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それいけぼくらのメアリー・スー!  キャプテン・アメリカ!

マーベルのヒーロー、キャプテン・アメリカおよび映画「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011)」は現代アメリカのいち指標として非常に興味深い作品だ。もちろんこれはフィクションであり、ごく限定的な判断基準にしかならないことは強調しておく。しかし1941年から現在まで続く古株であり人気のあるキャラクターであることは否定できない。

以下ストーリーと結末を論じるので未視聴のかたは注意されたい。

映画「ザ・ファースト・アベンジャー」では第二次世界大戦中のアメリカで超人血清計画の被験者となり超人的な能力を得た愛国者スティーブ・ロジャースことキャプテン・アメリカが、ナチスが発明した新型爆撃機によるアメリカ東海岸全域に対する核攻撃を阻止する。
その後核を搭載したまま北極海近辺の無人地で不時着を試みるも失敗、氷漬けの仮死状態となってしまい70年後の現代に復活するという結末になっている。

1945年のヨーロッパ終戦直前に墜落し70年間仮死状態になっていた。つまりその後の、アメリカ合衆国による大日本帝国への空襲と二度の原爆投下、冷戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争と駐留に関し全く関わっていないということだ。

問題となるのはナチス(注1)によるアメリカ東海岸全域に対する核攻撃を阻止したのちに冷凍され仮死状態になったという結末である。ナチスはアメリカ本土への核攻撃を計画してはいたが実行は不可能だった。それが映画ではキャプテン・アメリカに阻止されている。

敵国に対する核攻撃。このことに最も近い歴史的事実は「アメリカによる広島・長崎への原爆投下」であるが、その時すでにキャプテン・アメリカはすでに仮死状態になっていた。つまり全く関係していない事だとされる。キャプテン・アメリカは北極海上で消息不明となり(注2)、その後すぐにヨーロッパ終戦が訪れる。史実に関係する、特に日本への原爆投下の描写は一切ない。

注1:厳密にはナチス科学部門ヒドラ機関という、ナチスをも利用して世界征服をもくろむ組織であるが、視聴者はキャラクターや衣装デザイン等諸々の点でイメージ上はほぼナチスと同一視しているだろう。
注2:キャプテン・アメリカが「冷凍」されたのはこの映画「ザ・ファースト・アベンジャー」が初めてではない。コミック版にて現実の1964年に再登場した際も、設定上は終戦直前に北大西洋上で墜落し冷凍状態だったということになっている。少なくともコミックと映画で同じ設定が再現されたのはリメイクされるたびその必要があったからだ。70年という時間には他にも意味合いがあり、後世のヒーローたちとの共演であるアベンジャーズに登場させるため、未来へタイムスリップさせたという物語上の要請がある。

ナチスの米本土核攻撃を阻止、という架空の偉業は(キャプテン)アメリカの手で成しとげたことになり、現実の歴史で行われた原爆投下には仮死状態であったので無関係、というのは第二次大戦終結後から現在に連なるアメリカ合衆国の主観的自己イメージそのものなのではないか。

キャプテン・アメリカはアメリカの真の理想を体現した存在とされている。

アメリカンコミック愛好者や一般的市民が漠と思う理想を示し、現実のギャップと思い悩むということに共感を寄せるよう作られたキャラクター=商品である。

キャプテン・アメリカは倫理的に、政治的にデザインされたメアリー・スー(注3)なのだ。

それは真のアメリカの理想像に憧れる市民が望んだ自己イメージでもある。

注3:メアリー・スー
Paula Smithによるスタートレック二次創作「A Trekkie's Tale」に登場する、何でもできて愛される理想のオリジナルキャラクターのこと。同作中でも自己投影した理想的キャラクターをストーリーの都合がよいよう活躍させる二次創作界隈の傾向を揶揄する意図で描かれている。

アメリカンコミックに現実の歴史や政治を持ち込むな、という純粋で初心でいじらしい主張も聞こえてきそうだが、その非情な現実から幾重にも守られているナイーブな「真のアメリカ像」、倫理的および政治的に徹底的に配慮され、後付けの設定修正と倫理的臭み消しがなされている商業キャラクター映画が批判されると、反論としてフィクションに政治を持ち込むな、と主張するのはいかにもフェイクニュース最先端国家で受け入れられそうな甘言である。善良な市民が言う一般的な文脈に限定したとしても「現実と虚構の区別がついていない」のはどちらなのだろうか。

そもそもキャプテン・アメリカは1941年に、ナチスおよび枢軸国と戦うヒーローとして作られたものである。発祥から現在に至る経緯まで「政治的」な要素はぬぐえない。1953年に発売されたコミックでは赤狩りに参加していたが、後に別の者がやっていたことだと修正されてさえいる。

ここで問題としているのはコミックのキャラクター設定などではない。現実で起こっていること、すなわち製作者と消費者の価値判断である。

現に存在する作者や脚本家が「真のアメリカの理想像」による原爆に対しての倫理的判断を「仮死状態だったので無関係」という形で回避し、アメコミファン・消費者がそれを広く受諾したという現象はフィクションを商う現実に起こったものだ。漫画の設定の問題ではなく価値判断という現実問題である。漫画の中だけのつくりものの物語ではなく、創造された価値というフィクション、守るべき大いなるタテマエをいかに扱うかという働きかけこそ現実なのだ。

その堅持するべきだったタテマエを捨て、仮死状態につき無関係かつ無罪という安楽な思考放棄を選んだ者には、真の(アメリカの)理想などというテーマを扱うことは不可能である。その先には今後語るべき価値という偉大なフィクションは残されていない。

キャプテン・アメリカが真のアメリカの理想像であるなら、原爆投下に対する選択は二通りしかない。もとより彼(アメリカ)は仮死状態などにはならない。苦渋の決断として自らB-29エノラゲイを操縦し原爆を投下するか、非戦闘員と子供を含む大量虐殺は許せないと阻止するかのどちらかだ。

しかし、そのどちらも選ぶことは許されない。ゆえにビジネスとエンターテインメントは、自らの倫理を凍らせて仮死状態とし、判断は不可能であったため無関係かつ無罪を主張することにした。

凍っているのはフィクションのキャラではない。
現実の人間による価値を決定する判断力だ。

またキャプテン・アメリカはドナルド・トランプの登場によってその意義をさらに失効した。大統領選に敗北し志半ばながら、反グローバリズムと経済的保護主義を掲げ中産階級の復活と労働者階級の引き上げを図ったアメリカ第一主義者としても、Twitterを駆使しQアノンを使嗾したフェイク・アメリカのアイコンとしても。リアル・キャプテン・アメリカはドナルド・トランプがふさわしい。MAGA!
(それに国家規模の問題に関し、あるいは終戦を導くための原爆使用という選択に関し、トランプは仮死状態になって決断から逃避したりはしないだろう。)

ファルス・アメリカではポピュリズム、Qアノン、フェイクニュースが力を持ち、合衆国議会議事堂襲撃事件などで実際に物事を動かしている、ように見える。

その中で現在最も成功している大衆好みのフェイク商品は、1941年から発売され、理想主義的で、真のリーダーシップを持ち、不屈で、誠実で、高潔で、善良で、紳士であり、一人の人間としての感情を持ち、逆境の中にも
ユーモアを忘れず、努力家で、犠牲的精神の持ち主であり、熟練の兵士で、有事の際に力をふるうことをためらわない、
愛国者の(キャプテン)アメリカである。

キャプテン・アメリカは現実のアメリカの対偶である。

それゆえに、そこにいくばくかの真実を見つけることができる。




ナターシャ・ロマノフ「車の盗み方をどこで習ったの?」
キャプテン・アメリカ「ナチス・ドイツで」


         キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャーより抜粋




あとがき
筆者は映画「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011)」のファンである。とにかく好感の持てるキャラクターであり、
ヘルメットの額にAと書かれていて、変な丸い盾で戦うことも含めてかっこよく見えてくる。思想的意義としてはアメリカの倫理的メアリー・スー、
たかがアメリカン・デウス・エキス・マキナに過ぎないと分かっていても、エンターテインメントとしてはよく計算されたキャラだと評価できる。
ファンの間でもシリーズの評判は高いようだ。

やせっぽちで身長の低いスティーブ・ロジャースは超人血清注入のため機械だらけで窮屈なベッドに拘束される。寝心地は?と聞かれ、彼は「ベッドがでかすぎる」と軽口をたたく。血清が注入され、特殊な光線ヴァイタ・レイ照射のためにベッドは棺桶のようなシールドで覆われる。中からスティーブは「トイレに行ってもいいかな?」と言う。実験が失敗すれば命の保証はないのにもかかわらず。この偉大な魂をもった小男はしょっちゅう真顔で強がりやウィットに富んだ冗談をいう。己の弱さ、人生の障害、苦難に対しそれよりも大きなユーモアを持って立ち向かう姿は見事である。

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