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もやっとした~発達障害はすごいのか~

こんにちは。先月、発達障害だと診断されて、

は?今更?

思っているおばちゃんです。

最近、発達障害を気にして臨床心理士によるまっとうな検査を受けようかと思っている大人が多いようなんですが、「生活に困ってなきゃ必要ないと思う」が、受けた人の個人的な感想です。

人間のSA★GAとして、明確にしたいと思うかもしれないんですが、結構な大人になってから検査されても、就職できない・転職して流浪の民になっている・そもそも生活できてない、などで障がい者手帳が必要という程度でなければ特に措置も期待できないです。(投薬という手はあるけど、基本かわらないです。)

結局、障がい者手帳が出てなければ「お前は融通の利かない、コミュ障な人間(ASDパタン例)」という事実に改めて直面するだけで、別に治せるわけではありませんので、どんな結果であっても受け入れる心構えと、2万円程度の価値がそこにあるのかを自分と相談した方がいいです。(ちなみにIQも出るから結果によって凹むかもしれません。)

発達障害はすごいのか

さて、冒頭になんでこんなことを書いているのかというと、ある人にこういうことを言われたからです。

「こだわりがあって集中するASD傾向のある人だけを集めた技術者チームが作られて、すごい成果が出ている例を見た」

相手の方は、私が発達障害であることを知っていて言ってくれたんですが、これ、どう捉えますか?これって、発達障害はなんかすごい、みたいな感じに聞こえますか?なんだか集められた人が精鋭なのかという感じに。

でもこの話がすごいのは、発達障害をうまく使おうと思ったやつがすごいんであって、発達障害のやつらがすごいわけじゃないんですよね。

すごい技術をもってて、かつ粘り強く単純作業でも愚直に行える人がたまたま欲しかったということであって、ASD傾向にあるからすごい技術者なんだというわけでもないし。

この話を聞いたとき、私は、ASDの人って、社会では結局作業者の域を出にくいんだろうかって思ってしんみりしました。作業にはこだわるからいつまでも低賃金で使われる側、臨機応変に動けないし忖度できないから、いちいち指示しないといけない人間とか言われる・・・私たちはポンコツ機械か。

ちなみに私の検査結果ですが、確かに私の場合、知能指数は高めで、ものごとの流れや手順をつかむ能力が突出して優れている一方、一部能力がそこまで伴わないから、アンバランスになっている。要は、私は別にすごくない。

配慮が必要は、組織にとって大きな瑕疵

発達障害は特別でもなければすごくもない、でもそれで問題ない。そいうのが本当に、社会で認められた状態といえるんだろうなと思ってます。けど実際は、我々にはすごいところがあります、とかいって、何かを差し出せると思われている。欠点を補完するほどの取引材料があると変に期待されているような気がします。

台湾のIT担当大臣オードリ・タンは極度のASDですが、彼が脚光を浴びたのは、IQ180で、起業もできたエンジニアで、政治家としても有能であったから。これぐらいじゃないと発達障害はちょっとした特性だと思えませんかね。IQ高すぎると発達障害は多くなるとはいうけれども、トリッキーな発達障害例が出れば出るほど、生存バイアスで歪んでいくような気がする。

発達障害、特にASDは、定型発達の中の組織では、誰かの配慮を得ながらじゃないと生きにくい。個性が云々という話ではなく、アウトプットが必要な方向に出にくいので、そういう意味で配慮が必要なんです。たぶん、それはオードリ・タンもそうじゃないか?

でも、大半はオードリ・タンじゃないので、そういう人は使えない人として「作業者」のまま。

配慮されないと仕事ができないというのは、今の組織体では、それ自体が瑕疵として見られます。アウトプットがよくなるとしても、配慮が必要であるなら、質が落ちても扱いが楽な別の人を使う。配慮することが大きなマイナスになっているんです。だからいつまでたっても我々は作業者のまま。何かを目指して歩いていくことすら難しい。

あーあ。本当に不便なつくりをしていると思いませんかね、発達障害って。



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