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己の身体へのリスペクト

この数日、最高裁によって50年も前のRoe V. Wadeの判決が覆されたことことをずっと考えています。
2015年の大統領選挙戦以降、ずっと米国の政治動向を追い続けているので、この判断の影響力がどのくらいすごいものなのか、標準的な日本人よりは理解していると思います。たとえて言うならば、小惑星が地球に衝突、ぐらいでしょうかね。

それはさておき。

中絶の権利を連邦政府レベルでは認めないということを歓迎している自分を発見して驚きました。以前は、女性が人生設計のために中絶を選ぶのは仕方がないことだとすら考えている時期がありました。今は、たかだか年長の個体の「人生設計」なんぞのために、若年の個体、授かったばかりの命を殺すなんて選択肢としてあり得ないと感じます。

その変化の原因を探ってみるに、死の経験と、物理的存在としての自分への絶対的なリスペクトを得たことが大きいと思うんですよ。私がそれを獲得したのは2018-2019ごろ。そのあたりで世界観が大きく変化しました。見た目も変わりました。自分のことをうつくしいとすら思えるようになりました。(一般的に言う「美しい」ではないです。うつくしい、です。)
物理的存在としての自分を肯定したときにはじめて、いまだ生まれない子供であっても、死に近く意識の薄れかかっている人であっても、電車で偶然隣に座った人であっても、物理的存在であるその人たちを大切に思えるのではないでしょうか。

今も米国でこの最高裁の判断に対する暴動(抗議行動というよりも暴動です)が起こっていますが、中絶の権利賛成派の女性は、判で押したようにデブが多い。痩せている人もいますが、やせ細っているという感じで、健康的ではありませんし、正直性的魅力を感じません。そのような人たちが、キーキー金切声をあげています。信じられない不思議な光景です。しかも、今回最高裁で主要な役割を演じたClarence Thomas最高裁判事に対して、黒人蔑視の言葉を投げつける人も多い。Twitterでトレンドになっています。

あきれてはいますが、見下しているのではないです。中絶を権利だと感じる人は、物理的存在としての自分へのリスペクトが低いのではないかという印象を持ったので、書いています。

いがらっしは「女性は子供を持って一人前」とか、絶対に思いません。ひとそれぞれ、その人に合った世界とのかかわり方があって、それは別の誰かが押し付けるものでもないし、もしかすると本人ですら決められないのかもしれない。

ただ、自分へのリスペクトが低いのは幸せじゃないだろうなあと、自分の経験から思います。
私はいろいろ手放しましたが、いまが一番幸せだと感じます。

キーキー金切声をあげている人たちが、自分の身体を大切にできるようになるといいなあ。

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