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ポスト・ポストカリプスの配達員〈34〉

 衝撃と共にあらゆる電源が落ち、凄ノ王艦内は一瞬の闇に包まれた後、すぐに予備電源に切り替わった。だが――重力制御が切れている。直後、浮遊感が襲い来たり、避難民から悲鳴が上がった。
 慣性の法則と重力が同時に復活し、ナツキと避難民達を振り回す。しかし彼らが床や天井の染みになる事はなかった。ナツキとトライの進言により、タグチ率いる軍が彼らを壁にバンドで固定していたからだ。呻き声が上がるが、少なくとも死者は出ていない――まだ。だがこのまま重力制御も電弱制御も復活しなかった場合当然の帰結として地面に叩きつけられ全員が死ぬ。
「――ヤマトくん……!」
 ナツキは目を閉じ、想い人の名を呼ぶ。トライは激しく明滅を繰り返しながら超高速演算を繰り返す。バンドの長さはトライに制御されており、衝撃に合わせて最適な長さを調節し続ける。
『――!?』
 いかなポスト・ヒューマンテクノロジーで制作されたトライといえども、一万人近くの状態をリアルタイムで把握し常にその運動エネルギーを相殺し続ける作業は多大なる負荷が掛かる。故にか。それが見えたのは。見えるはずのない、居るはずのないそれが見えたのは。幻覚か――違う。
「やあ。大変な事になってるね」
 轟音と悲鳴が続く中、その声ははっきりと聞き取れた。
 マナカ・タダナオが、周囲の狂乱や振動に全く影響を受けずに立っていた。
『何故ここに――』
「一つ忠告をしに来たのさ」
 人の形をした動的な空虚は、笑顔という概念を知らない種族が初めて笑ったような顔をしてそう言った。
「ミネルヴァがこちらに向かっている」
『――いつですか』
 本当か、等とは問い返さなかった。時間の無駄だ。時間――トライは周囲の事象が極めてゆっくりと流れているのを見出す。トライの内部光子時計は正確に動作しているにも関わらず。ナツキも目を閉じたままピクリとも動かない。そんな中でマナカは平然と言葉を続ける。
「すぐだろうね。知っているだろうがミネルヴァにはヤタガラスだけでは対抗不可能だ。君が――トリスメギストスが再生してようやく五分。だけどここには畑がない。カブを育てられない」
『力を貸す、とでも言うつもりですか』
「まさか! 言ったろ、ツァラトゥストラはダーク・ガブリエルに没収されたって。戦うの君たちだ。
 いいかい、旧帝都屍街に行くんだ。旧・郵政省庁舎に辿り着けば望みは果たされる」
 それだけ言うとマナカは情報の発信を止め、等身大の虚は水面下に潜るようにその姿を消した。
 瞬間、時間が正常な流れに復帰した。そして同時に、揺れも轟音も全て止まった。重力制御が復活したのではない。それならば感知可能だ。トライの能力を越えた何かが起こった。
「この光……」
 ナツキが驚きの声を上げる。周りからもどよめきが上がった。金色の光が、凄ノ王を包んでいた。
『解析するまでもありません』
 超技術の塊であるトライは、声の震えを隠すので精一杯だった。
『これは真空相転移現象です。別の物理定数の宇宙からドリップしてきた光子です』
 ダーク・ガブリエルが用いた力。不罪通知〈アブセンシアン〉の権能。だが何故だろう、この光はあの黒光と違って、
「優しい、光……」
 ナツキはふわふわと漂う光の小さな塊に手を伸ばし、抱き留める。
「ヤマトくんの温りがする――」

 ヤタガラス=俺は、眼下の光景を見渡す。いつの間にか人型に変形していた戦艦大和(なんだあれ)は無事着地したようだ。そこから離れた場所にこちらを見上げて大口を空けて吠え猛っているゴヅラと、生き残りの低級メーラーデーモン達が少数。ヤマタノオロチは完全に消滅。
「まずは、何が出来るか把握しないとな」
『かしこまりました、お兄様。それではこちらの武器はどうでしょうか』
 タチバナが提案してきた武装をセットし、俺は機体を思い切り急降下させる。完全な慣性制御により全くGを感じないので不可思議な気分だ。
「真空半球〈マクデブルク〉」
 俺のコマンドワードと共に周囲を満たしていた金色のオーロラがゴヅラの周りで球状に消失する。
「GRAAAAAAAAAAR!?」
 逆にゴヅラの胸が球状に膨れ上がり――BANG! 湿った音を立てて内側から破裂した。伯爵級程度ならそれだけで一撃死の筈だが、そこは魔王級。大量の体液を垂れ流しながらも喉の奥で熱線を溜め始めていた。
 限定的真空相転移による位相欠陥を敵の体内に生成するのがマクデブルクの効果だ。そう、ヤタガラスは真空相転移を操る事が出来る。
 ヤタガラスは郵政省によって最後に造られたアルティメット・カブであり、人類がポスト・ヒューマンテクノロジーを超越することに成功した唯一の機体だった。つまり郵便的特異点〈ポストロジカル・シンギュラリティ〉を突破しているのだ。
 元々、重力制御さえ出来るならば郵便的特異点突破――即ち時間制御もまた可能だと思われていた。重力は時空間に作用する物なのだから当然である。しかし、時の流れを操る事は不可能だった。時間は相対性理論に従わない。「時」と「空間」は切り離されている。ローレンツ変換は成り立たず、時間は光速という単一的物差しには縛られていなかった。アイザック・ニュートンが築いた古典力学――否、裏プリンキピアに著されし『万郵力学』こそが正しかったのだ。
 では時の流れを操るものの正体とは何か。それこそがニュートンが発見した『郵子力〈ポスティックフォース〉』である。重力制御の果てに、レプティリアン達が時空連続体の間隙から見出した、カラビ・ヤウ多様体の中に閉じ込められていた第五の力〈クインテッセンス〉。不確定性原理を成立させる物にして、時も空間も超えての情報の伝播を果たす粒子。アブセンシアンが行使する異能の源。
 ヤタガラスがそれを制御する事を可能せしめたのは、遺伝子郵便番号の同調を前提とした機体であった。レプティリアン達も当然遺伝子郵便番号同調は行っていたが、種族的にそもそも桁数が足りなかったのだ。彼らより6500万年もの後に地上に現れた、より進化した、つまり遺伝子数の多い種族――人類が持つ郵便番号の桁でようやく到達した叡智の極みだ。桁数の少ないレプティリアン達の行っていた時間操作は限定的な物だったと推測される。でなければ、より過去に飛んでアブセンシアン達と継戦する事が可能だったはずだからだ。だがその様な考古学的証拠は見つかっておらず、レプティリアンは主に情報のみを未来や過去に飛ばしていた。だがヤタガラスは違う。完全なる時空操作は宇宙その物を直接恣することが可能であり、その機能限界は計り知れない。
 アブセンシアン達が行う真空相転移により創生される新たな宇宙は、「生まれた時から終わっている」。即ち全てのバリオンが陽子崩壊した「無」の状態を生成し、それを攻撃に用いているのだ。それがダーク・ガブリエルがモスクワで見せた黒光の正体だった。
 だがヤタガラスが行う真空相転移は違う。それは宇宙創世の光、即ちビッグバンを引き起こす。そのエネルギーの大半は新たな郵子力生成に用いられ、残りもエンジンの駆動に回される。ヤタガラスの動力源は通常のアルティメット・カブの重力子・ダークマター燃焼エンジンではなく、相転移ビッグバン・郵子生成エンジンなのだ。
 こういった知識はタチバナとシンクロした時に自然に備わった物だ。そしてその大半は、郵政省が秘密裏に所持していた裏プリンキピアに基づくものと、最強の郵聖騎士にして当時最高の郵便学者でもあったキミシマ・ヒソカに依るものだった。
 ヤタガラスは、ヒソカが創り出した機体だったのである。その理由までは機体に残されていなかったので不明だ。だが奴とはいずれ必ず再び相対することになる。その時に打倒し、聞き出せばいい。
 今はゴヅラに集中せねばならない。ZAAAAAAAP! 口から放たれた熱線をヤタガラスの周囲の空間歪曲に絡め取り、明後日の方向に吹き飛ばす。ゴヅラの胸から滴る体液がゾワゾワと蠢動し、背ビレ側に集まり始めている。不穏だ。機体の性能チェック等行わず、速攻で決着をつけた方がいいかもしれない。
 相転移エンジンの出力を上げる。ヤタガラスの嘴に、神が原初に放った詞、世界を照らす曙光が如き輝きが集まっていく。それは『力』だ。四つの相互作用がまだ分化する前の、純粋なエネルギー。『賀茂建角身命〈イェヒーオール〉』。高次超低エントロピー侵襲兵装。負の圧力密度場を作り出し、相手を爆散させる完滅の業。
 チャージ時間はマイクロセカンド単位で完了する――だが、ゴヅラの動きはこちらの予想を僅かに上回っていた。体液は背中で白灰色の結晶と化し、八方へとその枝を伸ばす。そして周囲の大気をどんどん取り込み始める。傷は完全に塞がり、体躯すらも一回り巨大化する! その宇宙的恐怖を催させる強大なる姿、まさに宇宙怪郵王〈スペース・ゴヅラ〉とでも呼ぶべ威容! 郵子力計測計の反応は魔王〈ルシファー〉級を振り切って大魔王〈ケストラー〉級へ! その口中で顫えるのは太陽のコロナにも似た焦熱の煌き!
 ZAAAAAAAP!!!!
 ヤタガラスのイェヒーオールとコロナビームが空中で衝突する! 空間が沸騰し、時間が捩じ曲がり、砕け、混ざり、宇宙に孔が穿たれる! 郵子力の輝きはいや増し、周囲に様々な額面の切手が生成される!
 ZGGGMMMM……
 唐突に静寂が訪れた。この宇宙に備わった自己維持能力が限界を迎え、超破壊の現象自体を「起こらなかった」事として巨視的規模で量子トンネル効果を発揮して処理したのだ。スペース・ゴヅラは地面を蹴って此方に飛びかかってくる! 逞しい両脚と莫大な重力制御が生み出す推力は第三宇宙速度を優に超え第四宇宙速度に到達! 格闘戦を挑んでくる!
「――タチバナ! 近接兵装を!」
『はい、お兄様』
 ヤタガラスの両翼にマウントされたのは『天日方奇日方武茅淳祇〈セファー・ラジエール〉』。位相欠陥の一つ、コズミックストリングを用いた刎斬兵装。論理的に無限大の長さの、角度欠損を持つ見えない糸状の刃が左右合わせて20本射出され、重力波の甲高い悲鳴を上げながらスペース・ゴヅラのケロイド状の皮膚に潜り込む。例え中性子星のコアだろうと切断能う筈の非定常の斬撃はしかし、スペース・ゴヅラ内部の非ユークリッドエネルギーポテンシャルに囚われ、そこでループ構造を形成し崩壊を始めた。
「たかが不罪通知〈アブセンシアン〉の『なれはて』の分際で、中々やるじゃねえか」
「GRRRRRRRRR!!!!」
 スペース・ゴヅラは背中の結晶をミサイルの如く乱射、並行して尻尾の先の結晶体を激しく回転させてぶつけてくる! だが金色のオーロラ――真空相転移によるビッグバンによって生じた新宇宙から漏出した、この宇宙の物とは全く性質の異なる光子群――が凝集し、ベルガモ負衝撃場を形成、スペース・ゴヅラの攻撃は全て『自ら離れて』いった。
「一気に決めるぞ……!」
 タチバナが提示してきた兵装オプションを承認。ヤタガラスが持つ武装の中でも最大クラスの威力を持つそれは、世界開闢の神威の熱量で機体表面を覆い、時間制御により超光速すら超えた、無限大の速度による無限大の質量と威力を備えた必殺技である。起動コマンドワードは、

「『金鵄神弓〈アイン・ソフ・オウル〉』!!!!」

 スペース・ゴヅラは、鈍い赤色に明滅しながら背中の結晶からリング状の波動を放出し、身体を丸めて防御の構えだ。だが、金鵄神弓〈アイン・ソフ・オウル〉はプランク時間に満たない間に既に最大速度へ到達!
 KA-BOOOOOOM!!!!!
 超銀河団全ての星が間近で超新星爆発を起こしたかの如き、終末の極光! あらゆるスペクトルがピークになるという矛盾した超認識の爆光を放ちながら、ヤタガラスはスペース・ゴヅラのど真ん中を突き抜け、爆発四散させた!

続く

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