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学ぶことが多すぎる気がする vol.897

小学生から中学生、そして高校生と進むにつれて理科好きの子は減っていきます。

高校生の文理選択を見れば一目瞭然で、文系に対して明らかに理系の数が少なくなっています。

学問を体系化して学びを誰の手にも届くようにと試行錯誤されている今の学習システムはすごいと思いますが、どこかしっかりしすぎている気がしないでもありません。

そもそも学校での学びの本質は学ぶとの楽しさを伝えることであって、それを感じなくなってしまう今の学校はちょっと違んじゃないかなって気がします。

今日はこの学びと学校について考えていきます。

物語文から説明書へ

理科という科目も小学生にとっては人気のある科目です。

実験によって目に見える変化を楽しめたり、日常の現象について学べるからです。

しかし、それらも学年が上がるごとにより難解になっていきます。

例えばレンズの単元。

小学校ではレンズで光を集められると言う点に焦点が当たります。

実際に光を一箇所に集めて黒紙を燃やすなどといった実験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。

自然の力を利用して火を起こすなんて言うのは、ものすごい神秘的かつ分かりやすい知恵です。

これが中学生になると、実際に図を描いて凸レンズの光の軌道について学びます。

焦点という概念を理解して、それがさまざまな道具に利用されていることを知ります。

まだ、生活の中にある理科なので親近感が持てます。

これが高校物理になると、写像公式を用いてレンズまでの距離などと焦点との関係式を学びます。

より細かく原理原則を定義するわけです。

ここまで来るともはや、「へ〜」のレベルで終わってしまいます。

これを利用して何かに転用するというのは、かなか限られた時間の中では教科性も上がり難易度も高くなるので難しくなります。

小さい頃は絵本の世界や魔法のように感じていたはずの理科が、いつのまにか味気のないただの説明書に変わってしまうわけです。

専門教科特化型の学び方だとどうなるのか

今は物理学を学ぶと言っても、力学も熱力学も、波動学も電磁気学も原始物理も学びます。

しかもそこに史学まで入るわけですから、ただ物理といっても学ぶ項目は多岐にわたります。

今の文理選択ですら、選択した後にまだ将来の像が見えないという子がいるのも事実ですが、もっと早くから興味のある科目に特化して学べるようになったらどうなるのでしょうか。

今は教育制度も十分過ぎるくらいに整っており、誰でもある程度は共通して学びが定まっています。

しかし、これがもっと自分の興味のある科目や能力を学ぶことを早くからできたら?

極端な話、藤井聡太棋士に将棋だけをやらして、大谷翔平選手に野球だけに集中させたら?

おそらく中には、様々な学問に触れることで視野が広がるという人もいると思います。

ただ、その逆もありなんじゃないかなと、最近高校物理学の広さに頭を抱えてる私は思うわけです。

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