絶望する・傷つけるだけじゃない世界

どうも。伊田錦と言います。

昨日は、お目汚しを失礼しました。

ひとまずは、自分らしく。

書き続けられたらな。と思います。


なぜか、気になる人たち

昔から、なんとなく気になる人たちがいた。

元気で明るくて、人に囲まれていて、一見、悩みや困り事がなさそうな人たち。

…ではなく。

誤解を恐れずに言えば、問題や課題を抱えている人たち。周囲に馴染めていない人たち。教室の隅で一人ぼっちでいる人たち。

平たく言えば、“生きづらさ”を抱えた人たち。に対して、考えを巡らすことが多かった。

ニュースを見て気になる人たち

これもやはり、昔から思うことだが。

ニュースで、サツ人事件や傷害事件、虐待…等の報道を見るたびに、憤りよりも、空しさを感じることが多かった。

誤解を恐れずに言えば、事件の被害者よりも、加害者の方に意識が向いた。

もちろん、被害者に思いを馳せないわけではないが。

でも、それよりも。

「なぜ、事件は起きたのか?」
「なぜ、加害者はそんな行動をとったのか?」
「なにが、加害者にそうさせたのか?」
「なにがあれば(なにがなければ)、加害者にならずに済んだのか?」
「事件を起こす以外の、道はなかったのか?」

そんなことを考えてしまう。

絶望する・傷つけるだけじゃない世界

さまざまな要因によって、生きづらさを感じることはある。

ときに、悲観したり。絶望したり。するのかもしれない。

ときに、自分を傷つけたり、他人を傷つけたくなったり、するのかもしれない。

視野が狭くなって、自暴自棄になる人もいるだろう。

そんな人たちの、決めつけや思い込みと向き合いたい。

「こうあるべき」
「こうじゃなきゃいけない」
「こうするしかない」
「これ以外はダメだ」

…本当にそうなのだろうか?
…本当にそれだけなのだろうか?
…仮にそれだけだとしたら、その先どうなるのだろうか?

生きづらさも理不尽もある世界だけど。

それだけなはずがない。

それだけで人生が終わるはずがない。

絶望や憎しみ、怒りや苦しみだけが人生なはずがない。

それだけで人生が終わっていいはずがない。

だからこそ、おもしろがる

あまり、耳心地の良い言葉ばかり使うと、嫌悪感を抱かれるかもしれない。

でも、やっぱり、僕は思う。

辛い、しんどいだけの人生は嫌だ。

もっと言えば、辛い、しんどいだけの人生ではない。

道はある。可能性はある。やり方はある。たどり着ける。

僕は、いつか。

そんな風に思えるコミュニティをつくりたい。


おわりに

ここまで読んでくれた方、どうもありがとうございます。

なんだか、今は清々しい気分です。

いつも、スキやフォロー等してくれて本当にありがとう。

よき人生を。

では。また。いつか。




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