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ポスト・ポストカリプスの配達員〈28〉

 イセ・パレス。
 ヤマト朝廷の政府中枢機能が置かれている場所であり、王冠教の本尊、ヤタガラスが安置されている宮殿。
 高さ243メートルある音叉型をしたその巨大高層建築は、表面に様々な種類のポストをまるで菌糸の森の如くびっしりと生やしている。ざわざわと蠢くポストの群れは一つの生態系を形成しており、放っておくといずれイセ・パレスはポストに〝消化〟されてしまう。その為、二十年に一回「式年遷宮」と呼ばれる放火を行い清めを行う。お焚き上げに使うのは郵便ポストを特異的に侵食するカビのDNAコードが混ぜ込まれた「郵害図書」と呼ばれる勧進帳である。かつてポストが暴走した時を想定し、抑止のために試作されたと思しきこのレジェンドレア級レリックの焚書によって発生した煙は十日にも亘ってイセ・パレスを舐め尽くし、その表面のポストを腐食せしめる。その時ポストの群れが吐き出す胞子から新たなポストの森が生まれ、ヤマトの民はその恵みに浴すのだ。
 イセ・パレスはポストカリプス以前の日本の首都であった帝都から、大郵嘯によって数千メートルの高みまで持ち上げられてきた建物である。かつて本土決戦が起こった時、雷槌により上陸してきた敵軍を一掃させたという伝説もある。300年前までは、それは「帝都庁第一本庁舎」と呼ばれていた。

「ヤタガラス……」
 ヤマト朝廷の民が渇仰せし神。カンポ騎士団最後のアルティメット・カブ。それが、何故俺を。いや――
「配達員〈ポストリュード〉である俺を見張っていたのか……?」
 だがヤスオミは首を振った。
「配達員だから、等とそんな理由でヤタガラスがお前を見張っていたのではない」
 ヤスオミの次の言葉は、俺の呼吸を乱し、心臓を跳ねさせ、思考を停止させた。
「アレを動かしているAIが、貴様の〝弟〟だからだ」
 気がつけば、俺はヤスオミを殴り飛ばし、なお食って掛かるのをナツキに後ろから抱きつかれて止められていた。
「――っ、今、なんつった……? 今何て言ったんだおい!?
 心の古傷が破れて出血する。心の血は目から出る。七年前のあの時、あの場面に、俺は瞬刻で引き戻されていた。
 ――星粒のような涙を浮かべた、逆さまの目。もはや何も映さない虹彩。開き切った瞳孔。口は白痴の様に開かれ、透明な唾液がだらだら美しい鼻梁を辿って、黒髪を汚していた。
 ――〝弟〟はそんな表情で死んでいいやつではなかった。誰のせいだ。枢機卿だ。だが目の前のこいつにも――司令官、〝親〟にも、責任の一端はあるのではないか? 責任を取らせるべきではないのか? 目には目を。死には死を。
 モジュール群が全力演算を開始する。演算領域不足。壊死したモジュール群をも無理やり繋いで計算資源を補おうとする。不随意な発作的動きが後背筋に伝わり、抑えつけているナツキを弾き飛ばした。床に転がる折れた刀を拾い上げる・構える・突き刺す。滑らかに繋がるワンアクション。
「っつぅ……!」
 刃が肉を貫く寸前、俺は腕を上に無理やり逸らした。肩のところで嫌な軋みと痛み。
「――なんのつもりだ、ナツキ」
 ヤスオミの前に、ナツキが割って入っていた。
 ナツキはそれに答えず、こちらに一歩近づき――俺の目を拭った。俺は完全に虚を点かれ、ぽかんとしてしまった。
「……もしかして、『復讐なんて下らないからやめろ』とか言い出すつもりか?」
 ナツキはぶんぶんと首を振る。白い長髪が左右に広がる。
「ヤマトくんは、モスクワで私を助けてくれたから。だから、今度は私が助けようと思ったの」
 目と顔が赤い。肌が病的なまでに白いので、ナツキは感情が高ぶるとすぐ顔色を変える。
「どういう意味だ」
 声が平坦になっているのを自覚する。ナツキはそれでも怯まずに俺を見据え、言った。
「……苦しそう、だったから」
「ああそりゃ苦しいさ。仇を目の前にしたら誰だってそうなるだろ」
 口元の血を拭いながら立ち上がるヤスオミを睨みつける。
「そうだけど、そうじゃなくて! うー、うー!」
 ナツキは俯いてうんうん唸りだす。このままでは埒が明かない。俺は、敢えて冷淡な――そして反論の余地を与えない言葉で斬りつける。
「これは俺の問題だ。ナツキには関係ない」
 だが。
 カネヤ・ナツキは、退かなかった。
「関係、あるよ」
「どんな」
 俺はつっけんどんに返す。
「……きだから」
「は?」
ヤマトくんのことが、好きだから
 全ての状況判断モジュール群が挿入された変数に耐え切れずにオーバーフローを起こし、論理フレームがグニャグニャに歪むのを俺の意識は俯瞰したように眺めていた。なるほど、極度の混乱は逆に冷静さを齎すのだな。だが現実の俺は今度こそ完全に動きを止め、呼吸さえ忘れて今言われた事を反芻するだけの牛と化していた。とにかく何か言わねばならない。思考のバルブを回すが、蛇口からは一滴も雫は出てこず、無理に捻ったら壊れた。
「お――んむっ!?」
 それでも頑張って言葉を紡ごうとした俺の口は塞がれた。
 ナツキの、唇によって。
 信じられないほど柔らかい感触。吐息がくすぐったい。ナツキの温かい唾液が僅かに口の中に侵入してくるのが心地良かった。目を閉じているナツキの顔が視界一杯に広がっていて、彼女の整った容貌をここまで至近で観察するのは冷凍睡眠していたところを起こした時以来だなとふと思い返す。ナツキはほぼ抱きつくような体勢をしており、彼女のふくよかな胸がもろに密着されているのをこんな時でも意識してしまう自分が呪わしい。
 ぱっ、と。
 ナツキは唇を離すと、顔を真っ赤にしたまま怒鳴るような勢いで喋った。
「という訳で! 私は君のことが好きだから! ヤマトくんが苦しいならその苦痛を減らしてあげたいし! ヤマトくんが手を汚そうとしているならそれを止めてあげたい! ヤマトくんが人を許せそうにないならその怒りを受け止めたいし! ヤマトくんがそれでも絶望に負けてしまうのなら隣で支えてあげたいの!
 分かった!?
 分かったなら返事!!」
「あっはい」
 俺は木偶のように頷くことしか出来ない。ぷっ、と噴き出す音。見ると、ヤスオミが俯いて肩を震わせていた。
「おい、笑うんじゃない」
 俺は毒気を抜かれてそれだけ言うと、そのまま床にどっかと腰を下ろした。ナツキがすたすたと歩いてきて、俺の横に腰を下ろした。
「ところで、告白に対するヤマトくんの返答は?」
 ナツキの言葉に俺は天井を見上げ、床を見下ろし、同じように床に直接胡座をかいたヤスオミを見やり、
「……俺はそういう『告白したから強制的に相手からも返事を引き出す』というシステムに疑義を抱いている」
「「うわ……」」
 ナツキとヤスオミの声が被った。突き刺す様な視線がとても痛い。
「ごめんなさい照れ隠しです。……俺も、ナツキのことが、好きだ」
「ハッピー! これからもよろしくね、ヤマトくん!」
 ごほん、と咳払い。ヤスオミだ。
「――空気を壊してすまないな。貴様の〝弟〟がヤタガラスのAIに何故なったのかは伝えておくべきだと思う」
 心の傷は――絆創膏で塞がれていた。癒えることは、ないだろう。塞ぎきることも、ないだろう。痛みも、消えないだろう。それでも出血はしない。こうしてナツキが俺の手を握っていてくれている限りは。
「ヤタガラスを起動させるのは特殊な条件が必要だ。DNAに刻まれた郵便番号を共振させるだけでは足りない。必要なのは『思い出』だと科学者達は言っていた」
 ヤスオミはそこで少し目を伏せたが、すぐにこちらを見てまた語りだした。
「つまり貴様達が兄弟として造られたのはそういう訳だ。兄を配達員とする決定が成された時、〝弟〟の方はAIとして運用されると決まった。
 貴様が脱走を決めた日に、彼女は――タチバナはAI化処置を受けた。かつての郵政省と比較して劣った技術しか持たない朝廷では、その過程で肉体の方は廃人となる。以前から希望していた通りにその抜け殻は、枢機卿に払い下げられた。その後はお前も知っているだろう」
 俺は溜息で答えた。聞けば聞くほどクソの極みだ。そしてこいつは黙って計画を認めた側の人間だ。しかし。
「この艦に、避難民は何人くらい載ってるんだ」
「およそ一万。兵器の格納庫を空にしてようやくそれだけ詰め込めた」
 ヤマト朝廷の人口は地下のイルスァーも含めておよそ百万。戦艦大和に逃れたのは全体の1%だ。
 1%も、この教皇様は命を救い上げたのだ。
「それで結局――俺を捕まえた理由はなんだ」
「ヤタガラス――タチバナが俺達を逃す時に言ったんだ。『兄を連れて来い』とな。そうすればあのクソッタレバケモノ共はなんとか出来るそうだ」
 配送機と配達員が揃った時の力は俺はこの目で確認している。確かに唯一の希望だろう、その状況ならば。
「つまり今、その蹂躙されているヤマト朝廷に向かっているのか」
「ああ。そろそろ着く頃合いだ」
 そう言えば会話を聞いてるはずのトライはどうしたのだ。
『いますよ』
 うわ。
『うわとはなんですか。ヤマト様とは後で話し合う事がたっぷりとありますが、まずは外の状況を確認していただく必要があります』
 ブン、と音を立てて壁の戦術モニターが点灯した。
 そこに映った光景に俺とナツキは瞠目した。
 百鬼夜行。
 俺の知る限りの中では、その言葉を用いるのが最適だった。

 黒い不定形の液体が、足元にある朝廷軍の戦車を溶かし飲み込みながら這いずり回っている。時折女性の笑い声そのものの音を立てて沸騰する。黒女王〈ペニーブラック〉。
 人間そっくりな顔をした巨大な牛が、その大振りな角を使って周囲を飛び回る戦闘機を叩き落とす。牛の脚の部分は逆関節になっており驚くほどの高さまで跳ねるのだ。牛車〈ミノタウロス〉。
 非常にひょろ長い人型のシルエット。ただし首はない。黄色のローブを纏っており、手には人の顔の皮で装丁されたおぞましき本。存在しないはずの口で冒涜的な呪文を唱えると、空間から黒山羊〈レターイーター〉が湧出する。飛頭蛮〈フェイスブック〉。
 そして、おお、見よ。それら巨大で名状し難き怪物達を更に上回る巨体、終末を齎す神獣の如き存在を。ケロイド状の皮膚に背びれ、長大な尻尾! あれこそは魔王〈ルシファー〉級メーラーデーモン、怪郵王〈ゴヅラ〉だ! 口から青白い熱線を吐き出し全てを破壊する!!
 ヤマト朝廷側は奇跡的にまだ兵力が残存していた。地上のサイロから地対地小切手をありったけ怪物達に向かって打ち込む! シュパアアアアと蒸気の尾を曳きながら飛ぶ小切手群! その額面総額は500億円!!! なんたる経済効果か! 命中した小切手は即座に現金化され、そこにインフレーション理論に従った空間膨張効果を発揮する。広がった空間泡〈バブル〉が崩壊しバケモノ達の動きが鈍る。
 そこに叩き込まれるのは大口径84円切手だ! 次々と速達で届けられ、料金不足による差額ダメージを与える!
 更にイセ・パレスも戦闘モードに入っていた。音叉状のツインタワーの間が膨大な電力と磁力で歪む。と、そこから超強力なレーザー光が放たれた! それは古事記に出てくる伝説の剣に擬えて草薙剣〈エクスカリバー〉と呼ばれる、首都防衛の最終システムである!! 怪郵王〈ゴヅラ〉に命中すると膨大な爆発を引き起こす!!!
 そしてイセ・パレスの変化はそれだけには留まらなかった! ゴウンゴウンという重たい音を立ててビルの正面が観音開きの要領で展開する。
 眩い光。地上に太陽が現れたかと錯覚するほど。
 そこにあったのは、巨大な黄金の三輪スクーターだった!!!!
 
あれこそがヤタガラス、ヤマト朝廷の守護神にして俺の〝弟〟――タチバナを宿すアルティメット・カブであった。

続く

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