見出し画像

【免疫力向上無駄話】1970大阪万博の衝撃!

ある日私は、海の見える場所に立っていた。

大きめのトレーを持ち、
その上には2,30個のゆで玉子がのっていた。

好きなだけゆで玉子を食べる、
という夢を実現させようとしていたのだ。

食べる場所を探し、そこに座って、いざ!

?!?!?!

驚愕、汗、動悸。

私は、とんでもない失敗をしていた。
あり得ない。

塩を忘れたのだ。

しょうゆでもマヨネーズでもいいけど、
どれかがないと美味しく食べられない。

これほど悲しい夢は見たことがありません。

目が覚めて、
すぐ横に寝ている嫁はんにこの話をしたところ、
「どんだけ玉子に執着しとんねん!」
とバカにされました。

好きなだけゆで玉子を食べる、という夢は、
夢で終わったというお話です。

この夢は、「塩なしゆで玉子事件」として、
記録しておくことにしました。

ほんと、辛い。

さて、2025年は大阪万博です。

万博と言えば、万国博覧会です。

わかっとるわ!

中高年以上の人にとって、万博は1970年。
それはそれは、ビッグイベントでした。

みんなが、♪こんにちは〜 こんにちは〜♪と、
三波春夫のモノマネで唄い、
田舎の人は大阪近辺の親戚の家に泊まり、
大行列に並んだものです。

私も2回連れて行ってもらった記憶があります。
9歳の時です。

憶えているのは、大行列と月の石、アポロ8号。

そして、初めて見る外国人。
特におねえさんは綺麗でした。

三角テントのようなソ連館も印象深かったのですが、
中身は憶えていません。

アメリカ館より行列が長かったことは憶えています。

後は、なんじゃこりゃ? な太陽の塔。

鼻の穴が1つの豚に見えた、ガスパビリオン。

それぐらいしか憶えてないんです。

月の石とアポロと外国人のおねえさん以外は、
感動がなかったんですね。

あれだけ盛り上がっていたのに、その程度なんです。
9歳では無理ですかね。

記念品は、いまでも持っていますよ。

メダル、絵はがき、外国と日本の切手、
マッチ、スタンプ帳。

ただただ楽しかったことだけは憶えています。

で、2025年。

正直なところ、いまさらです。
何をやるんでしょうか?

ネット時代で、知らないことは少ないし。

最先端技術は、ほんの数年で実現しているし。

いまから考えていては、2025年になった時には、
すでに古いものになっています。

何を見せるの?
期待できません。

もう、万博というイベントはいらないのでは?

おもちゃショーやゲームショウの方が、
未来的だと思います。

世界屋台博覧会なら、私も行きますが。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

この経験に学べ

よろしければサポートをお願いします!頂いたサポートは、取材活動に使わせていただきます。