見出し画像

2022年1月1日(土) 晴れ

ロシアか、と思った。こんなに寒い年末年始は生まれて初めてのような気がする。手袋をしていても風が突き抜けてくる。このままでは死ぬ。一刻も早く暖かい場所へと、早足で街を通り抜ける。

ロシアには行ったことがないが、北海道なら三度ある。高校の修学旅行で一度、仕事で二度。ほとんど旅行に行かない俺にとって北海道は、三度「も」行ったことのある馴染み深い土地だ。
高校二年生。修学旅行の行き先は富良野だった。俺は少しでも旅行を楽しめるようにと思って、数週間前から「北の国から」シリーズをひと通り観ることにした。成長するにつれて着実に屈折していく純と蛍。想像していたよりもずっとシニカルで、観ていて飽きることはなかった。しかし、富良野に着いたからといって特に感慨が深まるようなことはなかった。同級生にその話をすることもなかった。修学旅行が清々しい初夏の季節だったからかもしれない。覚えているのは気球に乗ったこと。二日目の朝に、希望者だけが早起きして乗ることができた。シラけずに体験できることはなんでもやってみたかった。学校行事を真面目に楽しみつくすことが、俺のなかの抵抗でありリベンジだったのだ。そして、札幌駅から寝台列車で帰ったこと。上野駅で解散になったあと、一人で渋谷のタワーレコードまで買い物に行った。ちょうど、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「SABRINA NO HEAVEN」が発売された頃だった。

仕事で行った二度の北海道は、旅行とはいえ仕事なので特別楽しいことはなかった。ただ、どちらも12月に入ったばかりの頃だったので、その冬の厳しさを体感することをできたのは良かったかもしれない。厳しさといっても、それは俺を痛めつけるようなものではなく、むしろ感じたのはその「まっすぐさ」や「クリアさ」だ。音を吸い込んで、動物を眠らせて、凍りついたように静かな空気。高速バスを降りて、パーキングエリアに積もった雪を踏むだけで胸が高鳴る。そして、妙に印象に残っているのが白樺だ。白い肌でまっすぐ伸びているその木々は神々しさすらあり、これぞまさしく北の植物なのだと感じた。ベランダで植物を育てるようになって、いくらか自然に対して関心がわくようになった。それが17歳の、修学旅行のときとの一番の違いかもしれない。
そして、もうひとつラッキーだったのは、鹿追町の神田日勝記念美術館に行けたことである。NHK連続テレビ小説「なつぞら」の盛り上がりもあって、たまたまツアー行程に組まれていたのだ。神田日勝。開拓民として農業に従事するかたわら、独学で油絵を描き始めた。「農民画家」として語られることを彼は嫌い、自分のことを『画家である、農家である』と区別して語っていたという。二足の草鞋。労働と芸術。しかし、彼の作品を観ると、そのふたつは区別されることなく混ざり合っているように思う。画家であり、農民であり、しかし、その作品には彼のすべてが叩き込まれている。俺は彼のあり方を自分自身と重ねて、この偶然の出会いを自分のなかに残したいと思った。32歳。ちょうど彼が亡くなった頃の俺だった。

あれから数年。ロシアか、と思った。
チェーホフ「桜の園」を読みながら俺は、あの白樺のことを思い出していた。次々と登場人物が現れるけれど、その名前を覚えるだけで精いっぱいだった。クワスという飲み物はどんな味なのだろうか。読まれることではなく、演じられることを待っている文章。読み進めていくにつれ、脳内にひとつの舞台が出来上がる。そのうえで彼らが泣き、笑い、滅びていく。ただ耐え忍び、ほんのわずかな春を待つ。1903年、ロシア。この陰鬱な物語は、個人の思惑を超えた土地の意志によって生まれたのだろうと思う。時代も場所も変わって、極東。日本の冬はどうなんだ。8月に読んだ小説を、いまもう一度読んでみるのもありかもしれない。底抜けの寒さ。数日後に大雪が降ることも、このときの俺はまだ知らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?