あり得ない未来ありえる vol.896
昨日は組合の教育実践交流会に参加しました。
長らく組合活動に尽力されながらも、学校の中でも主として働かれていた方のお話を時系列順にお聞きできました。
なんでしょうね、職場とか飲み会とかで昔はこうだったって聞く話は耐え難いのに、こちらが学ぼうという姿勢で聞こうとする時は、多くの学びがある。
これは、きっと話す側にも何か役に立てばという誰かのためを思って話すというのが前提にあるからなのでしょう。
飲み会とかでは大体の場合、自慢ベースにお話しされる方が多いので。
今日はそこから学べたことを書いていきます。
おかしいと思うものはおかしいと曲げない
登壇された先生の歴史は80年代から始まりました。
80年代といえばまだ私は生まれていない時。
そんな時の教育界なんて想像もできません。
当時はまだ不登校問題よりも、校内暴力がそこら中であり、警察が出動するなんていうのもよくあったようです。
学校に来たとしても、トイレを占拠してタバコを吸い続ける。
それが中学生というのですから驚きです。
今であれば、そんな子はどちらかというとネットに晒されて社会的に抹消される時代。
ただ、当時はそれが行けないと分かっていても、社会的にどう対応すれば良いのかも難しいところであったようです。
その中でも、たとえ直さなくてもダメなものはダメと言い続ける、自分がおかしいと思った指導はしない。
これを一貫するのが児童生徒に少しずつ想いが伝わることもあるようです。
ジャブを打ち続ける
先日読んだアドラー心理学にも近いのかもしれないのですが、タバコを吸ったり不良行為をするのはあくまでもその児童生徒の問題。
本来であれば教育者であるから注意こそするものの、それを本気で辞めさせる必要はないのかもしれません。
義務教育とはいえ警察沙汰にして仕舞えばいいわけですし。
当時はそんな簡単な話じゃないのかもしれませんが。
それでも、どんな時でもジャブを打ち続ける。
教育というとたいそうなものに聞こえますが、結局のところはそれもコミュニケーションです。
そして、子どもを悪い方向に導こうとする教員はいません。
だからこそ、このジャブも徐々に浸透していくと信じてやっていくしかないのでしょう。
まだみぬ未来を見ようとするから面白い
教育の面白さを聞かれてなんと答えるでしょうか?
私はこれまで、これからの未来に触れられる貴重で限りない時間と答えていました。
間違いなくこれからの未来を背負っていくのは今の子どもたちです。
そんな子どもたちと関われて成長に携われるのは、間接的に未来と触れ合っているのと同じです。
そんな魅力があると話していました。
ただ、そこには未来というぼんやりとした像しかなかったのですが、今日の話を聞いてよりそれは強固になりました。
未来は未来でも今は達成できてない馬鹿馬鹿しい未来を話せる、それが教育の場にある魅力なんでしょう。
「そうは言っても、現実的に無理じゃん」、「何バカなこと言ってんの」、「いや、無理だって考えてみろよ」
これらを一蹴できるのが教育の場。
未来は誰にもわからない。
もっと言うとその未来を作るのは今の子どもたち。
なら私たち教育者は、あり得ない未来をありえないと決めつけるのではなく、あり得ない未来の可能性を広げる宝の成長に尽力すればいい。
そんなことを考えました。
子どもにとっても大人にとっても不可能な未来を堂々と語っていい場所、それが学校なのでしょう。
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