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セクシー田中さんを読んだ話

 芦原妃名子先生の訃報を知って、とても比べ物になるものではないけれど構造が似ていて、トイレに籠って嗚咽を上げるほど悔しかった時のことを思い出さずにいられず、電子書籍を一気読みしました。
 未完ということを知ってまたショックを受けた、という話です。ネタバレします。

 自分が特定のキャラクターに重なるというタイプではなく、各シチュエーションや思考回路の断片が既視感・実体験のあるものゆえ、どのキャラクターの言動も度々リアルに迫ってくる、という作品でした。異国の民族舞踊系ジャンルのダンス教室でお姉様方に囲まれながら練習に励んだり、それで姿勢がいいと言われるようになったり、男性ミュージシャンに憧れたり(そもそもフラメンコギターの音が好きすぎるせいにもしたい)、という経験があり、細かいところでは最近、数日肩の可動域が突然狭くなって一番心配したことが「踊れなくなったらどうしよう」だったり。それに加えて、人に話したくもない大学時代の痛いシーンあれこれも。京子さんがほんの少しだけ上の年齢ということで、肌や体の不調系もさらに身に染みる。

 この散らばる生々しいリアリティが自分にとっての作品の技術的な魅力とすれば、内容としての魅力は、他人にいかに向き合い解像度を上げていくか、その難しさと尊さ、をテーマとして感じ取ったところにある。学校や恋愛関係にはほぼ至り得ない関係性の間なら、損得勘定を伴わないために誰かに興味をもつことはそう難しくなく、逆にその価値を見逃してしまうものかもしれない。一方、セクシー田中さんでフォーカスされている人間関係は、ページを割いて問われているとおり、結婚という得体の知れないものを基準に、どうしても複数のそろばんをはじいてしまうという難しさがベースにある。それに加えて過去の経験がまだ磁場をもっているからこそ、この人面白い、もっと知りたい、というか強火担だわ、という気持ちを素直に、そうそう行動に移すことが、表情に出すこと、そもそも自覚することさえも雑音が入って難しい。それが実現したときの明るい景色を見せてくれているように感じる。

 そういえば、自分は彼に対して本当に向き合えているんだろうか、と考え込んでしまった。かねてより自信がない。色んな作品の感想や子ども時代や世の中の雰囲気についていくら話していても、年月が経っても、違う個人ゆえ完全に理解しようなんて思わないしされようとも期待しない、として自分はいつも自分のことしか考えていないように感じて仕方がない。まだまだ成長期ということで良いのだろうか。
 本当に、まだあの世界のキャラクター達のその後の頑張りを、背中を、もう少しみていたかった。

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