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探究のエンジンは周りがかける vol.532

探究学習や子どもの学びについて考えるのが好きな私ですが、そろそろもっと教育学と連動した中での考えの構造化をしていきたいと思っています。

知識や思考は得意ですけど、そこに学術的要素を自分の頭から引っ張り出してくるのはまだ力不足なので、そこを鍛えようという算段です。

そんな最近に思うのが、探究活動もさまざまな学術的要素から紐解く必要があるのではないかなと感じています。

今日は実際に私の今やっている高校生探究プロジェクトを例に考えていきます。

何もないところからの出発は無理!

授業においても探究活動においても発表においても、何もないところからの出発は大人になればなるほど難しくなると感じています。

例えば、「地域創生についてのポスター発表を3か月後にする。」という課題があったとしましょう。

その時に、全く何も与えられずこの文言だけを伝えられれば、ほとんどの人が初動に大きな時間を費やしてしまいます。

それも、意味のない時間の費やし方です。

何から始めれば良いか分からないし、まだいいか〜というよく分からない打算的な思考に時間を割いてしまうのです。

しかし、この地域創成といった際にちょっとした足場を与えてみましょう。

これはアメリカの心理学者ブルーナーによって提唱されたものです。

例えば、「地域にはさまざまな問題がある、この問題解決が地域創生につながるかもね。」とか、「まずは地域を知るためにも、自分がよく使うお店で聞き込みをしてみても良いかもね」といった具合に指針を提示してあげるだけで動きが見えるようになるのです。

そうすれば、どこに聞こうか、何の問題を取り扱おうかと完全にエンジンはかからないまでも、少しずつ温まり始めます。

このきっかけが必要なのです。

大人の役割

そしてこれこそが子どもが成長するために大人がしてあげられる最善の関わり方だと感じています。

ウィゴツキーの最近接領域からも分かります。

自分一人ではなかなかできないことに対して、周囲からのちょっとした支援があれば、それが本人のできることを増やすきっかけにつながるのです。

高校生探究プロジェクトもそんな形を取れてれば良いなと思いますし、私自身そうであろうと工夫をしています。

イベントに対して必要な仕組みや制度を提示しながら、それを実際に子どもたちにやらせて、適度にストレスを与えながらそれを乗り越えさせる。

この一連の流れこそが成長につながっていくのでしょう。

それにしてもこんな本質的、いや、今の大人や教育者でさえも「確かにな」と思えることが、かなり前から提唱されてきているというのが教育学の面白いところなのでしょう。

以前からずっと正解と思っていることは残り続けているけれども、それだけが正解ではなくて、新しい考えも必要。

まさに社会のあり方と一緒だなと教育学を学ぶとしみじみと感じます。

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