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排除ではなく配慮を

どうも。伊田錦です。

今日もまた、想うことを。


障がい者や病気を抱えている人はズルい/ワガママなのか


障がい者や病気を抱えている人たちに対して、ズルい/ワガママだという声があるらしい。

「特別扱いをするな。」
「みんな大変なんだから。」
「前例がないし・・・。」
「一度許しちゃうと何回もねだるでしょう。」
「なんであなた1人の為に動かなきゃいけないの。」
「我慢しなさい。」
「甘えるな。」


僕は思う。

違う。

そんな言葉が聞きたいわけじゃない。

なぜ、そんな言い方しかできないのか。

もっと違う伝え方があるはず。

もっと想像しよう。

考えよう。

視点に立ち、想像する


他人の気持ちや感覚を100%理解することは難しい。

同じように。

自分の気持ちや感覚を100%理解してもらうことも難しい。

では、どうすれば。

僕たちには、【想像する】というチカラがある。

笑顔の人を見ると、嬉しそうだなと想像できる。

泣いている人を見ると、悲しいことがあったのかなと想像できる。

料理を食べて笑顔な人を見ると、美味しいのかなと想像できる。

顔がこわばってうつむいている人を見ると、しんどいのかなと想像できる。


もちろん、想像するチカラも完璧ではない。

表情や態度だけでは判断しかねるときもある。

心の奥底を覗き込むことはそうできない。

でも。

完全に理解はできなくとも、想像することはできる。

いまいちど、働かせよう。

想像力を。

相手の視点に立ち、できるだけ相手の感覚を感じよう。

僕たちはみんなそれぞれ主観で別の世界を生きている


同じ景色を見ていても。

同じ音楽を聴いていても。

同じ環境で過ごしていても。

同じ経験をしていても。

みんなそれぞれ、自分の身体と心を通して受け取っている。

そして、その見え方・聞こえ方・感じ方は1人ひとり異なる。

当たり前だと言われればそうかもしれないが。

ときに僕らは忘れてしまう。

「同じであって欲しい。」
「同じだと安心する。」
「同じなのが当たり前だろ。」

そういう教育を受けてきたからなのか、日本人特有の民族意識なのか。

でも。

僕らはみんなそれぞれ主観で別の世界を生きている。

僕に見えている景色とあなたに見えている景色は全く同じではないかもしれない。

あなたが不快だと思うことが僕には心地よいかもしれない。

あなたの痛みや苦しみを僕は完全には理解できない。

僕の喜びや興奮もあなたには伝わらないかもしれない。

でも。

僕らは想像することができる。

想像すると、少し相手を理解できる。

想像すると、少し相手を許容できる。

知ること/知ってもらうこと


でも、想像だけでは危うい。

僕らは、知らないと勝手にイメージをつくる。

勝手なイメージは、偏見や差別につながる。

知らないから、恐怖を感じる。

知らないから、違和感を感じる。

僕らはもっと、知らなきゃいけない。

僕らはもっと、知ってもらわなきゃいけない。

以心伝心や察してもらうことに期待しすぎないこと。

伝えるために、言葉がある。

言葉で伝えるのは、怖いし、めんどくさいし、大変だ。

だけど、僕たちはもっと、言葉を交わさなきゃいけない。

知ること/知ってもらうことは安心や信頼につながるから。

中には、他人の内面に踏み込みたくない。

自分の内面に踏み込まれたくない。

という人もいるだろう。

他人の事情を知ることは、ときに責任を伴う。

自分の事情を知ってもらうのも、勇気がいる。

「迷惑や心配をかけたくない。」

「余計な気を遣わせたくない。」

「面倒事はゴメンだ。」

そう思うのも無理はない。

だけど。

僕は本来コミュニケーションは面倒くさいものだと思っている。

言葉にしないと伝わらない。

言葉にしても伝わらない。

そんなことばかりだ。

でも、その面倒くささの中にこそ、【つながり】や【絆】、【信頼】や【安心】か生まれるのではないだろうか。


他人の心はわからない。

わからないからこそ、知ろうとすること。

そして。

わからないからこそ、気にしすぎないことも大事だ。

僕らには、苦手なことも得意なこともある


苦手なものが人それぞれにある。

関わるのが苦手に感じる人。
苦手な環境。
苦手な過ごし方。

一方で。

得意なことも人それぞれある。

関わるのが得意に感じる人。
得意な環境。
得意な過ごし方。

人それぞれに苦手なことがあり、また、人それぞれに得意なことがある。そこに合わせて個別に対応していくことは、ズルいことでもワガママなことでもないと思う。

むしろ、苦手なことや環境をそのままにしておくほうが、成果は出なさそう。

それぞれに合った、働き方や生き方があるはずだ。

僕は、それは諦めてほしくないと思う。

排除ではなく配慮を


わからない、面倒くさい、知らない。

だから、排除しよう。攻撃しよう。否定しよう。

ではなく。

ちょっとの工夫と。

ちょっとの配慮と。

ちょっとのサポートと。

ちょっとの勇気。

ちょっと知ってみる。

ちょっと知ってもらう。

それだけでも、変わることはあるはずだ。


多様な人たちと、どうやって一緒に生きていくのか。

その為には、何が必要か。

共に考えていきたい。


おわりに


想定よりも、長々と書いてしまった。

いったん書き始めると気持ちが溢れてきて、あれもこれもと書きたくなる。

上手く言葉にできているか分からないが。

なんとなく思ったことを書いてみた。

では。また。いつか。


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