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観劇遍歴の話・後編

 前編の続きです。
観劇遍歴の話・前編|もーん (note.com)
 NHKプレミアムステージで宝塚の舞台の美しさ、特に日本物の華やかさに衝撃を受けて、いつか観に行きたい、と思っていたものの、チケットを入手する前に3・4作品ほど昔のものを映像で観るうちにこの時は少し、特に恋愛もののパターンに飽きてしまった。同時進行でミュージカル映画にハマり、とりわけ「オペラ座の怪人」、「雨に唄えば」、「ロシュフォールの恋人たち」が気に入った。ところが、劇団四季のオペラ座の怪人があまり響かず、ライオンキングも、衣装すごいなあ、で止まってしまった。ここで生の舞台を観に行きたい欲が一旦なくなってしまった。
 
 そんな時、海外ポスドクの付き添いで初めて能と狂言を生で鑑賞し、(寝てたくせに)能すごい!好き!やりたい!となった。その時の演目は「井筒」。パンフレットの解説が充実していたこと、ストーリーが分かりやすかったこと(エモいというやつ)もある。ただ、初見の衝撃として、言葉だけでなく、そのミニマムなセット(井戸に見立てた四角の木の枠とその1角にススキが差してあるだけ)についても複数に意味を持たせるあり方がめちゃくちゃカッコいいと感じた。加えて、地謡と囃子がその場に居合わせるような、空気を感じられるような臨場感を出しているのも。そして、クライマックスの、さっとススキを手で払って井戸を覗き込むところでは思わず涙した。
 ちなみに狂言は教科書でおなじみの「附子」。言葉も面白いけれど、間がね、ゆったりなのだけれど、その絶妙さがまた美しいんだ。

 その後、文楽と歌舞伎もちょこっと観てきたものの、今のところ断然好みは能です。まだまだ観ている量が足りないけれども、途中でどうしても船をこいでしまうのだけれど、構成の美しさ、ミニマムの力、人間の感情の描き方も、一番自分の中に残るものが大きく感じる。

 就職後、ついに宝塚の舞台を生で観る機会を得て、今度は現在に至る沼にはまる。ファントム(2018年雪組)で初めて、役替わりがあったとはいえ同じ作品をそこそこの回数繰り返し観る、ということを経験したのが転換点。舞台が生ものということを体感したり、ご贔屓ができてダンスやお芝居の解像度が爆上がりしたり。超過勤務時間がえげつなくなった中での支えでもあった。そのうち、同じ演目の公演数を経るごとのお芝居の変化や、同じメンバーの異なる演目を経る中での成長を目撃することで、作品や演出への解像度もどんどん増していったように思う。
 宝塚歌劇は、舞台鑑賞の入り口という点だけでなく、遠くない年代の女性のロールモデルの豊富さに気付かせてくれる点でも大きな支えになっている。直接的にはダンスの身体の使い方とかファッションの部分が主とはいえ、そもそも同じ戸籍が女性という人間の中にも幅広い個性があって、それぞれ活かして魅せる方法がある、ということを改めて思い出させてくれる。

 といった感じの基礎をもって渡米し、宝塚からしか摂取できない栄養は配信でまかないながら、ブロードウェイミュージカルとその他できる限り色々なタイプの舞台作品を観て、日本にない要素とか、音楽の力とか、多様な舞台装置とかを貪欲にインプットしようと燃えているのが現在です。

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