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ポスト・ポストカリプスの配達員〈23〉

 神聖ヤマト朝廷国〈サクラム・ヤマトン・インペリウム〉――旧日本国領をそのまま継承し、国民は元日本人〈クロネキアン〉の子孫のみで構成される、日本の後継者を自他共に認ずる郵政教一致国家である。
 もっとも日本領とは言うが、旧日本海はそのほとんどがポストによって埋め立てられ、今では巨大塩湖と化して大陸と接続されてしまっているから、300年前の地図そのままではない。そもそも大郵嘯〈ポスタンピード〉のグランドゼロ地点は旧日本の帝都・霞ヶ関であるため、ポストの密度は世界で一番高い。日本列島はポストの分厚い堆積層の遥か下方に存在し、かつて最高峰だった福慈山すら今日ではただの小高い丘だ。全土の標高が極めて高いため一年の半分近くが雪に閉ざされている。
 しかしポストの密度が高いということは、それだけ得られる資源も豊富ということでもある。その有り余る資源を背景にヤマト朝廷はその成立期から現在に至るまで鎖国体制を敷いており、シベリア郵便鉄道建設にも協力せず、APOLLONとの折り合いも悪い。だが物資の交換だけはお互い必要性を認識しており、ヤマト朝廷側が『デジマ・アイズル』と呼ぶポスト密度の低い地域にシベリア郵便鉄道の終点――ウラジオストク駅が設置され細々とではあるが人や物が往来していた。特に耕作面積がほぼ存在しないヤマト朝廷は西側からやってくるスーパーカブが重宝されている。
 ヤマト朝廷が奉ずる宗教、王冠教〈クローネ〉。そのドグマはヤタガラスと呼ばれる鬼神を祀り、郵愛郵和死後の富〈ユウチョ〉を貯める為に徳のある行いをせよという、まあポストカリプス以前に存在した宗教のごった煮の様なシロモノだ。こんな物を「世界唯一の崇高なる宗教」として国民に対して教え垂らしている。実際はかつて世界三大宗教と呼ばれた宗教たちは各地で未だ細々と信仰されているし、更には今だから分かることだが、ヤタガラスは鬼神でもなんでもない、ナツキやトライの仲間なのだ。大主教座が置かれているのは、旧帝都の直上に建立された奇怪な〝生きた〟神殿、『イセ・パレス』。ここにヤタガラスは収容されている。
 統治形態は、教皇〈ポストープ〉と呼ばれる最高執政者兼最高位聖職者の下に五人の枢機卿〈ポストカーディナル〉が付きその業務を補佐している……名目上は。実際は長らく教皇は空位であり、枢機卿達が全てを取り仕切っていた。
 また、いくら物資が豊富とはいえ他の地域同様に人口そのものは少なく、しかも下層民〈イルスァー〉(ポスト堆積層の下方に棲む住人。国勢調査の際には居留守を強制させられるため正規国民には含まれない)たちにはろくにその物資も行き渡ってはおらず、民は常に飢えていた。その理由は人口に見合わない、旗艦大和をはじめとする巨大な軍事力である。征服すべき国家も周囲にはないくせに、莫大な物資をつぎ込んでそれらを維持する様は近くで見ていた俺からしても理由が不明で恐怖すら覚えたものだ。
 教条的で。退廃的で。非合理的な。
 俺が生まれ。俺が育ち。俺が裏切った。
 今は配達員〈サガワー〉ヤマト・タケルと名乗っている、俺の、祖国。

 俺はてっきり大和の船底近くの営倉にでもぶちこまれるかと覚悟していたが、意外にも通されたのは狭いがそれなりにまともな部屋だった。椅子もベッドもトイレもある。窓はないが、明かりは十分。
 しかも、
「中々いい部屋ではないか」
「でもベッドが一つしかないね」
「ふんっ。そこな配達員のせいでこうなったのだから彼奴めは床で寝かせれば良いのだ!」
 まさか三人共まとめて入れられるとは思っていなかった。こういう時は普通バラバラにされるんじゃないのか。
『あまり私達が警戒されていないのか、それともどうせ逃げられはしないという自信があるのでしょう』
 ベッドの上に早速ごろごろと転がるナツキの胸元で振り回されながらトライが言った。
「あれだけ派手にシベリア郵便鉄道を止めておいてやることがこれっていうのが、一貫性を欠いてて分かんねえんだよな……」
 つい一時間ほど前のことを俺は思い返す。

『――繰り返す。大逆犯、ヤマト・タケルをこちらに引き渡せ』
 外部放送で名指しされた俺は、ヤマト朝廷の兵隊やシベリア郵便鉄道の乗務員たちが探し出す手間を省くためにそのまま大人しく表に出ることにした。こっそり逃げ出しても相手は空を飛んでいるので、いずれ発見されるだろう。ヤマト兵の優秀さは誰よりも俺が知っている。一か八かポストに入るという手もあるにはあるが、多分大人しく捕まったほうがマシな目に遭うことになる。未制御のテレポートはそれほどまでに危険なのだ。
「ナツキとタグチの名前が呼ばれていないってことは、ヤマト朝廷は多分二人のことを察知していないかどうでもいいと思ってる。俺が出て行けば多分列車はこのままウラジオストクまで問題なく到着するから、そこから正規ルートでヤマト朝廷に向かってくれ」
 実際これが一番被害の少ない方法だろう。ここでナツキたちとは今生の別れかもなと覚悟を決める。しかし、
「そう言われても私道順とか手続きとか何も分からないし」
 ナツキは荷物を持つと俺の腕を取って朗らかに言った。
「それに、私は『自分を置いて先に行け』って言う仲間を見捨てたことがないのが自慢なんだ」
 思わず身を捩って引き剥がそうとすると、ナツキはぎゅっと腕に力を込めてきた。腕に当たる柔らかいモノの感覚に思わず力が緩むと、ナツキはにやりと女の子らしくない笑いを浮かべ、俺を先導して部屋から出る。
「そういう事なら当然我輩もついていこう。何しろ我輩の任務は貴様ら胡乱危険分子の監視なのだからな」
 タグチも棘付き肩パッドを装着しながら当然のように言った。
「それにAPOLLON所属の身として正式に抗議もしておかねばな」
 軍人の顔つきでそういうタグチに、ナツキは嬉しそうに笑いかける。
「それじゃ、また三人で行こう!」
「いやあのな……ヤマト朝廷ってのは本当にイカれてる国で――」
「ヤマトくんの故郷なんでしょ? 大丈夫だよ。それに――私にとっても、1200四半世紀ぶりの、里帰りだから」
 俺ははっとした。そうだ。ナツキ達もあそこで生まれたのだ。それに、ヤタガラスはナツキのかつての戦友でもある。
 部屋の外には既に緊張して青ざめた顔をした乗務員たちが待機していた。一言も声を発さず、黙々とドアを開ける。だがその所作はあくまで丁寧であり、俺たちを即放り出す様な真似はしなかった。
 寒風吹きつけるシベリアのポスト荒野。そこに浮かぶ巨大な空中戦艦。シュール極まれりだ。
「重力制御してないのにどうやって浮いてるのかなあ?」
『電磁力です。周囲の帯電ポスト群を利用した磁気浮上を行っています』
「撤去人〈ユウパッカー〉にもあれほど巨大な兵器は存在せんぞ……。ここ最近常識が覆されっ放しであるな」
 肝が据わっているのかあまり危機感のない三人を尻目に、俺は大和とコンタクトを試みた。
【ヤマト・タケルだ。抵抗はしない。指揮官と話がしたいから繋いでくれ】
 秘匿周波数を用いた量子暗号通信。ポストカリプス前文明のテクノロジーを用いているが故に、恐らく俺が脱走した七年前から変更はされていないだろうと踏んでいた。
 案の定、返信が来た。
【――久しいな。手間が省けて助かるが……今はヤマト・タケル、か。ふざけた名前だ】
 七年経っても、その声は忘れようもない。俺の〝親〟だった男のものだ。
【今、人を遣る。抵抗はするなよ】
 返事をする前に通信は切られた。
『今のが相手の指揮官ですか?』
 トライの質問にああ、と生返事してから思わず訊き返す。
「今の、聞こえてたのか?」
 量子暗号通信をどうやって――いや、今はこんなナリだがこいつは〝突破した者たち〈ポスト・ヒューマン〉〟のテクノロジーで創られたAIだったと今更ながら思い出す。
「……古い知り合いだ。ナツキ達の待遇は良くしてもらうよう掛け合ってみるから大人しくしててくれよ。特にタグチ」
「貴様我輩を分別つけず暴れる阿呆だと思っておるな?」
「その通りだが?」
 分別なく暴れようとしたタグチをナツキがまあまあと宥める。
 ゴゴン。
 巨大な音と共に大和がその高度を段々と下げてきた。視界全体がこの巨船で覆われる。全長263mの鉄の塊が降ってくるのはちょっとしたスペクタクルだった。背後のシベリア郵便鉄道の車内から乗客たちの悲鳴が聞こえる。
 手を伸ばせば触れるのではないかと思えるほどに肉薄した高さ――それでも20メートルは超える――で停止すると、船底のエレベーターが展開し、そこに乗った奇妙な格好の兵士たち降りてきた。
「奇妙、か」
 俺は自嘲した。祖国の兵士なのに、今ではすっかり奇異に見えるのもおかしなものだ。だが、一兵卒から隊長まで頭に王冠をつけた姿は奇妙だと云わざるをえない。王冠教〈クローネ〉の民、クロネキアンの証だった。
 兵士たちは無言。厳しい視線。歓迎されてないのは明らかだが、ともかく俺たちは背後から撃たれることもなく船内に招き入れられた。

 俺のボヤキに反応したタグチの叫びで俺は回想を打ち切った。
「それだ! ヤマト朝廷とAPOLLONは確かに冷戦と言っても過言ではない犬猿の仲ではあるが、あれほどの示威行為をこれまで行ったことなどなかった! ヤマト、貴様何をやらかしたのだ!?」
 ナツキは(恐らくはトライも)俺の方をじっと見て答えを待っているようだった。過去の事は出来るなら誰にも話さないでおきたかったが、事ここに至ってはそうもいかないだろう。
「まあ――以前にも言った事だが、俺はヤマト朝廷の正統後継者として育てられたんだ」
 溜息を一つ。喉が乾く。唾を飲み込む。声が震えないように気を払う。
「俺が大逆犯と呼ばれている理由は、枢機卿を一人撃ち殺したからだ。
 ――〝弟〟の仇を取るために」
 七年間秘めていた己の所業を、俺はゆっくりと話し始めた。

続く

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