#003「欠落こそ才能」欠けているからこそ、埋める力学が働く!
1.才能について
1)才能の功罪
皆さんこんにちは。井戸です。
さて、#001と#002の文章で散々「才能」という言葉を多用してきた。もちろん才能はあるに越したことはない。才能は自尊心に繋がる。目標までの最短ルートになりうる。自己理解の第一人者である八木仁平さんの本にも、こう書かれている。
自然にできることだから、誰にでも才能はあるのだ。ストレングスファインダーを用いれば、より簡単に才能を発見することができる。なるほど、才能の功績は素晴らしい。
一方で、八木仁平さんの本やストレングスファインダーにたどり着いていない人にとっては、「才能」という言葉は曖昧で、罪深い。
先入観なしに「才能がある人」という言葉を聞いて、どんな人をイメージするだろうか?
・世界を変えるようなイノベーションを起こした人?
・IQが平均より抜きん出て高い人?
・生まれつきすごい力を持つ人?
・恵まれた能力で成功した人?
いずれにせよ、「成功者だけが与えられた能力だから、自分には無縁だよ」と、才能と自己とを切り離してしまう人が多いのではないだろうか。
あるいは仕事や人生がうまくいかなくて「どうせ自分には才能がないからな…」と自暴自棄になるきっかけとして、才能の欠落を引き合いに出したりしないだろうか。
事実、僕もストレングスファインダー受験前までは周りの優秀な商社パーソンたちと自分を比較し、彼らの才能を羨み、自己嫌悪に陥りまくっていた。
才能という言葉は、その独り歩きのせいで多くの人間の自尊心をへし折ってきたという、罪深く抽象的で曖昧なものなのだ。
2)才能は先天的なもの?
その背景には、「才能は先天的に配分されたもの」という先入観が災いしているのではないだろうか。
レジェンドミュージシャン、プロスポーツ選手、芸能界の重鎮、TOPインフルエンサーなど、目覚ましい成功を収めている一流の人々は例外なく、生まれつきすごいスキル持ってるんでしょ?先天的に授かった恵まれた能力のお陰でしょ?という冷笑的な視点で眺められることも少なくない。
もちろん、体格や声質など先天的でどうしようもないものも一部あるが、すべてなのだろうか?
本日はこの「才能」という言葉が持つ先天性、傑出性に切り込んでみたいと思う。
2.すごい人は大概「欠けている」
1)レジェンドたちの欠落性
インド独立の父:ガンジー
名著『若きウェルテルの悩み』著者:ゲーテ
心理学者:フロイト/ユング
ビートルズの一員であり平和運動家:ジョン・レノン
俳優でありユニセフ親善大使:オードリー・ヘプバーン
世界最初のワクチン開発者:パスツール
彼らの名前を一度は聞いたことがあるだろう。いずれも、偉業を成し遂げたレジェンドたちである。彼らを成功に導いたのは、生まれ持った才能だったのだろうか。以下、引用も交えながらもう少し掘り下げてみよう。
いかがだろうか?「成功には先天的な才能が不可欠」という理論の雲行きが怪しくなってきただろう。
彼らに共通しているもの、それは
『欠落』
であると考える。
ガンジー ▶ 平等に尊重されるべき人権
ゲーテ ▶ 最愛の女性と旧友の存在
フロイト/ユング ▶ 健康な精神状態
ジョン・レノン ▶ 家族の愛
オードリー・ヘプバーン ▶ 栄養と食事
パスツール ▶ 愛する二人の娘の存在
成功者すべてが欠落を経験していたわけではないが、欠落を経験した者の多くは成功しているという十分条件は成立するのかもしれない。そうなってくると、「才能」という言葉の解釈も変わってくる。
2)欠落こそ才能
『才能とは、何かにおいて人より多く持っているもの』ではなく、『才能とは、何かにおいて人より欠けているもの』ということでもある。何かか足りず欠けているからこそ、その穴を埋めるべく必死になる。他の人がかけないような膨大な時間を投入して創意工夫しようとする。結果、何かの分野において傑出して秀でた才能となり、成功を導く。
才能とは、欠落した者が行った「人生の選択と集中の結果」だ。何かが足りないからこそ、埋めるために時間や人生そのものを全振りする。劣等感まみれだからこそ、そこを抜けようとする際に発揮されるエネルギーは、どんな力より膨大になる。結果、才能として大化けする。
そう考えると、「自分はどんな才能があるんだろう?」と探し始めるよりも、「”人生を掛けてでも埋めたい欠落”はなんだろう?」と自らの欠けている点を探したほうが、才能を発見する近道になりうるかもしれない。
あなたは何に欠落してますか?
才能を発見するキッカケの問いにしてほしい。
それではまた!
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