対生徒は元気になるのにね vol.884
本格的に学校が始まって、平常授業がスタートしています。
昨年度も同じような記事を書いたような気がしますが、平常授業がスタートすればイレギュラーは無くなるのでいくらか楽になります。
一方で自ら負荷をかけないとサボりがちになってしまいます。
そんなスタートでふと感じたのは、やっぱり授業が始まると楽しいな〜という感触です。
自然と関わるのが大人たちよりも生徒の方が多くなるので、仕事も教師らしくなっていくからなのでしょうか。
今日はこんなことを考えていきます。
忙しいけど疲れない?
不思議と実動時間は長くなっているはずなのに、心身の疲れはほとんど感じていません。
面白いものです。
私は特に疲れを感じるのは体自体が疲れた時というよりも、頭を使って心が疲弊しているときなのでしょう。
体はフル稼働に動き続けても、まだ余力があるほどです笑。
これが逆に仕事がない日に1日家でダラダラとしてしまっている日の方が疲れるのだから、不思議なものですね。
おそらく、自分の信念にあった仕事、志に沿った行動ができている時は、魂が磨かれているために疲れというもの自体がそもそもないのかもしれません。
そこにあるのは成長だけ。
だから、感じる疲れもちょっとした成長痛だけ。
それも1日寝ればより強固になって回復するようなもの。
そんなイメージです。
逆に疲れるのはなんで?
では逆に長期休暇の方が疲れが溜まりやすいのはなんでなのでしょうか。
きっとこれは私の性質上の問題。
私は対大人、特に年上と関わるというのが非常に苦手なタイプなのかもしれません。
特にプライドの高いタイプ。
これは正直大人になってから気づきました。
そもそも、それまで私の周りにプライドの高い人間がいなかったというのもあるでしょうし、そういう人と関わらないように選択できていたからなのかもしれませんが、働き始めてからこのとっつきづらさというのをよく感じます。
私自身もプライドが高いからダメなのでしょうが、大して能力もないと私は感じているのにプライドが高い人を見るとどうしても疲弊してしまうのです。
組織で働くからには
ただ、組織で働くにはこういった人たちと関わらなければいけないのはいうまでもありません。
むしろそれが組織に属するということの難しさであり、面白みでもあるのかもしれません。
私はこういった人たちへの立ち回りが下手で基本対立構想を生み出すことしかできないんですよね笑。
それも自分で選択しているのだと思いますが。
そんな目先の感情論に身を任せた選択ではなくて、その先の理想郷を目指すための自分を殺すというやり方を覚えるべきなのかどうかでしょう。
う〜ん、そこに無理してまでそういった組織にこだわるつもりはないなと思ってしまいます。
そう思ってしまう自分のプライドも十分高いから気をつけなければいけませんね。
謙虚さを持たなければですね。
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