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『クローバーフィールドパラドックス』 世界は実は入り混じっている vol.575

予告で少し気になっていた映画を見ました。

『クロスフィールドパラドックス』

エネルギー資源の枯渇が深刻化した近未来。各国の科学者たちが国際宇宙ステーションに集い、エネルギー危機を解決する新技術の実験に取り組んでいた。しかし、実験中のある事故により次元のずれが生じ、不可解な現象が次々と発生。科学者たちは異次元の恐ろしい現実を目の当たりにする。
https://eiga.com/movie/87373/

宇宙もので、設定もあまり出されていなかったので、どちらかと言うとSF要素の多い映画かなと思いました。

これがありえるかもな〜という感覚はちょっと薄かった映画です。

正直、エンターテイメントとして楽しんでしまったので、あまり何かを得たと言う感じはないのですが、改めて思い返してみて感じた点を書いていきます。

世界への警告か

この映画もエネルギー問題から全てが始まっています。

最近の宇宙物の映画は大体このエネルギー問題を取り上げていることも多く、やはり人類全体としての直近の問題はそこと言う共通認識があるのでしょうか。

しかし、これはあくまでも、エネルギー問題があるからみんなで考えようという趣旨のものではなく、あくまでも共感から入るための入り口に過ぎません。

ここまでさまざまな映画で取り上げられて、わたしたちも違和感なくそれを受け入れて物語を楽しめているのに、エネルギー問題についてはなんら気にならない。

なんとも不思議な感覚ですね。

とは言え、どの映画もあるかもしれないわたしたちのこれからの世界を描いてくれているのかもしれません。

そう考えるといくらか楽観的にはみられないようにもなる気がします。

あり得ないを考えなくてはならない科学

この映画では高エネルギーが発生したことによる、多次元間での量子もつれを理由にさまざまな未知な現象が起きます。

全く知らない人物が壁の中から現れたり、これまではあり得なかった通信ログが勝手に出てきたり、壁に手が吸い込まれその手が勝手に動き出したり。

まぁ実際この世界に生きている私たちからしたらあり得ないと思ってしまう現象です。

しかし、科学というのはいつも分からない、あり得ないからスタートする学問です。

全てを理解できるという幻想的な宗教的科学に人間が取り憑かれているのも事実ですが、理解できることは理解できるはずです。

こういったワクワク感が溢れているものこそが科学なのかなと改めてしみじみと感じてしまいました。

あったかもしれない世界を信じたい自分

移動してしまった次元には、本当は死んでしまった家族が生きている世界がありました。

会いたいけれど、そこには自分ではないもう一人の自分が存在している。

当然、自分がいてはいけない世界。

それでも会いたい気持ちは抑えきれない。

こんな状況に陥ったとき、果たして正常な判断ができるのでしょうか。

自分の身はどうなってもいいから一眼でもいいからあってみたいと思ってしまうのではないでしょうか。

そんな葛藤が見えます。

もし、自分だったなら、、、。

例えば会いたい人がいる世界ではないかもしれません。

そこには自分の欲しいものを全て手に入れて、悠々自適に暮らしている自分がいるかもしれません。

そんなあったかもしれない世界を自分なら捨て切れるのでしょうか。

あり得ないと思いたいけれどあってしまった世界。

さまざま考えさせられます。

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