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“勘違い野郎”が、止まらない。

公益財団法人・日本生産性本部が実施した調査によれば、就職に対する学生の意識が変わりつつあるという。

「会社の発展が自分を育ててくれる」という考え方から、「自分が成長することで、会社に貢献できる」という考え方に変わってきている。すなわち、「会社」に惹かれる人の割合が減少し、「職」に惹かれる人の割合が増加したということのようだ。言い換えれば、「“就社”意識が“就職”意識に変化してきた」となる。はたして、本当にそうなのか?

自分の能力を活かせる場で働きたい。自分の得意な分野で活躍したい。面白い仕事に取り組みたい。そんな思いを強くアピールする学生が増えている。これらは、志を持った、頼もしい言葉に聞こえるが、こうした学生の本質は、ただの“勘違い野郎”である場合が多い。

夢を持つのは良いことだが、いまの若者を見ていると、途中の地道な努力を嫌い、できれば省こうとする傾向が強い。夢のためには下積みが必要だという意識が欠如しているのである。

「自分はできる人間だ」「才能がある」と思い込んでいるから、そういう場を与えられれば、必ず成果を上げてみせる、と意気込んでいる。

その自信はどこから来るのか。正社員として働いたことのない人間が、自分の能力をどこで判断しているのかが不思議である。

そんな“勘違い野郎”たちは、とにかく地道な努力を嫌う。販売や営業職の求人がたくさんあるのに、企画・開発・宣伝など、華やかに見える職種を希望する。しかも、大手企業を狙う。

就職できれば良いが、ほとんどの場合は失敗となる。本当に“就職”意識があるなら、中小企業でも良いはずなのに、そちらはいまだ求人難となっている。「何が“就職”意識だ!?」と思ってしまう。

結局は、大手企業の華やかな部署で、楽をしたいだけである。大手でも決して楽はできないのだが、まったくわかっていない。口では立派なことを言っていても、根底には「安定志向」が残っているのである。

“就社”か“就職”、どちらが良いのか、という議論があるが、いまはまだ、ほとんどの学生が“就社”意識から抜け出せないでいる、と言わざるを得ない。なので、議論する意味はない。

敢えて私の意見を述べれば、“就社”意識を悪いとは思ってはいない。「会社のために…」という人材も必要ではある。だが、夢を持って、そのためには会社も踏み台にするくらいの気概を持った人材もいなければ、日本の経済は発展しない。

“就社”で守りを固める人材も大切な存在であり、“就職”で攻める人材もまた必要なのである。

理想としては、日本企業の99%を占める中小企業に、“就職”を求める学生をもっとふやさなければならない。

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