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その「ホッとした」という気持ち

2021年10月3日(日) 晴れ
台風16号が過ぎ去った。底をついた気圧が急上昇していたせいか、この二日間は妙な覚醒感があってあまり眠れなかった。それにしても、天気が良いだけで気持ちも明るくなる。8月に植えたアサガオはずいぶん小柄だが、例年通りに青い花を咲かせた。
半分眠っている身体を起こして、走りに出かけた。並木道には銀杏の実がぼとぼとと落っこちていて、踏まないようするたびフォームが崩れる。何度目かの緊急事態宣言が解除されて初めての日曜日。公園には犬を連れた人たちが楽しそうに集まっていた。

10時からカウンセリング。カウンセリングを予約するときはなるべく早い時間にしている。一日のスケジュールが立てやすくなることもあるが、それ以上に、「カウンセラー自身が疲れていない」というメリットが大きい。一日に何人も相手にするとどんなカウンセラーでも疲れが出るはずで、その疲れをクライアントはしっかりと感じとれてしまう。そうするとカウンセラーに対して遠慮がちになって思うように話せなかったりする。なので、もしあなたがこれから初めてのカウンセリングルームを予約するときは、お互いがなるべく安定した状態で話せるように早い時間で予約することをオススメしたい。

カウンセリング。この一ヶ月は安定して過ごせていた。もちろん気圧の影響を受けてぐったりしていた日もあったが、適当にやり過ごせている。そして、一昨年から毎年作っている自宅録音のアルバムが今年も無事に完成したことを報告した。
「完成してホッとしました」と何気なく先生に伝えると、その「ホッとした」という気持ちを掘り下げることとなった。何に対してホッとしたのか。
俺は、音楽制作の最終段階でドツボにはまるのを恐れていた。第三者にどう聴かれるかを想定した最終的な微調整を行う。そのためにリファレンスとして既製品の楽曲と聴き比べたりもする。その工程が鬼門なのだ。それまでは自分の中に良い/悪いの価値基準があってひたすらそれに従って作業してきたとしても、この最終工程で「聴き直すたびに悪いところが見つかる」「他の製品と比べると劣っているように感じる」「どうしたらいいかわからない」という精神的な悪循環に陥ってしまうことが多かった。
それは俺が持っている完璧主義的な性質による部分が大きく、創作活動のうえでも大きな障害のひとつだった。ただ、その恐怖を克服しない限り、俺は本来自分が楽しみとしている工程まで手放すことになると感じていた。あるはずのない「完璧」にこだわって、今そこにある価値のすべてを無かったことにしてしまう。だけどそんなのもったいない、と頭ではわかっている。だって、俺がこれまで心を打たれてきたのは、「完璧じゃなくてもいいんだ」と感じさせてくれるものばかりだった。

しかし、その戦いは今に始まったことではないし、だてにしぶとく生きているわけでもない。一昨年の「Fast Album」はまさに、完璧にこだわらずに作品を発表することをテーマにしていた。昨年の「Broken Flowers」も決してパーフェクトなアルバムでは無いけれど、1年経過した今になるとまた新しい価値を感じられるようになった。それは、記録に残さなければ永遠に見つかることのない光だった。

何に対してホッとしたのか。先生が危惧したのは、何らかの縛りを自分に課していて、そこから解放されたがゆえの安心感なのではないか、ということだった。つまり、「完璧な作品を作らなければならない」「完成して発表しなければいけない」というプレッシャーに駆り立てられて、感情的なコストを払っていたからこその「ホッと」だったのではないか、と。でも先生、それは少し違ったようです。

9月の臨港パーク。完成したアルバムをiPhoneで聴いて、もうこれ以上手を加えるところがないと思った。今の自分にできることはすべてやった。そして、そのとき感じていたのは達成感ではなく、「あぁ、これでアルバム作りが終わってしまう」という寂しさだった。さんざん熱中したロールプレイングゲームがエンドロールを迎えてしまうような気持ち。
俺がホッとしたのは、アルバムが完成したことに対してではなかった。この遊びを楽しいまま終えることができた。そのことに対してだった。

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