なんでもできるわけではないが、なんにもできないわけでもない

突然だが、こんなことを考えたことはないだろうか。

「自分にはなにもない」
「自分なんてダメだ」
「あいつは特別だから」
「できる自分にならなきゃ」

おそらく、誰もが一度は(何度も)通る道だと思う。失敗や挫折をする度に、他人の成功を目の当たりにする度に、自分を卑下し、他人を羨み、このままではダメだと言い聞かせ、自分を追い込む。そんな自分が苦しい。
もちろん、その感情がエネルギーとなって、前向きに行動できるのであれば、あまり問題ではないのだろう。
だが、できない自分に苦しみ、自分なんて、と感じているのであれば、捉え方を少し変えてみて欲しい。
今日はそんな話を。


生産性だけではない存在価値

時に、僕は無職である。社会的に見れば、何の生産性もない人間になるのだろう。働いて、社会に貢献し、収入を得て、得た収入で商品やサービスを買い、経済を回していく。そうした歯車のなかに自分がいないことの虚しさは感じている。
だが、人の価値は、生産性の有無(あるいは質や量)だけで決まるのだろうか。もしくは、何らかの理由で、生産的でなくなった時に、人の価値まで失われてしまうのだろうか。
生産性だけではない存在価値というものがあるのではないだろうか。

人は存在しているだけで相互にいろんな人に作用するもの

“何かができること”に価値があるなら“何もできないこと”に価値はないのか。もっと言えば、“本当に”何もできないのか。
“上手く話せない”
“勉強が苦手だ”
“頭が悪い”
“怒られてばかりだ”
それらは、本当にダメなことなのだろうか。
もし本当に何もできないのだとしても、できないから、ダメなわけではない。と思う。
それに、そんなできない自分だとしても、意味はあるし、価値はあるのだ。

自分自身は否定すべき対象ではない

他人と比べて、自分に“ないもの”を数え、自分なんて、と否定してしまう気持ちはよく分かる。だけど、自分を否定しても、何も産まれない。ただつらくなってしまうだけ。
否定だけしても、辛いだけ。
もし、否定したくなったら、否定してしまったら、こう考えて欲しい。

“1つ否定したら2つ肯定する”
“1つ嫌いになったら2つ好きになる”
“1つ批判したら2つ賞賛する”
“1回ネガティブになったら2回ポジティブになる”
“1回泣いたら2回笑う”
“一度後ろ向きになったら二度前向きにになる”

あなたは、あなた自身を否定しなくていい。
あなたは、否定されるべき対象ではない。
あなたは、あなた自身を許していい。

ありのままの自分でいいを根底に

できる自分も、ダメな自分も、そのままでいい。
意外となんとかなる。
自分をさらけ出すのは怖い。
けど、さらけ出すからこそ、包んでもらえる。
それは、愛情かもしれないし、優しさかもしれないし、友情や尊敬かもしれない。
あるいは、同情や哀れみかもしれない。
でも、あなたを包んでくれる人は必ずいる。
そうやって包まれるからこそ、温もりを知れる。
温もりを知るからこそ、人に優しくなれる。
そして、今度はあなたが誰かを包んで欲しい。
ありのままの姿をさらけ出してくれた人を。
その、恐怖や不安を知っているあなただからこそ。
包み込まれる温かさ、幸せを知るあなただからこそ。

自分をおもしろがる

どうか、自分をおもしろがって欲しい。
自分の可能性、強みに目を向けて欲しい。
自分に意味や価値を見いだして欲しい。

【人は、なんでもできるわけではないが、人は、なんにもできないわけでもない。】

この言葉を、自分自身に向けて欲しい。
無力感に襲われたとき、自暴自棄になりそうなとき、自分なんて、と責めてしまいそうなとき。

そして、できれば他人にも向けて欲しい。
人のダメな部分をみたとき、人の嫌な部分をみたとき、人を見下しそうになったとき。

自分をおもしろがり、他人をおもしろがり、社会をおもしろがり、世界をおもしろがることができれば、あなたの人生は、もっと輝く。もっと、楽しめる。

綺麗事でも、あなたに届けば。

おわりに

今日は、いつも以上に、駄文、乱文、散文になってしまった。読みにくくて申し訳ない。
というか、若干、痛いヤツになっていないだろうか…。
まぁ、一応この調子で続けてみたい。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
ここ最近、スキやフォローが増えてて、本当に感謝してます。嬉しいです。
こんな、自分で良ければ、温かい目で見守ってください。

では、また、いつか。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?