可能性があるのです。他の例として、「そんなことしたらモテなくなるよ」という言葉をたまに聞きますが、この言葉には、「男性にモテること」がその女性の価値を決めるようなニュアンスがあります。女子力という言葉が普遍的で有る限り、例えば仕事ができるとか、決断力があるとか、男性の魅力としてよくあげられる要素は女性にあまり求められませんし、価値判断は全て無意識に男性の目から行われます。また、家事ができるとか美意識が高いとか、いわゆる女子力として評価される要素は男性の一般的な魅力にはなりません。

 女性男性という垣根を超えて「男女共同参画」(一緒に社会をつくって行こうぜ)となっている今、魅力をジェンダーによって規定しすることは必要とは思えませんし、魅力の価値判断の基準が無意識に男性主体であるのは問題だと思ってしまいます。

 思うに、女性は男性に選ばれるもの、という古い価値観がそのまま続いてしまっていう気がします。確かに平安時代の恋愛(笑)は、男性がお散歩中に女性を覗き見して、お手紙を送ってオッケーもらったら女性宅を尋ねたり夜這いしたり(!)といったものだったそうです。当時の恋愛は男性主導、女性は男性に選ばれるために自分の身なりを高め、教養を深めたものでした。昭和になっても、雇用は男女平等とは程遠く、女性が十分に稼いで1人で生きていくことは物理的に難しかったため、必然的に稼ぎの多い男性に嫁ぎ、彼に尽くして生きていくことが構造的に普通でした。そのため、多くの場合結婚する時に求められるのは容姿や家事のスキルであり、哲学的な思考の深さとか、どれだけ仕事ができるかではなかったように感じます。令和になってもまだ、女性が受動的に男性に評価される構造を引き継いでいいのでしょうか?女子力で表される要素以外にもっと評価されるべき要素なんていっぱいあると思うのに、性別によって良さが規定されてしまうのはもったいないです!(n回目)
 また、「女子力」という男性目線の評価基準によって、女性同士での階層化が進み、特権を持っている女性(男性にちやほやされる女性)とそうでない女性の分断も進みます。よくフェミニストが批判されるときのうたい文句として、「負け犬の遠吠えだ」というのがよくあります。これは、”モテない”女性が特権を持っている女性を僻んでる、という意味なのですが、モテる女性モテない負け犬と分けている時点で、これこそ男性の目(つまり異性に魅力的に映るか)を通して女性を評価しているのすぎません。男性の目でしか評価されていないことがあまりに当たり前すぎて、女性がそこから抜け出せないようにも感じます。

英語では

この記事をICU Prismでシェアした時、メンバーの1人が面白いことを教えてくれました。日本語の「女子力」って、英語に直訳すると"Girls Power"ですよね。日本語の女子力の意味は、今まで書いてきたように男性にとって魅力的な要素というニュアンスですが、"Girls Power"はパワフルで自立している女性に使う言葉だそうです。同じ意味の単語のはずなのに、ここまで示すものが違うのは面白いですね!同時に、日本がいかに女性の社会的な活躍をdiscourageしているかがわかります、、、

解決策

 じゃあなんて言えばいいの?という声が聞こえてきそうですが、私は「人間力」という言葉を使っています。これは女子力という言葉への皮肉なんですが、わざわざ女子ってラベルをつけなくてもよくない?と思うのです。例えば、お弁当を作ってきた男性に、女子力高いねっておかしいじゃないですか。これって女子力という言葉の限界だと思っています。お弁当を作ってくることはお財布にも優しいし栄養も考えられるし朝起きて作っているということだから偉いし、この態度を素直に褒めたい。そんな時に、ちょっと変だけど、人間力が高いねって言いたい。(でも友人は"力"を褒めるのは反対だと言いました。自己責任の社会につながりかねないからだそうです。その気持ちもわかります。) 今仲いい友達にだんだん広まってきているので、これを読んだあなたもその1人になってみてください笑。ゆくゆくは、人間力という言葉も普通になって、魅力を性別に固定しない社会になればいいなと思います。


最後に

 ここまで読んでくださってありがとうございました。日常生活の中で、気づいてなかったけどこれおかしくない?と感じることはたくさんあります。そのモヤモヤを疑問に変えて調べてみたり、友達と話してみたりすることから、ジェンダーの学問は始まると思っています。今日の非常識は明日の常識です(qtd. 上野千鶴子さん)。ぜひこの波に乗ってください!!

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