2023.11.27 池袋、夜

人と会う為だけに休日に外に出たのだが、会った友人は明日の朝が早いようで、別れ、僕はなんとなく帰る気にもなれず、繁華街を一人でほっつき歩いた。

馴染みの、刺激しか脳がないと言われたらそうでしかないような、繁華街のラーメン屋で食事を取って、交差点脇にある自販機で缶コーヒーを買おうとした。

百四十円するそれに、なんとなく小さく嫌気が刺して、信号を渡り、その先の自販機は百十円で何時も飲んでいるやつがあったので、それを買う。

ラーメンは九百五十円したので、この一時間ほどで千円以上使ってしまった、と思ったが、最近金が入ったばかりなので特に気にしなかった。

高いのはラーメンもコーヒーもで、それは一時的な価格ではなく、これからも安くならないだろうが、ただ慣れずに、必要以上に何かを取られたような気にはなった。

冬の良いところは、着込むコートのポケットが多いので、定期券・財布・携帯・イヤホン・煙草・文庫本が入るから、手ぶらで街に出れることだ。

友人によれば、鞄を持たないことは十代の男子の美学でしかないらしいが、繁華街や人と会う約束に、少なくとも気張ってはいないのだ、と自分で思えるという点で、僕はその行為を気に入っていて、出来るだけ鞄を持たない。

缶コーヒーを買って、ポケットに先に飲み切った空のコカ・コーラのペットボトルが入っているから捨てようと思ったのだが、やはり2020年以降、つまり東京オリンピック以降は東京でゴミ箱は殆ど見かけないので、案の定ゴミ箱はなく、そのまま駅前の喫煙所に向かった。

喫煙所に向かう途中、買った缶コーヒーの熱さを、少し軽く手で放りながら冷ました。

最近、やたらと缶コーヒーを飲む。
それに理由付けしようと思ったが、単純に疲れていて、刺激と甘さを求めているだけでしかない、ということしか浮かばないが、軽く依存しているような気にもなった。

喫煙所に入り、煙草に火をつけて缶コーヒーを開ける。煙が外に行かないようにする高い外壁の向こう側に、それらしい中層ビルが建っていて、人影まで見える。

横に満月が浮かんでいる。
それを満月だと分かったのは、月があまりに満ちているからではなく、今日たまたま会った写真を撮る友人が、月の出だからと僕に別れを告げようとした時、月?と聞いたら、今日は満月だ、と教えてくれたからだった。

喫煙所で景色を見るというのは案外珍しいことだ、となんとなく思ったのだが、それも缶コーヒーと煙草で両手が埋まっていて、スマホを見ていないからでしかなかった。

月に見飽きたと思ったのと大体同じぐらいのタイミングで、喫煙所に冷たい風が吹き、僕は肩をすくめた。

寒いな、と思う。

今年の季節の変わり目はやけに長く感じた。

夏にそれ相応の思い出があって、それらが去った時は、僕もそれ相応の感傷を抱いたし、長く厳しい冬に孤独に分け入っていく覚悟のようなものを持ったつもりだったのだけれど、秋というか、その夏と冬の間の時期はあまりに長く続いたので、それらを忘れてしまったように思えた。

あの夏に戻りたいと思うことさえ無くなったこの冬の始まりは、ただ平坦な繰り返しで、つまり、特に何も生活に問題はなかった。

それは大学二年生の後期で殆どの単位に出席が足らなくなり、学校に行く必要があまり無くなったことで、本を読む時間を取れるようになったからかもしれない。

それもまたいつかの僕に問題となって降り注ぐのだろうが、それは少なくとも今ではなかった。

煙草を吸い終えて、残りの缶コーヒーを飲み干し、灰皿に吸い殻を捨てた後、やはり寒かったので手のひらを擦り合わせると、ハンドクリームを買わなくてはならないことを思い返した。

夏の終わりから秋にかけてのストレスで、手のひらが酷く荒れたのだった。

それに気づいた時は、やがて良くなるだろうと、たかを括っていて、確かに発疹で痒くて仕方がないような時期は終わったのだけれど、あまりに長く荒れているので、気休めとしても買った方が良いのだろうと思ったのだった。

この街の薬局は、と喫煙所を出ながら考えたが、やはり面倒で、すぐそばの駅の入り口を目指した。

手のひらの荒れやそれに纏わるストレスの起因など別に大したことには思えなかった。

どうせこの学期がひと段落ついた後の冬休みやその後の春休みで長い冬の底冷えに耐える内に心境も変わってしまうだろう。

来年になれば単位の問題もより降りかかるだろうし、身の回りの問題も何がしかに置き換わってしまうだろう。

それならば今の穏やかな気持ちのまま今日は帰りたかった。

駅前を通る時に、花壇や植木に纏わり付く電球のイルミネーションが目に入った。
ネオン街のそれは、目を焼くというよりは隅々まで照らす、その隙間の無さしか思わなかった。

東京に逃げ場はない。それは十代の頃から知っていることだった。

人混みを歩き、電車に乗った時、なんとなく今日は一駅歩いて帰ろうと思った。
そして、何かを書いて帰ろうと思った。


友人から借りた読みかけの古井由吉の「杳子」があまりにも良いので、続きを読みながら帰ろうかと思ったのだが、今日もどうせ眠れないのだし、心地だけ良くなって眠れないベッドで横になって読もうと思った。

僕は最近文章を書いていなかったが、なんとなくの冬の入り口の心持ちとして、やはり真剣に文章を書こうと思っていたので、小さな日記だとしても書こうかなという気になった。

眼前の実習に対する嫌気や、それに纏わる映画全体に対する複雑な心境、人間関係というものに対する疲弊も相まって、僕は最近は本を読むことと物を書くことに拘り始めている。

それも長く続くかは分からないが、ひとまず次にまとまった休みがくれば何かしらの小説を書こうとは思っていたのだった。

そして繁華街から帰った地元の住宅街を一駅歩くという選択も悪くなかった。

何よりラーメンのせいで腹は一杯だったし、明日も休みだから帰るには早すぎる。

それに、夏に戻りたいと思うような冬の最中の感傷に入り込んでしまう前に、いつかの夏の終わりの疲弊から望んでいたこの平坦な日常をその寒さと共に楽しもうと思ったのだった。

それはもっと単純に言えば、今夜なら一人で夜道を歩き煙草していても、寂しいと思わないだろう、それならそれを楽しもう、と思った、ということでもあった。

前の席が空いて、僕は空いた缶コーヒーとコカコーラのペットボトルで膨らんだコートを邪魔にならないように折り畳んで、次の乗り換えの後に書こう、と思い、それまでの十分、少し目を閉じることにした。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?