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幽霊はカレンダーに憑く

「今日はやたらと見える。疲れているみたい。」

というメールが恋人から届いたのは7月16日の夜だった。やたらと見えるのが何なのかは書いてなかったが、長い付き合いでそれはわかる。
旅行先で、古い映画館で、海岸沿いの急カーブで、「ここはなんか嫌だ」「ちょっと無理」と申し訳なさそうに言われることが度々あった。俺にはまったく見えない何か。もはや俺にとっては信じる信じないの問題ではなく、彼女がそう言うのだから何かあるのだと思うしかなかった。
他人の気を引くような真似はしたがらない彼女が、「やたらと見える」なんてわざわざ言ってくるのだから余程のことなのだろう。そう思ってGoogleで検索してみると、同じ日の同じ場所で起きた出来事を知ることとなった。

平塚空襲。1945年、7月16日の22時30分に焼夷弾の投下が始まり、日付が変わって翌17日の0時35分まで続いた。
もちろん空襲があったことなんて俺も彼女も知らなかった。発覚した事実を彼女に伝えると、「そっかぁ」と力ない返事が返ってくるだけだった。
俺がそのときに感じたのは、「幽霊は本当にいるんだ!」という衝撃ではない。「何十年も経っていたら、うるう年とかいろいろあって日付の感覚がズレたりしないのかな?」という疑問だった。彼女が見たそれは、これからさらに何十年経っても7月16日の夜に必ず現れるのだろうか。おそらく現れるのだろう。

5月はいつも調子が狂う。俺はかつてこの時期に鬱の始まりを経験している。小学5年生と大学1年生のときだ。曖昧に"5月"と呼ぶしかないのだが、もしかしたらこれもある特定の日付に関わっているのかもしれない。だって、ものすごく晴れた気持ちのいい日なのに悲しい思い出ばかりがよみがえることもあるだろ?

3月もまた調子が狂う。俺の誕生日は3月29日だが、もともとの出産予定日は3月28日だったらしい。へその緒が首に絡まっていたせいで日付をまたいだのだ。それはもしかしたら人生で一番苦しい日だったのかもしれない。身体は忘れていても、こればっかりはカレンダーが覚えている。

それにしても、3月28日に産まれるのと3月29日に産まれるので、俺の人生はそんなに違ったのだろうか。へその緒をほどくたった数分の違いで、俺の人生は違うものになっていたのだろうか。おそらく違うものになっていたのだろう。
その秘密が数字にあるのか人間にあるのかはわからない。それでも3月28日と3月29日には決定的に違う。そして、7月15日と7月16日もまったく別のものだ。なんだか肌寒い、代わり映えのしない梅雨の2日間ではない。ひとつは姉が息を引き取った日で、もうひとつは恋人からメールが届いた日だ。

重要なのは、"思い出す"ということなのだろうか。生きている時間が長くなれば思い出す出来事も多くなる。誰かの誕生日、誰かの命日、恋人と約束した日、恋人との約束が破れた日。何かを思い出す特別な日付は少しずつ増えていく。そしてその秘密は出来事にあるのではなく、日付にあるような気がするのだ。
ここで最後にもう一回言っておこう。幽霊はカレンダーに憑く。

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