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『82年生まれ、キム・ジヨン』 悪いのは社会か男か vol.789

本の表紙は絶妙に気を惹かれる本です。

『82年生まれ、キム・ジヨン』映画にもなっているのでてっきり韓国恋愛映画かなんかだと思っていました。

ところが実施に読んでみると、恋愛どころか社会背景を痛烈に批判しつつも、その被害者の人生を眺めていく恋愛とは程遠い本でした。

とは言え、小難しいわけではなく登場人物とともにその半生を見ていけるのでスラスラと読めました。

ただ、社会運動を引き起こしたという点で非常に優秀な本でしょうが、この女性にこの女性たちに共感しろと言われているみたいでいい気はしない本ではありました。

今日はこの本を読んでの感想を書いていきます。


違うんだから同じにすることが平等なわけがない

本の解説にもある通り、この本は主にフェミニズムを題材としてある人物の半生を追って書かれています。

とはいっても、その人物は実際には存在していない架空の人物。

架空なんだけどどこにでもいるという不思議な話です。

それほどまでに韓国の女性であれば誰もが、受けたことがあろう差別や酷い扱いが同じであるということなんでしょう。

男尊女卑という単純なものではなく、もう社会全てにおいて女性は男性よりも劣っているという当たり前が蔓延ってしまっている。

そんな事実をまじまじと見させられました。

現代社会ではSDG'sなど、徐々に男女平等といった点で議論がされています。

職場や社会生活の中でも、いろんなところで男女についての差を埋めようという活動が行われています。

ただ、この活動には賛否両論ありますが私は割と日本の活動については反対派です。

簡単に一言で言えば、何でもかんでも同じであればいいというわけではないし、意識しすぎだと感じる部分があるからです。

例えば、男女のトイレについて海外なんかだとジェンダーレスの問題から、最近は男女共同のトイレが設置されたりもしていますが、ムッツリスケベの多い日本では絶対に浸透しないと思います。

他にも学校なんかでもよく目にする光景、男の子が重たい荷物女の子が軽い荷物というのを無理やり崩すのもおかしな話です。

意識しすぎて変な方向へいっている差別平等化運動、これに関しては私は変な気持ち悪さを感じるわけです。

バランスと考えつつも男性>女性の考えで採用している

自分にはこういった人を差別するような考えはないと思い込んでいても、意外とあるものです。

例えば友人に好きな人を聞く時、その好きな人は自ずと異性と決めつけています。

俺や、僕といった一人称は男が使うものだという考えもあります。

採用をするとなった時にやはり男女の比を考える必要があります。

そこには、ただ単純に男女比という考えではなくて、「女性は産休で抜けてしまうことも多いし」という考えが含まれているのも事実です。

これは当然と言えば当然なのですが、どこまでも当然の範囲で線引き指定いいのかどうか。

色眼鏡をよく磨いて

今回は女性差別という、一つの視点で世の中を見ていました。

しかし、こう言った視点は世の中にふんだんにあるはずなのです。

大切なのは自分のかけている色眼鏡をよく磨いて偏見のかけらを見つけること。

そしてその偏見の色眼鏡が、必要な〜らしさなのかどうかを見定めること。

マイノリティやらマジョリティやらとやたらと分類したがる世の中ではありますが、だからこそ立ち止まってそう言った視点を再確認するいい機会になりました。

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