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「悪童日記」感想文

著者

アゴタ・クリストフ(1935~2011)
3月30日読み始め3月31日読了。

訳者

堀 茂樹

あらすじ

 第二次世界大戦、ドイツ占領下のハンガリーの国境の田舎町が舞台。ただし、作品中に具体的な地名は出て来ず、〈大きな町〉や〈小さな町〉と、抽象的に表現されている。
 意地クソ悪い祖母の家に預けられた双子の物語。双子の“悪童”は、戦時下という狂った世界の中で、狂った大人たちに翻弄されつつも、それを受け入れ、そして乗り越え、たくましく(というかしぶとく)生きていく。

印象に残った人物

兎っ子。犬と性行為をする兎口の少女。気狂いと噂される母親と二人暮らし。街の少年たちからは犬畜生のような扱いを受けている。この子の性根は本来とっても健気なんだけど、狂った世界で健気でい続けるということが、どれほど恐ろしいかということを教えてくれている。最後は侵攻してきた敵国(書いてないけどロシア)の兵士に自ら喜んで体を差し出し、その果てに死亡。なんともやるせない気持ちになった。

感想

 獣姦兎口少女をはじめとして、ロリコン変態司祭、その司祭に仕えるド淫乱女中、ゲイで少年もOKで聖水好きな将校、そして二言目には「牝犬の子!」と、自分の孫を罵る祖母。とにかく登場人物たちのアクが強すぎる。 戦時下という異常な状況では、このように人間の汚い部分が露わになりやすいのだろうか。その中で、この悪童たちは誰に教わるでもなく自分たちを鍛えていく。聖書を読みふけり、体を鍛え、痛みを克服する鍛錬をしたりする。そして彼らは生き延びるために、同年代の悪ガキたちを容赦のない暴力で打ちのめしたり、司祭の悪行をタネに金をたかったりする。だが、彼らは決して根っからの悪童ではない。兎っ子同様、狂った世の中を必死で生き延びようとした結果“悪童”になったにすぎない。それを現わしている場面がある。
 乞食の気持ちを知るためと、乞食を見る人々を観察するために、「乞食の練習」をする双子。ある夫人は「あげられるものが何一つない」と言って、二人の髪をやさしく撫でる。別の夫人が林檎を、また別の夫人がビスケットをくれる。練習が終わり、帰路についた二人は、もらった食料を草むらに投げ捨てるが、その場面は次の言葉で締め括られる。
「髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない」と。
 当たり前だが、彼らが本当に必要としているものが“愛情”だということがうかがえる。

 物語の最後、突如二人の実の父親が現われる。彼は国境を越えて隣国へ逃げようとしている。国境の警備状況を熟知している双子は、父の逃亡を手助けする。が、それは双子たちの罠だった。国境を抜けるには地雷地帯で少なくとも人ひとりの犠牲が必要となる。彼らはその犠牲者に父を選んだのだ。思惑通り父は地雷を踏み抜き死亡。双子の一人は、その父を踏みつけて隣国へと逃げていき、もう一人は祖母の元へ帰っていく。
 なんとも謎の残るラストシーンで、この先彼らがどうなるのかが気になってしょうがない……と思っていたら、この物語、三部作だった。急いで残り二作を購入しました。

 子どもの口調で書かれているので、サクサクとページが進むんだけど、その軽快な読み口と反比例して、内容は本当に重い。人間とはいったい何のためにこの世界に存在しているのか、果たして存在していていいのか、深く考えさせられた。
 思うに、この世界に倫理とか道徳といった概念があるのは、人間の本質が“悪”であるからなんじゃないだろうか。つまり“悪童”とは人類そのもの。ということは、「悪童日記」は「人類日記」でもあるのだ。

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