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吃音の当事者にこそ「梅棒」をオススメする理由

これまで、「吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録」と題し、①から④まで投稿してきた。
(まだ未完であることを情け無いながら申し添えておく)

そこからも分かるとおり、私は「吃音症」を持っている。

詳細は、以下の過去投稿を参照していただけたら幸いなのだが、苦しいことが沢山あった。
本当に沢山あった。
過去形にしてしまったが、現在進行形だ。
一生進行形だ。
抱えてともに歩んでいくしかないものである。


だが、私の場合、幸いにも高校生の時に「舞台」に出会った。

舞台に出会っていなかったら、自分で人生を終わらせていたかもしれない。本当に。
それほどに感銘を受け、影響を受けた。

上に添付した「【症状の整理】吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録③」のとおり、私は、「あ行・か行・た行・な行・ま行」がうまく発語できない。

これら5つの行の文字が最初にくる言葉は、道具的学習(以下の4つ)を使わなければ、連発や難発が起こる。

①息継ぎをしないで発語する
②頭のなかで「1、2、3、4!」と数えて勢いをつけて発語する
③歩く誰かの足元を見ながら「今!」と思ったときに発語する
④右手で体側をトントンと叩きながら「今!」と思ったときに発語する


若しくは「言い換え」を行う。

「ありがとう」→「サンキュー」
「いつも」→「ずっと」「よく」
「まじで」→「本当に」
「明日」→「○曜日」
といった具合に。


基本的には、この言い換えを休むことなく頭の中で続けながら、話をしている。
そのため、会話の前後は極度に緊張し、疲弊するし、「自分の言葉」で話せないことがとてもツラく思うことがある。

【自分の言葉で話せない】ことの辛さはとても伝えにくいし、伝わりづらい。

本当に一例でしかないが、例えば、
①「貴方のことが好きです」と言いたくても吃るため言わない。
突然そのシチュエーションが訪れたとしても「言い換え」の準備をしていないため、吃ったときの恐怖が上回り、言わない。

②「私はこっちの方が好き」と自己主張をしたくても「吃ったらイジられる」という恐怖の方が勝つため、既に話題に上がっているものに「私もー!」と同意することを選んでしまう。

③「演劇集団キャラメルボックスの岡田達也さんが好き」と相手に伝えたくても、「え」も「お」も確実に吃るため、「好きな役者さんがいる」としか伝えることができない。

といった具合だ。
本当に、本当に一例ではあるが。

つまり、【今リアルタイムで心に想うこと】を相手に伝えることが困難である(吃る)と判断したとき、伝えること自体を諦めてしまうのだ。
誰かと会話を続けている場合、体感ではあるが1分に1回は言うのを諦めている。

その点、舞台は「ナマモノ」であり「リアル」である。
立ち会う全員が「今」を生きている、とでも言えば良いのだろうか。

ある人がある人に向かって、「好きだ」と言ったとき、相手がどういう表情を見せるのか、どういう言葉を返すのかは、「その時」になってみないと誰にもわからない。

たとえセリフが決まっていたとしても、それは観客にとっては知る由のないことであり、観客にとっては「リアル」にしか映らない。

私は、本もドラマも映画も大好きだが、舞台は特別好きである。

それは、舞台に関しては、本当にリアルタイムでしか出来事が起こらず、セリフが決まっていたとしても次の瞬間何が起こるかは、起こってみないと分からないから、であると自己分析する。
時間を巻き戻すことはできないし、言った言葉を無かったことにもできない。

役者さんは、汗をビッシリかきながら、舞台上という、ある人の人生を目一杯走り回り、体全体にとてつもない熱量を纏って、「好きだ」と伝えるのである。

相手も真剣である。
その熱量をしかと受け止め、まっすぐな瞳と声で返事をするのである。

その「生きている」と確かに感じさせてくれる「熱量」が、私にとって舞台の醍醐味である。


しかし、涙を流すほど心から感動し、最高だった、また観に来ようと思っても、頭の隅から離れないことがある。

それは「私にはできない」、「羨ましい」という感情だ。

考えても仕方のないことだとは分かっている。
分かっているのだが、考えることを止めることができないのだ。

役者さんでなくとも、身近なところで言えば、学校の放送委員会や行事の司会進行、カスタマーセンターのオペレーター、テレビのアナウンサーなど。羨ましいと思ってしまう。

本当は、学校で放送委員会に立候補したかったし、何でもいいから司会進行をやってみたかった。電話オペレーターのように綺麗で滑らかな声で誰かに向かって話してみたかった。

大学4年生の就職活動の際、なにか舞台に関する仕事にチャレンジしてみたいと思い、私なりに検索をかけてみたのだが(勿論検索が足りなかったのかもしれない)、当然なのだが、劇場だとお客様応対があったり、声掛けがあったりする。チケットが関連するところだと電話応対が必須条件となっていたりする。無線やイヤモニなどで話すこともできない。

大手制作会社や劇場をいくつか受験してみたものの、結果は伴ってこなかった。

勿論本当に舞台に関連する仕事がしたいのであれば、就職浪人をするか仮面浪人をすれば良かったのだろうが、今の私は事務の仕事をしている。

それは、紛れもなく今の私である。
まさに、時間を戻すことはできないのである。
当然、起こってしまった出来事を編集することもできない。
今の自分を受け入れて生きていくしかないのである。


この「私にはできない」、「羨ましい」という感情に寄り添ってくれたのが【梅棒】である。
寄り添ってくれるという言い方は正しくないかもしれない。
手を引っ張って走り出してくれる、そんな存在である。
【言葉というしがらみから解放してくれる】、そんな存在である。
うん、これがしっくりくる気がする。

勿論、私個人の意見である。
だが、梅棒を初めて観た人は基本的に大絶賛することをここに保証しておく。


さて、いよいよ本題の【梅棒】についてである。やっと、である。
今までは己のことをつらつらと書いただけである。


梅棒は、唯一無二の存在であるため説明がとても難しく、
誰に紹介しても「観るまで君の言っていることが理解できなかったよ」と言われる。
だが、観終わると「意味が分かったよ!最高だね!」と必ず言ってもらえるのだ。

頑張って説明を試みる、
そんなときは公式がイチバンだ!ということで、以下より引用させていただく。

梅棒(うめぼう)
【踊りは気持ちだ!】をコンセプトとして2001年に日本大学藝術学部ダンスサークル『BAKUの会(現:Dance Company BAKU)』内で結成。

ストーリー性の有る演劇的な世界観をダンスとJ-POPで創り上げる、ダンスエンターテインメント集団。 「多くのお客様が感情移入し、共感、感動できるパフォーマンス」を信条に、「劇場型ダンスエンターテインメント」を提供。
(以上、梅棒オフィシャルウェブサイト参照)


どうであろうか。

「?!????!???」となっているだろうか。
安心してほしい。
私も含め、最初はそうなるものである。
だが、梅棒は観れば分かる。
それが全てである。
それ以上でも以下でもない。

想像してほしい。
舞台が進行している。
ストーリーに沿ったJ-POPが流れている。
セリフは、J-POPの歌詞と役者の表情と動きと振付となって、表されてる。

J-POP・歌詞・表情・振付。
基本的にはそれだけで舞台が進行していくのだ。
それだけのはずなのに、登場する全てのキャラクターが愛おしくなる。
そして、何度も笑い、グッときて思わず涙が溢れてしまう。
当然ダンスに見惚れることも多い。

最高ではないか。

それなのに、いや、だからこそと云うべきか。

コンセプトは【踊りは気持ちだ!】なのである。

なんとも爽快で痛快で格好が良く、エネルギー溢れるコンセプトである。

なんとも最高ではないか。
思わずニンマリしてしまいそうではないか。

それこそが梅棒の舞台である。

恐らくここまで読んだ梅棒ファンの方々には、「お前、魅力を少しも書けていないではないか」と怒られてしまいそうではあるが、梅棒の魅力を文字に表す力が、私にはまだないことをご容赦いただきたい。

初めて観たとき、全身が痺れたことを覚えている。
力が入っていたのだ。
力を込めて観てしまっていたのだ。
自分事だと思ったのだ。

私が今まで抱えていた「私も自分の気持ちを言葉で表したいのに」というモヤモヤや、普通ではないことの焦りなど、どうでもいいかのように、全身で表現をし、さらには「踊りは気持ちだ!」とまで言い切ってしまうのだ。

なんとも私にピッタリの集団ではないか、と心底驚いたのを今でも覚えている。

私の今までの焦りや不安を「どうとでもなるんだぜ!」と両手を引っ張り走り出してくれたのだ。

「見れるダンスかどうかじゃない」、「伝わるかどうかだ」とでも言いたげな梅棒の舞台。

そして「絶対に観ている全員に伝えるんだ」という、とてつもない熱量。

「言葉なんていらないぜ!」「気持ちだ!」と全力で走り回ってくれるのだ。

私は、救われた気がして、涙したことを覚えている。


もし、私と同じような悩みを抱えている人が居たとしたら、是非一度梅棒の舞台を観に行ってみてほしい。

勿論、純粋に梅棒の舞台を楽しんでもらえたらそれで十分であるし、悩みなんてなくても梅棒は全世界の誰にもオススメできる最高の集団である。

街を出歩く人に片っ端からフライヤーを配りたいくらい、良い、から。

次回作はこちらである。


最後に、特に好きなメンバー3名の紹介をさせていただきたい。
ここからは完全に自己満足の世界である。



まず、野田裕貴さん。
やっぱりか、と言わないでほしい。
やっぱり、であるから。

魅力しかないのだけれど、絞って挙げるとしたら、「繊細さ」と「キレ」が両立されていることであろう。
指先まで感情が行き渡っている、と表現すれば伝わるだろうか。顔が見えていなくても感情が伝わる人である。
さらにキレがあるから勢いと熱量が半端ではないのだ。

2人目は、櫻井竜彦さん。
やっぱりか、と言わないでほしい。
やっぱり、であるから。

櫻井竜彦さんは、私にとって「リアル」である。とにかくリアルにうつる。
こちらの感情を読むかのような表現で感情を見せてくれる、そんな人である。
そしてダンスがダイナミックで漢らしい。


最後は、遠藤誠さん。
誠さんは、私にとって「スーパースター」である。
「ヒーロー」と言っても良い。

舞台上にいる誠さんに目を奪われる。
そこに私の日常なんて存在しないのだ。
私の中にある不安や焦りはサッと消えてしまう。
とにかく、私を夢中にさせてくれるのだ。
それが私にとっては最高の幸せである。



以上、長々と拙い文章を書いてきました。

私の感情整理の意味合いもありますが、誰かの参考になれば幸いです。

梅棒、梅棒に関わる方々、ファンの方々、全員にとって日常が良いものでありますように。

読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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